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「お姉さんは何処から来たんですか?」
突然泣き出した私にあたふたとした男の子でしたが、私がゆっくりと深呼吸をして平常心を少しだけ取り戻す様子を見るなりほっとし、そしてゆっくりと私に語りかけてきました。男の子の疑問に対し、未来から来ました、と言えればどれだけ楽でしょうか。しかし私は言えません。何故なら簡単に未来から来たなどと言った場合、この男の子の運命が変わってしまうかもしれないからです。この時代にはタイムマシンが間違いなくあります。ですが私は本来ならばこの時代に受け入れられない人間。過去から来たとは言わず、どこか遠くの国から来たとか言えばいい。ノーベル賞を受賞した時の博士の言葉です。私はそれを胸中で何度も繰り返し、横になった冷蔵庫に座りながら、同じく横になった本棚に座る私の真正面という位置にいる男の子に話します。「えー、まず、私はエンジェルです」
「いきなり何ですか!」私の発言を聞いて、大声を出しながら立ち上がる男の子。駄目ですね。もう少し落ち着いて聞いてくれないと話が進みません。少し博士と似ています。まあ、博士の方が、あれですけど。
「静かに聞いて下さい。そうすれば自ずと私が何者なのかを知ることが出来ますから」
「いや、でも、最初っから天使宣言されて静かに聞けっていうのも無理があると思うんですけど」
「天使ではなくエンジェルです。間違えのないように」
「そこはどうでもいいでしょうよ!」
「はー。そうですか、エンジェル差別ですか貴方。酷いですね。全国のエンジェルに謝って下さい」
「エンジェル差別ってどういうことですか! エンジェルが全国に散らばってるってヤバイでしょうそんな世の中!」そんなことはどうでもいいんです、と頭を掻きむしりながら私に怒鳴る男の子。「お姉さんは何処の誰さんなんですか! それだけ教えてください」
「だから言ったでしょう。私はエンジェ」
「突き通すんですかそれ!ふざけてないでちゃんと話して下さい!」
「ふざけてなどいませんよ!」
「逆ギレですか!」
「違います。正当ギレです。貴方が逆ギレです。これだから近頃の若者は。信じられません。……土下座しながら回ってワン、と言ったのなら今なら許してあげますよ」
「身体の構造上それは不可能ですし寧ろ僕はお姉さんにやってもらいたいんですけど!」
「ワン」
「出来ちゃった!」
それから私と男の子はワーワーギャーギャーと互いに罵りあっていたのですが、割愛させてもらいます。あまりにも見苦しかったのです。命ごいをするラスボスの如く見苦しかったのです。例えるならばクッパですね。何度も婦女誘拐を繰り返し、その度に髭を生やした配管工事の中年に負けているにも関わらず、最後の最後で逃げのびるあの見苦しさ。そろそろワリオかワルイージとかに悪役を交代していい時期かと思います。マリオとルイージの悪いバージョンがワリオとワルイージなのですから。
と、いう訳で。男の子から「自分をエンジェルとか言うのは止めて下さい」と忠告されたので、本当ははらわたが煮え繰り返って煮え繰り返って大人げなくボディーブローをくらわしてやろうと考えたのですが、そこは流石ドジっ娘エンジェル私。冷静に自分の感情の高ぶりを沈め、「チッ、わかりました」と言うことに成功しました。「舌打ちですか」と言いながらため息をつく男の子。年上の妙齢の女性に対しため息はどうなんですかとこれまた憤慨に思いましたが、けれどもその後、顔をあげて私の言葉を待つ男の子の様子を見る限りただの男の子ではないことが容易に読み取ることができました。恐らくは金持ちのお坊ちゃまでしょう。改めて全身を眺めてみると、確かに髪はボサボサで黒いブロッコリーのような雰囲気を醸し出していましたが、服装は至ってまともです。二十年後の未来において一般の男の子がどんな服を着ているかは予想できませんが、革靴を履き、葬式にでも行くかのような正装を着ている男の子が貧乏な訳がありません。
ですが、何故、金持ちのお坊ちゃま男の子が研究室に出入りしているのでしょうか。更にここは、あまり認めたくはありませんが、完全なるゴミ屋敷です。木津タネさんという残念な名前の人が一年間過ごしたらこうなる、とでも表現出来る程の汚さです。木津タネ。キッタネ。きったねー。そんな名前の人がいたらビックリです。木津千里と書いてキツチリと読ませればいいのに。木津千里。キツチリ。きっちり。素晴らしい名前ですね。私みたいなドジっ娘には羨ましい名前です。名は体を表すと言いますし、やはり私がドジっ娘エンジェルという名前だからドジっ娘エンジェルなのでしょう。因みに苗字がドジっ娘で、名前がエンジェルです。私を街中で見かけた時は、迷わず「おーい、エンジェルー」と名前で呼んで下さい。その際訪れる第三者の冷たい目線は、私の名前を呼んだあなた方に降り注がれているのでご注意を。
