安全性のモンダイ
ある男が夜道を歩いていた。かばんを胸にかかえ、絶えずきょろきょろとあたりを見回している。実は、つい先日ひったくりの被害にあったばかりなのだ。
〔まったく、物騒な世の中だよ。こちとら疲れてるんだ。会社からの帰り道くらい、リラックスしていたいもんだね。〕
ちかちかと弱弱しく点滅する電灯を見上げ、こころの中で毒づく。
暫く歩き、家の近くまで来たところで、なぜか道の真ん中にぽっかりと穴が開いていることに気がついた。大きさはマンホールひとつ分くらい。
〔だれかがマンホールのふたをはずして、そのままなのか?!〕
万が一、人が落ちたらどうするんだ、と男はこの道を通学路にしている自分の娘を思いながら憤慨した。ずかずかとその穴のところまで行って、中を覗き込む。暗くて、底は見えない。
〔早く帰って、妻や娘に気をつけるよう伝えなければ。まったく、物騒な。〕
怒りもおさまらぬまま、足早にそこを立ち去る。・・・はずだった。
軽くスーツのすそが引っ張られる感じがした。それでもまあ気のせいだろうと歩き出そうとすると、今度は無視できないほどの力で足を引っ張られた。
「おい、だれだ!」
あわてて振り向くが、だれもいない。ただ、例の穴が真っ黒な口をあけているだけだった。
・・・まるで、男を誘い込もうとするかのように。
「う、嘘だろう?だ、だれか、助けてくれ!うわああああああああああああああ!!!!!」
悲鳴とともに、男の体は穴に吸い込まれていった・・・・・・
気がつくと、なにやら知らない町に立っていた。そもそもさっきまで夜だったはずなのに、男の頭上には太陽がかんかんと照っている。道路は広く、道の両脇に並ぶビルはそらを覆い尽くそうかというほど高いものばかりだった。随分都会のほうに来てしまったようだ。
〔いや、きてしまったようだ、じゃない!どうなっているんだ、これは!〕
呆然と立ちすくむ男に、二十代くらいの青年がにこやかに近づいてきた。
「こんにちは。突然のことで驚かれているかとは思いますが、落ち着いてください。わたくし、日本政府のものです。」
そう言ってうやうやしく男に向かって頭を垂れる。そんな青年を、男は混乱したまま、半ば八つ当たりのように怒鳴りつけた。
「ど、どういうことなのだ、これは!俺は会社から家に帰っていただけだ!!!こんなところに来た覚えはない!俺を家に帰せ!」
青年はあくまでさわやかな笑顔を崩さないままさらりと言った。
「かしこまりました。これが、今日からのあなたの家までの地図でございます。」
小さなチップのようなものを手渡されると、そこから光が発せられて、まるで見えないスクリーンがあるかのように、空中に地図が表示された。目を丸くする男に、青年は続ける。
「着替えや日用品などは、すでにその家に用意されております。料理や洗濯も、今の時代ロボットが全てこなしてくれますが・・・。話し相手が欲しければ、最新型人口知能を内蔵した人型アンドロイドを提供いたしましょう。特注すれば、過去の世界でのあなたの妻とそっくりなアンドロイドも提供できます。」
「かこの、せかい・・・?あんどろいど、だと・・・?」
「はい。ここは、あなたが今まで生きていた時代から、二百年ほどたった世界なのです。二百年前・・・、そこそこ技術の進歩が進んでいたとはいえ、なんとも物騒で、危険なものが溢れた時代だったとうかがっております。しかし、心配にはおよびません。あなたはこれからの人生を、この安全が百パーセント保証された素晴らしい世界で生きることが出来るのです!」
頬を上気させながら語る青年を、男は思わず平手で張り飛ばした。しかし全力でやったつもりだったのに、青年はよろけもせず、笑顔を保ったままだった。逆に男の右手にはびりびりとした感触が残っている。・・・健康に害を与えない程度の電流が、青年の体から・・・いや、アンドロイドから発生し、男の手に流れた結果だった。
青年型アンドロイドは男の腕を有無を言わさぬ強い力でつかみ、いつのまにか近くに停めてあったみたことのない形の四輪車に押し込もうとした。
男は全力でアンドロイドの腕にかみつき、口の中にびりびりとした感覚を味わいながら、必死に逃れた。
走る、走る、走る。
やっと止まって後ろを振り返るが、追っ手がきている気配はなかった。ほうっと息をつき、考える。
「未来の世界?人口知能?どこのSF小説だ。そんなわけ、無いじゃないか。」
そうか、俺は夢を見ているんだ。それが、彼の結論だった。
〔しかし、こんな夢、さっさと覚めてしまいたいな。そうだ、夢のなかで死ぬと、目が覚めるとどこかで聞いたことがある。よし、やってみよう。〕
男はまず、手近なビルに入った。なにかの会社のようだったが、なぜかだれにもとがめられることなく屋上まで来れた。さすがに下を見下ろしたときはひるんだが、どうせ夢なんだ、と覚悟を決め、手すりを飛びこえた。
重力にしたがって、落ちていく。
しかし、急にそのスピードががくんと落ちた。そしてあろうことか男は、ふわり、と地面に着地してしまったのだ。
真っ青になり、同じビルにもう一度駆け込んで、受付嬢に今起こったことを息も絶えだえに伝えた。すると受付嬢はなにをあわてることもなく、にっこりとかわいらしい笑顔を浮かべて、
「安全性の問題によりこの街では、落下してきたものが地表付近に近づくと、それにかかる空気抵抗が増し、安全に地面に着地できるようになっております。」
