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「長いトイレだったな」
「……え?」目を開けると、そこは研究室でした。ゴミ屋敷ではない、普通の研究室。どうやら私は二十年前の現代に帰ることが出来たようです。「え?」
何故私が直立し、タイムマシーンがある部屋に居ないのかは不思議でしたが、それよりも不思議なことがありました。「は、博士? 貴方、博士ですか?」
「ああそうだ。政界を揺るがす程の権力を持つ男、それが私だ」
そのふざけた言葉を聞いて博士だと確信することは出来ました。出来ましたが、ちょっと、というよりかなり、この男の人が博士だと信じられないような出来事が博士の身にふりかかっていました。
博士の髪が、黒髪だったからです。
「博士! 何で髪が黒いんですか! そ、そういえば体も健康そのものみたいな感じなんですけど!」どういうことなのでしょうか。博士が博士ではないのです。黒髪で、先刻のような死にかけの体ではなく、普通に立って机の上で何かの薬品を扱っていました。水玉模様のパジェマを着ているところが唯一の救いでしょうか。何ということでしょう。博士が、本当にニュ博士になってしまいました。ビフォーアフターです。今はアフターの段階です。アフター過ぎて驚きなのです。
「ん?」私の慌てながらの指摘にゆっくりと答える博士。「何を言っている。昔から私は黒髪で、昔から私はムキムキだっただろう。このムキムキのおかげで歌舞伎町で引っ張り凧だったのは今でも良い思い出だ」
「……今の博士はムキムキではないですし、多分それ騙されてますよ」苦笑しながら私は博士と会話をします。外面は冷静さを気取っていますが、内心では心臓バクバクです。夢を食べる動物が心臓の横で二体並ぶ状態です。でも、やはり、博士と話していると心が落ち着きます。外見は変わっても、博士は博士のようです。
「な、何を言うか。私程の男を歌舞伎町の女の子達が放っておく筈がない。なあ、そうだろう」
「イケメンですね、博士。歌舞伎町限定ですけど」
「後半は無視だ。前半だけ頭の中で繰り返しておく。いやあ、珍しいなあ。君がそんなにも私を褒めてくれるなんて」
「イケてないメンズですね、博士。歌舞伎町も含めてですけど」
「全面的に否定的な内容になってしまった!」
混乱の渦も、博士と会話をしたおかげで段々と落ち着いてきました。それと同時に冴えてくる私の頭。やはり私はエンジェルです。ドジっ娘アピールをしたいところですが、どうやら私にはドジっ娘ジャンル推進は無理な様です。残念ですが、エンジェル路線を貫き通すことにしましょう。
エンジェルっぽく考える私。まず、博士はタイムマシーンの暴走により戻った私に対し、「トイレ長かったな。大か小か、今すぐここで言いなさい」などという発言をしました。最低です最悪ですセクシャルハラスメントです。略してセクラスです。……惜しいですね。三文字目の『ラ』をラ行に合わせて四つ動かせば、あの言葉になったのに。
まあこんなことはどうでもいいのです。とりあえず、博士のセクラスと言えど、無視をすることは私の議に反します。どんな下級階級の男性でも平等に扱うエンジェル、それが私です。今確実に後光がさしてますね。ああ、気分が良い。「大でも小でもありません。さあ、博士の質問に答えたので、敬ってください」
「何でだろうな。君の言うことが一言も理解出来ないのだが」
「この無知無知博士」
「どうせならムチムチ美女を呼んでこい!」
「はい」言われて、直立不動になる私。「どうぞお好きに」
「……何か、違う」
「何も違いませんよ失礼な」
本、当、に、博士は失礼です。今の言葉、軽く言った感じでしたが心臓バックバックだったんですけれど。二体の夢を食べる動物も帰ってしまいましたよ。私の心臓の横には何もない状態でしたよ。何でですか。何で私の誘惑に引っ掛からないんですか。何で私の助けもなく、元気いっぱいになってるんですか。「不治の病はどうしたんですか。タイムマシーンはどうなったんですか」
「何のことだ。一体全体どうしたんだ、助手よ」
「何で博士は生きてるんですか!」
私の発言に、初めは「酷い! それはひど過ぎるぞ君!」と叫んだ博士でしたが、いつの間にか泣いていた私を見てあたふたとする博士。またです。また私は、人前で涙を流しています。最近涙を流し過ぎですね、私。反省しなければなりません。
「あー、えー」俯いて泣く私に声をかける博士。その声につられて顔をあげると、そこには真剣な表情をした博士が居ました。「これで涙を拭きなさい」
博士の右手には。
四つ折の白いハンカチがありました。
――デジャヴという言葉を、読者様方はご存知でしょうか。そうです。過去で見た映像が、何らかの映像を見てフラッシュバックするあれのことです。
今体感したデジャヴは、未来で見た映像がフラッシュバックしたという場合なのですが。
「博士」
「何だ」
「博士の名前って、何でしたっけ」
「何を今更。谷山稲瀬だろう。両親と決別する為、苗字も名前も変えて家族になろうと十五年前に誓ったではないか」
「その前は」興奮によって荒ぐ息を整え、冷静に博士に聞きます。「改名する前の名前。もしよかったら、教えてくれませんか」
「ん。んんん」少し悩むように首を傾げる博士でしたが、私が再び泣くと、慌てたように「わかったわかった。だから泣くな」と言いました。勿論泣き真似です。女の涙は卑怯とよく言われますが、私はそうは思いません。女の涙は凶器。間違ってはない筈です。
やはりトラウマなのでしょうか。博士は深呼吸を二回すると、私にゆっくり言いました。「鳥山義弘、だ」