「私は、遠い国からとある病気の治療法を探しにやってきました」少しの脚色を加えて、真実を言う私。本来ならばここで男の子にでも道案内してもらい病院にでも行けたらよかったのです。「ですが、私はゴミ屋敷の歴史を辿る仕事も兼任しています」
「ゴミ屋敷の歴史を辿る、といいますと、先ほどお姉さんがうなだれていたことに対する理由がそれですか?」
「そ、そうです。これ程までに散乱しているゴミを私は見たことがありません」泣きまねをしながら掠れた声で私は男の子に言います。実際は全く違いますが、勝手に勘違いをしてくれるなら好都合。背後に天使と悪魔がいた場合、迷わず悪魔を手にとるのが私というエンジェルなのです。「突然この一室に侵入したことは謝ります。その上で恐縮なんですが、もしよかったら何故この一室がこのような惨状になったのか。そして、何故貴方はこのようなゴミ屋敷に来ているのか。これらの理由を教えてくれませんか?」
嘘ばかりをついている私なのですが、仕方がありません。ここより二十年前の現代では、今も尚博士は苦しんでいます。危篤状態が続いているのです。私のバックトゥザフューチャーの前のあの押し問答から察するにまだまだ死ぬことはないでしょうが、少しでも早く帰った方がいいのは間違いありませ。全ての責任が私の手に。博士の命が私の手に。しかし、私と博士が住む研究室が何故このようなゴミ屋敷になったのかも聞き出さなければなりません。それならば、嘘をついてでも、一刻も早く理由を聞き出し、病院へ行って治療法を聞かなければ。博士の病を治せる方法が、二十年後に確立されているかもわかりませんし。早く、早く。とにかく早くです。ここから先はコメディーパート一切無しです。コメディーを目当てに読んでいる読者様は、ここらへんで退散した方がいいかもしれません。あ、私をいつまでも眺めていたいという方はどうぞ座布団を敷いてくつろいで下さい。ここらで一つ、饅頭が怖い。ここらで一人、私が怖い。
「あれ?」くだらないことを考えていると、今にも話し出しそうな男の子を横目に私は気付いてしまいました。
博士が造ったタイムマシーンは未来にも過去にも行けます。
ということは、私がこの場所でどれだけ喋っても、喋っている最中に博士が死んでしまったとしても、それより前の過去に行けば万事オッケーなのではないでしょうか。
つまり。
ここでどれだけの時間をかけても、治療法さえ手に入れれば博士を助けられるということ――。
「あ、あの、話をしてもいいでしょうか」
私の顔色を伺いながらしどろもどろになる男の子。やはりこの男の子はしっかりしています。
「はい」男の子の説明がどれほどの時間に及ぶかわかりませんが、得られる情報は全て得た方が良さそうです。「ゆっくりでいいので、お願いします」
わかりました、と男の子は言うと再び本棚に座り、話し始めました。その話は並大抵では信じられなく、更にどうあがいてもこの未来が変えられないことを示していました。
何故なら、男の子が一言、「すいませんが、僕もここが何故こうなったかはわかりません」と言ったからです。私は思います。おいおいだったら今までの私の心中での押し問答は一体全体何の意味があったのだと。ということは、これ以上この男の子と喋っていても何も情報は得られないということになります。それならば、博士の病を治す治療法を探した方に専念した方がいいでしょう。男の子が、「僕がこの場所を見つけたのはつい最近のことです。その頃から、ここはこんなにもゴミが大量にありました」と言ったとしても、です。え? つまり、私と博士の研究室はかなり前からこのような状態になっていた、ということになるんですか? ――などということはどうでもいいのです。例え、頭の中を博士と私のほほえましい生活風景が流れたとしても。朝食のパンをトーストで焼いている最中に、博士が消え、私が消え、研究室にゴミの山が流れ込まれる情景が頭の中に流れたとしても。いいのです。どうでもいいのです。
「お、お姉さん」ふと気が付くと、男の子がまたあたふたとしていました。それもその筈。私はまた、知らず知らずの内に泣いていたのです。何ですかこれは。何で、こんなに簡単に、涙が目から溢れ出るのですか。止めようにもゴミ屋敷が視界に入り、博士の笑顔が頭に浮かんで、涙はより一層出てきました。わかっています。ここでただただ泣いていても何も変わらないことはわかっています。ですが、それでも、涙が止まらないのです。