「なんだって!」
男はコンビニエンスストアのようなところに入り、こんどはロープを盗った。盗みたくて盗んだのではない。この世界では、男の持っている千円札など使えなかったのだ。なぜか堂々と盗みを働いた男を、だれもとがめなかった。
街路樹に登って枝にロープを結びつけ、わっかを作り、自分の頭を通す。そして枝から飛び降りた。
すると、しっかりと結んだはずなのに首からするりとロープが離れ、またも男はふわりと地面に着地してしまった。そして、いつのまにか目の前には四十代くらいの女が優しげな笑みを顔にはりつけ立っていた。
男がほどけてしまったロープを首をかしげみつめていると、女は
「安全性の問題により、この街のひも状のものは、首吊りの目的で使用されようとしたとき、ほどけるようになっているのですよ。さて、あなたはなぜこんなことをするのです?あなたは、のぞまれて生まれてきた存在です。簡単に命を捨てようとするのではありませんよ。」
男はつかれきっていた。あの後、車の前に飛び出したり、包丁で首を切ろうとしたり、壁におもいっきり頭を打ち付けたりしてみたが、無駄骨だった。車や壁は急に粘土のようにやわらかくなって男の体を受け止めてしまうし、包丁も首に当てた瞬間ゴム製に変わってしまった。そして男が死のうとするたび、例の優しげな笑みを浮かべた女がどこからともなく現れて、命の大切さをとうとうとかたって聞かせるのだ。
男はついに道に膝をつき、そのまま地面へつっぷしそうになったが、その前に何者かの腕によって体を支えられた。うつろな目で見上げると、そこには見覚えのある青年型アンドロイドのさわやかな笑顔があった。
総理大臣は、壁のモニターを見つめていた。モニターはざっと数えただけで五十ほど。それぞれに、街のいたるところの様子が映し出されている。自分専用に作らせた椅子にすわり、好物のワインを飲みながら、そのモニターを眺めるのが総理大臣の至福のひとときだった。それは積み木で作り上げたお城を満足げに見ている子どものような表情だった。
「皆の命を完璧に守る国、民に幸せ以外をわたさぬ国・・・。それを目指して、私は今まで総理大臣という大役をこなしてきた。理想の国のモデルとして、とりあえず私の住むこの街でプロジェクトを進めてきたが、それもすでに完成したといっていい!労働は全てロボットに任せ、人間は自由に生きられるようにした。万が一でも事故死や殺人が起こらないようなシステムを町中にはりめぐらせた。老衰以外では死なない街・・・。ああ、なんていいものを私は作り上げたのだ!!!なあ?」
そう総理大臣が言うと、すかさず
「そうです。理想郷ですよ、このモデル街は。」
「あとはこれを国家レベルに広げていくだけです。」
と声がかかった。
モニターを見る総理大臣の後ろには、十何人かの大臣がずらりと並んでいるのだ。そのものたちの言葉に総理大臣は満足げにうなずく。そして大臣たちに、自動ロボットが一人一つずつ、ワイングラスを運んできた。大臣たちはにこにこと笑って、グラスを受け取る。
椅子をくるりとまわして、そんな彼らと向き合った総理大臣は、しかしおもむろに表情をくもらせた。
「どうしたのです?」
いやな・・・とため息をつき、ワインをぐっと飲み干す。
「この街をモデル街にすることを決定し、プロジェクトを進めてくるにつれ・・・、毎年発狂する民が増えているのだ。みながみな、〝こんな退屈な人生はこりごりだ、自分を死なせてくれ〟と、叫んだり、うわごとを言っているそうでな・・・。あまりにそんなのが多いから、この頃は過去からまともな人間を連れてこなくては人間の住民が足りないくらいになってしまった。」
そしてまた、悲しげにため息をつく。それを見て、若い女性の大臣が一歩前へ進み出た。
「ご心配にはおよびませんよ、総理。安全であること以上に良いことがこの世に存在するわけがございませんもの。」
それを聞いて総理大臣はそうだな、と頬を緩め、乾杯の音頭をとった。ちりんちりんとあわせられるグラスにはしかし、総理大臣のもの以外何も入れられていない。
大臣たちはみな、人間の飲み物や食べ物は消化できないのだ。彼らの動力源は、太陽光エネルギーである・・・。
そのとき、規則正しく部屋のドアがノックされ、開いた。大臣たちがいっせいにそちらへ振り向く。部屋に入ってきたそれは、あいさつもそこそこに、報告を始めた。
「本日二百年前からつれてきた男性は、先ほど抵抗をやめ、無事家まで送り届けました。これからはこの街のよき住人となってくれるでしょう。」
ふむ、と総理大臣はうなずき、からのグラスを持った大臣たちもお互いの顔を見合わせて笑いあう。
「わかった、よくやった。彼は今は混乱しているやもしれんが、すぐにこの理想郷に住めることを感謝するだろう。モニターでみていたが、どうにかして自分の命をたとうと、奮闘していたな。やるだけやらせたら、あきらめたようだが。しかし、わたしには分からぬ。なぜ、そんな行動に出るのか。自分が死なぬと分かって、あんなに絶望的な表情をするのか。むしろ、歓喜の涙をながしても良いくらいだと思うのだが・・・。」
「ええ、私にも、よく理解できません。」
右手首の裏に彫りこまれた製造番号をゆっくりともう片方の手でなぞりながら、青年型アンドロイドはさわやかにほほえんだ。