始まり(1)
少しの残酷な描写あり。別に読まなくても次回に支障はないはずです。
「ごめんお待たせ!」
久城尚が食堂の席でぼんやりしていると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、トレーに山盛りの昼食をのせた友人が歩いてくる。
「未子」
目の前に座った友人の名を呼ぶ。
「相変わらず、すごい量」
ラーメン、カレーライス、中華丼、山盛りのサラダにデザートのケーキ、杏仁豆腐。140センチ台の小柄な体のどこに入るのかと、尚は毎度のことながら不思議に思っていしまう。
「尚は少なすぎ」
未子が指差すのは尚の持参した弁当だ。
小さな弁当箱には、もやし炒めとジャガイモだけのポテトサラダしか入っていない。
「……それは何のダイエットですか」
「いや…最近バイトに入れなくって」
苦笑する尚に、未子は憐れみの眼を向ける。
「チャーシュー一枚あげるよ。中華丼のウズラの卵とサラダのトマトも」
「…嫌いなもの押し付けてない?」
「チャーシューは紛うことなき好意です」
つまりはその他は尚の言葉が正しい、ということだ。
弁当箱の蓋に次々とおかずを載せていく未子にありがとう、と礼を言いながら、尚は箸を動かすその手を眺める。
「……」
彼氏からの贈り物だという指輪が光る手。
――あの時、血にまみれた…
「尚?」
未子の声に意識を戻す。
心配そうに顔を覗き込む未子に何でもない、と笑いながら返す。
そう、全てはあの時に始まった――
九条僚が教室に入ると、クラスメイトが一瞬こちらを振り返る。
扉越しに聞こえていた喧騒は消え、緊張が伝わってくる。
「……」
亜布高の狂犬。
それが僚の通り名だ。
僚自身、一昔の不良じゃあるまいし、とバカバカしく思うが、そう言われる程度にはやんちゃをした自覚もあった。
自分の席に着くと、すぐに寝る体制に入る。
一時間目は現国だった。寝ていても問題はないだろう。
――あの時、潰された机。
僚が顔を伏せたことで、また喧騒が戻ってきた。
誰かが馬鹿を言って、一際大きな笑いが起きる。
――この声は、下の階に落ちていたあいつ。笑い声は、瓦礫に埋まった奴らの声。
クラスメイトの声を聞きながら、「あの日」を思い出す。
――この教室も、全て元通り、か。
思い出すのは大きく抉られた天井と床。
床は赤と茶色で汚れていて。
よく見えるようになった空は、笑えてしまうほどの、青。
――青空が嫌いになる、そんな日だった。
最近建てられたという綺麗な病棟。
九條宰は営業車から降りると、その病棟を見上げた。
営業鞄と幾つかの薬を持って中に入る。
病院独特の匂いがする。
――あの時とは、違う匂い。
馴染みの看護士が声をかけてきた。
挨拶をすると、いつもの部屋に案内される。
目当ての医師はまだ診療中らしかった。
「どうぞ」
宰が新しい薬の資料を準備していると、看護士がお茶を出してくれた。
「最近忙しくって」
お礼を言ってお茶をすする。
宰が近況を尋ねると、そう言って看護士は肩をすくめた。
「ほら、化け物がらみで。ここら辺は特によく出るから、けが人が絶えないのよね」
「…化け物に?」
宰が声をかたくする。
「そっちは、ほらジャージの人たちがどうにかしてるんだけど。逃げるときに転倒したり、ね」
「あぁ」
「それにしても、なんでジャージなのかしらね、彼ら」
「…動きやすいんじゃないですか?」
「確かに。でも可愛いわよねぇ。見たことある?彼らのジャージ、フードに耳がついてるのよ」
「あぁ、赤いジャージの女の子は猫の耳で、茶色のジャージの男の子は犬がついてるって」
「そう、あとは白いジャージの男の人は、兎の耳なの。アンバランスで可愛かったわ」
見たことがあるのだろう。看護士はその時を思い出してか顔を緩める。
――この人も、あの時。
宰は思い出して、目を伏せる。
――全てが、元通りというわけではないんだ。
…あれ、更なる真面目展開?