「…………」頭の中がぐるぐると回り始めます。え、え、え。どういうことなのでしょうか。二十年後の未来に居た男の子と、今、目の前にいる博士が同じ名前。これは、一体どういう真実を指し示しているのでしょう。「もしかして、博士って私を養い始めてくれた年の五年前に、エンジェルに会いませんでしたか?」
「エンジェルに会える訳がないだろ。……ああ、でも、自分のことをエンジェルという女の人には会ったな。うん? それを何で君が知ってるんだ。前に話したことがあったか」
「いえ、何でも、何でもありません」
博士の言葉で確信しました。
私は、図らずもドジっ娘アピールをしてしまったようなのです。白状します。間違いありません。私は間違いなく、時をかけるミスをしました。私が見たゴミ屋敷。あれは研究室がゴミ屋敷になったのではなかったのです。研究室と化す場所が、あのゴミ屋敷だったのです。
「博士。今から、夢で見た荒唐無稽な話をしてもいいですか」博士の目を真正面に見ながら、私は言います。「それに対する博士の意見をお聞かせ下さい」
「よしわかった。話してみろ」こういう時、何の迷いもなく了承してくれるのが博士です。この優しさが、私は大好きなのです。
「とある場所にタイムマシンがありました。私はタイムマシンを使い時空を飛び越え、一人の男の子に出会いました。男の子は、ゴミ屋敷に住むと言い出しました。――こんなシチュエーションに出くわした時、博士はどんな助言を男の子にしてあげますか」
「何だか君の夢、とてつもないデジャヴ感がするのだが」不思議に思うような表情をしつつも、博士は私の言葉を真摯に受け止め返事をしてくれます。「そうだな。私だったら、まずその男の子に掃除をさせよう。そして、そのゴミ屋敷のゴミから研究材料を探しださせるだろうな。タイムマシーン。そうだな、タイムマシーンを研究するのもいいだろう。でもまあその前に、親から貰ったポケットに入っているパンを食べさせるべきだ。腐っていても、食べさせるべきだ。その中に、不治の病を治す、まだ誰も知らない成分が入っているかもしれないからな。もしその男の子が不治の病にかかっていて、それがどんな病状なのか知っている状態ならば尚更だ」
すまないな。途中から私の昔話になってしまった。何を言っているかわからないかもしれないが、私はそのおかげで不治の病を治すことが出来たんだ。「ゴミ屋敷を掃除し、そのパンを研究し、私は政界だけでなく医療の世界を揺るがす博士になったのだから」
博士の言葉を聞き、私は急いで後方にある扉のドアノブを回しました。タイムマシーンがある筈のその部屋は、トイレになっていました。
私は。
博士を救うことが、出来たみたいです。タイムマシーンが暴走したのがその為かどうかはわかりませんが。神様、という存在のおかげなのかもしれません。
「よかった、本当によかったです」私は、いつの間にか博士に抱き着いていました。「よかったです。博士が死なないで、本当に良かったです」
「お、おいおいどうした。私のことが嫌いな君らしくもない」
「な、何を言ってるんですか! 私が博士のことを嫌いになる訳がないじゃないですか!」
「え、そうなのか? じゃあ、何で君は私に意地悪なことばかり言うんだ」
好きな人につい意地悪をしたくなるから、などとは口が裂けても言えません。無理です無理ですハズカシスギマス。「うるさいです。は、博士は何で、私みたいな性格がおかしい女と一緒に生活してくれるのですか」
「うん? それは、あれだ。一人で生活するのは寂しいし、何より今の君は、昔、私の前に現れたお姉さんに似ている」
というよりか、あのお姉さんそのものな気がするのは私の気のせいか?
私は博士に力いっぱい抱き着きます。時間が経つにつれ、博士は顔を真っ赤にしていきます。私はそれに気付いていましたが、私も真っ赤になっているのでおあいこです。そして、ゆっくりと博士は私の腰に両手を回してきました。私はより一層力いっぱい博士を抱きしめ、博士を見上げました。誘っているのです。博士を誘っているのです。
「知ってますか、博士。トイレの妖精は、昔、森の妖精だったんですよ」
「いきなり何の話をするんだ君は」
「すいません、博士。これがドジっ娘エンジェルこと私ですから」
「……気のせい、だよな」
「博士」
「何だ」
「博士は、これから何を研究するんですか」
「そうだな」博士は首を少しだけ傾げると、私に言いました。「タイムマシーンでも造ろうかと思っている」
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あとがきです。
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前作がアレだったんで、とりあえずコメディを書こう。
そう思って書き始めたのがこの作品です。結果、パロディばかり、馬鹿げた会話ばかり、おかしな登場人物ばかりになりました。いやー楽しかった。久々に暴走出来た感じがします。
一応空想科学祭2010参加作品ですが、少し、というかかなり恐縮です。空想科学祭さん側に迷惑かけすぎたので。その一例があのバナーですね。本当にすいません。反省してます。
なにはともあれ、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
(因みにですが、文章作法、誤字脱字以外でこの作品のおかしな部分を指摘してくださった場合、空想科学祭2010が終わったら変更したいと思います。前作も同様に)