「お姉さん」男の子の意思が篭ったしっかりとした声につられて顔をあげると、そこには白い四つ折のハンカチを私に差し出しながら真剣な表情をする男の子がいました。「話したくないことかなと思ってさっきはスルーしたんですけど。……ゴミ屋敷の歴史を辿る仕事なんてありませんよね? お姉さんが何故悲しむのか。本当の理由を、教えてくれませんか」
「…………」沈黙に陥る私。男の子は、見ず知らずの泣き虫女性に対し、これ程までの好待遇をしてくれます。この男の子になら、私が何を理由に悲しんでいるのか、言っても良いかもしれません。勿論、タイムマシーン云々は喋らずに。また嘘を重ねることになりますが、この男の子ならきっと許してくれます。そうに違いません。
「私は、昔、ここで住んでいたんです。博士と呼ばれる男の人と一緒に。毎日が楽しかったのですが、博士の病状が悪化してここを離れてしまいまして。それで、久々に来たら、何故だかゴミ屋敷になっていたのです。何でですか! 何で、私と博士の住む場所が、ゴミで埋もれているんですか! 何で、何で!」感情に身を任せて叫び続ける私。目から流れる涙は少しずつおさまってきていますが、それでもまだ止まりません。私は叫び続けました。男の子の困ったような表情を横目に、叫び続けました。嘘も方便とはまさしくこのことでしょう。先刻から私は嘘ばかりついています。その嘘に乗じて、涙を流し、叫んでいるのです。元研究室に私の叫びが響き渡ります。主人公に対して涙ながらに『助けて……』と言った海賊専門の泥棒猫よりもよっぽどたちが悪いですが、仕方がないのです。誰とはいいませんが、どうか何卒許してください。ジーザス。ガクトさんの名曲です。
「ハァ、ハァ」息も絶え絶えになり、疑問の波を自身の体より吐き出すことに成功しました。男の子が心配そうに、「だ、大丈夫ですか?」と聞いてきます。私は、「はい。大丈夫です。ありがとうございました」と本心からの御礼を言いました。本心らの御礼。久しぶりですね。博士と一緒に住んでいると、そんなことを言うシチュエーションが無いので困ります。やれ洗濯しろ、やれ食事を作れ、やれ一緒に映画を観ろ。そう私に命令する博士が悪いのではありません。命令されながらも、全く研究をしていなくても、博士が私を捨てないでくれるのが、なにより嬉しい私が悪いのです。「御礼なんていつもしてます。だから私は、本心からの御礼なのか、ぞんざいな御礼なのかの判断がつかないのです」
「お姉さん? 何か言いましたか?」
「い、いえ、何も」しまった、です。どうやら心中で呟いていた筈の言葉が口から出ていたようです。これはいけません。恥ずかしいったらありはしません。私は、男の子の興味をずらす為、こんなことを口にしました。
「気を紛らわす為に、少し私の昔話を聞いて貰えませんか。私と博士の、愛と友情とドメスティックバイオレンスな昔話です」
「その昔話は博士さんが間違いなく逮捕される昔話だと思うんですけど! え、え、そんな昔話をするのに何でそんなに嬉しそうなんですか!」
「私が、博士にドメスティックバイオレンスを加える昔話だからです」
「しまったこのお姉さんそっち側の人だった!」
うわっちゃあそんなこと言いながらのこの笑顔はマズイですよ、とまたまたオーバーなリアクションをしてくれる男の子。そのリアクションは嬉しいですが、しかし失敬なです。ドメスティックバイオレンス略してドメオレをする私に対してそこまで批判するとは。と、憤慨に思ったところで、ああ違いますこの男の子はドメオレ話をする私の笑顔を批判しているということに気付いた私。まあ、それこそ失敬なです。博士のパジャマを水玉模様オンリーにしたり、博士の玉子焼きにお好み焼きソースをぶちまけたり、博士の秘蔵フォルダの中身を私オンリーにしたりする私のこの高揚を馬鹿にするとは。許すまじです男の子。ああ許さないとも男の子。
「巨人に苦痛の贈り物をっ!」
「うわっ! いきなり何ですかお姉さん!」
「私の必殺技、イノケンティウスの業火を放つ為の呪文です」
「まさかのイタイ人ですかお姉さん!」
「そんな、いたいけな女神だなんて。照れます」
「誰、も、そんなこと、言ってないです、よ!」足踏みをする男の子。怒りが顔から滲み出ています。怖いです。「もういいですから、とにかくお姉さんの昔話を聞かせて下さい! 少なくともお姉さんの残念な発言よりよっぽどマシな筈ですから!」
「残念な発言とは失礼ですね。十代前半の女性にそんなことを言うなんて、私、悲しいです」
「十代前半ってそれだと僕より年下になってしまう年齢層なんですけど!」
「お兄ちゃーん。……とか呼ばれたいんでしょうどうせ貴方は。ケッ」
「不条理にも僕がひかれる立場に!」
何はともあれこうして男の子と喋っていても拉致がありません。潔く男の子が悪いことを認め、早々に話を戻すことにしましょう。私は何も悪くありません。何故なら私がエンジェルなドジっ娘だから。「波動は我にあり、この世の全ては私の手の中に!」
「う、うわ……」突然叫んだ私に、今までみたことも無いような冷たい目を向ける男の子。ヤバイですね。どうやら本気でひいているようです。やれやれですね。高尚な私の発言は、どうやらこの男の子には通じないようです。十八禁の女、それが私です。
男の子の視線の鋭さが本格的になってきたので、「すいません。今から過去話します」「愛と友情とドメスティックバイオレンスの話ですか」「違います。はるな愛とちびまる子ちゃんのトモゾウとカフェオレの話です」「逆に聞きたい!」という会話をし、話すことにしました。
「今は昔、博士ありけり。研究にまじりて生活しつつ、よろづのことに使いけり。名をば、研究室の博士といいける」
「その語り口調だとお姉さんがかぐや姫になってしまうんですけど」
「博士は昔、この一室に、一人で生活していたそうなのです。何でも、タイムマホニャララに使える材料があったとかで」
「タイムマホニャララってそれ、もしかしてタイムマシンですか」
「ち、違います」うおっ、何故ばれたし。やはり凄いですこの男の子。少しのヒントで直ぐに答に結び付けます。は、早く直さないといけません。「あの、その、あれです、タイムマキシマムザホルモンです」
「ぶっ生き返すんですか!」
「そうです。チューチューラブラブ」
「それ以上言ったら駄目です、少なくとも十五禁指定になりますこの会話!」
十五禁指定ですか。ふっふっふ望むところです、と断言したいのですが、残念ながらこの小説は全年齢対象。読者の皆様、安心してください。私達の会話は全年齢対象。私の美しさも全年齢対象です。十八禁の女という響きも魅力的ですが、やはり全年齢の女の方がいいでしょう。下は零才、上は万才までオッケーです。火の鳥の血を飲んで不死身になり、ナメクジだらけの地球を眺める神様まで私に興奮してしまいます。ああ、私ったら罪な女。
「……っと。話が逸れましたね。全く、誰のせいなんでしょうか」
「何ですかその目! ぼ、僕のせいじゃないですよ絶対!」
「ハンッ。どうだか」
「…………」
沈黙状態になる男の子。どうやら全ての非を認めて私の話を聞いてくれる体勢に入ったようです。宜しいですよ男の子。苦しゅうない苦しゅうない。真摯にそれを受け入れ、私も真面目に話したいと思います。
「博士がここに住み着いてから五年。ここに入れる唯一の扉の向こうに、眠った状態の女の子が捨てられていました。女の子の年齢は七歳。名前はエンジェル。立派で聡明で、それはもう大変麗しい女の子だったそうです」
「スルーしますからね、僕。構わず続けてください」
「わかりました」男の子が何故冷たい視線を私に浴びせるのかということはわかりませんでしたが、男の子の言う通り、構わず話を続けます。「博士はその捨てられた赤ん坊を育てることを決意し、研究の傍ら、アルバイトをしながら女の子を育ててくれました。女の子はそのひたむきな姿に心をうたれ、博士が女の子を拾ってから十年以上、博士の助手をしている訳なのです」
一応、この話に嘘偽りはありません。まあタイムマシーンのくだりは濁してしまいましたが、それでも充分私と博士の過去を話せたと思います。神充です。私の心のもやもやもスッキリしました。こうしてはいられません。さあ、いざ行かん博士の病の治療法奪取へと。
「へー。ということは僕もここにずっと住んだりしたら、女の子が扉の向こうで待ってくれたりするんでしょうか」
「…………」すると、私の心意気を一気に意気消沈させる言葉を男の子が吐きました。「何言ってるんですか。冷静になってください。どっかの年中発情白髪みたいな発言は、寿命を縮めますよ」
「いえ、あの、そういうやましい気持ちはないんです」私の指摘に顔を真っ赤にしながら否定する男の子。「ただ、一人で生活するのは寂しいなと思いまして」
「え? それってどういう――」
「捨てられたんです、僕。両親に」男の子は、涙も何も流さずに、明るい笑顔で言いました。