影を連れた王子さま
昔々、広大な森のそばに、王国がありました。
森に接した国境近くではずっと昔から、魔物が現れては人々を襲います。多くの子どもや老人が犠牲になりました。困った王国は、毎年少しずつ森を焼いて、魔物を遠ざけようとしてきました。
あるとき、森近くの村で「魔物が何かを話していた」という噂が流れました。それが耳に届いた王様は考えます。
「魔物にも国があるかもしれない。」
王様は、騎士たちに森の奥へ調べに行くように言いました。
そうして旅立った騎士たちはやがて森の奥深くで魔族と出会い、彼らにも国と王があることを知りました。帰った騎士に話を聞いた王子様は、王を名乗るのなら私が話をしてみようと城を出発しました。
霧深く黒々とした木が覆う恐ろしい魔王城へ案内された王子様。赤くぎょろりとした眼、角や牙を持ち、毛むくじゃらで山のように大きい魔王が、禍々しい玉座に腰掛けていました。がらがらと枝葉を揺らしそうなほど響く声で話します。
「あなたひとりを差し出せば友好関係が築けるだろう」と。
「はぁ〜俺一国の王太子なんですよ。誰があれを継ぐと?」
「そうは言っても一応双方傷つけあってきた歴史があるから……魔物って勘違いされた魔族の子どもとかいっぱい死んでるし……」
「人間だって大勢死んでますよ。それこそあなた方、魔物の手綱もちゃんと握らんと森から出たのも放ったらかしにして」
「それはごめんだけど……我々にとっては野生動物だし」
「まぁいいや、1人でいいんですね? 確約はできないけど一旦持ち帰って会議にかけます」
「ああはい、よろしくね」
魔王城をあとにした王子様は無事王宮へ帰ると、自分の部屋で、とある少年に森での出来事を語りました。
☆
「で、そんな感じ。俺1人差し出せば……って話だったけど、ここで約束はできないって言っておいた」
だらりとソファーに腰掛けた王子ノエルがこぼす。
彼が帰りついたころには日が傾いていた。廷臣たちの召集は明日以降となり、それまでは特にすることもないと自室に戻っていた。
「そうですか。よかったですね!」
振り返る少年。珍しくしっかりとバスタブに湯をはって身を清めたようで、「そんな簡単な条件でいいんですねぇ」とこぼしながら濡れた髪をごしごしと拭っている。
「おや? 俺が捧げられて、よかないでしょ」
真っ先に報告を聞いた王や側近の表情はどんよりと曇り、緊張さえ走っていた。
「たしかに生娘100人とか牛50頭馬50頭とかは言われなかったけど」
明日以降の会議ではノエルを供物とするなら世継ぎはどうするのか、とうに降嫁した姉を王族として呼び戻すか、身内の争いを避けるべく公爵になっている叔父周りから王子王女を出すのか──さもなくば戦争へ向かうのか等をまとめなければならない状況である。紛糾が容易に想像できた。
「あは、なに言ってるんです」
すると少年は着替えの肌着の紐を結びながら笑った。
「僕が行って、和平ですよ」
なんでもないように目じりを下げるヒューの顔は、ノエルとよく似ていた。
彼は王子に危険が迫った場合に身代わりになるため、幼い頃この城へ連れてこられた。いわゆるダミー、影武者と呼ばれる存在である。
「……ん?」
ヒューはいそいそと華美な服を着こんでいく。よく見れば自らは手を借りなければ身に着けるのが難しい晴れ着であるとノエルにもわかった。さらりと最後の上着を羽織り、湿った髪のままぱっと顔を上げる。
「それじゃあ殿下、さようなら。行ってまいります」
「え、ちょ……っと待って」
慌てて体を起こしたノエルはそのまま口元に指をあててもごもごと続ける。
「いや、そっか……影武者ってそうだったなぁ忘れてた」
「はい。殿下の交渉のおかげで村が平和になります!おめでとうございます」
ぺちぺち、肌の白い少年が年齢よりいくらか幼いしぐさで拍手をする。低いテーブルを挟んだ位置から反射のように「ありがと」と返ってきて、はい、と手をおろした。
「や……でも。身代わり出してバレたら意味ないでしょ」
きゅうと喉をしめてノエルがこぼす。
「死体は喋らないから大丈夫だと思いますよ」
「うあーっ死んでから行くつもりか」
両手で頭をぐしゃりと抱えた。歴史上、比較的近隣国との関係が落ち着いた現状で、慣習によって用意されたのがヒューである。訓練や教育はあれど今の今まで命にかかわる危険な任務などはなく、ノエルの側は有り体にいえば平和ボケしていた。
キョトンとしていたヒューが困り始める。
「も、もちろん。どうしたんですか」
「待って、少しだけ……今考えてるから、魔王と喋ってる時より考えてるから」
待てと言われて律儀に待っていた少年だが、しばらくしてもぞもぞと装束の調整をしだした。しゃり、と腰の装飾が音を立てる。口を開く。
「殿下……その、今がいざというときというか、いま差し出せなかったら僕の意味がありません」
自らの髪に片手を残したままノエルが苦笑する。
「わかるよ、わかってる。でも俺は、お前のことをよき友人であり、かわいい弟分であり大事な運命共同体だと思ってたから、動揺してるんだ」
指を離れた黒髪はさらりと落ちる。多少掻き回したはずが絡まる様子はない。ヒューはその艶を美しいなと思った。思っていた。
「……だから皆様あまり共に過ごすなって仰ってたじゃないですか、情が移るからって」
「うぅん……そうだね……」
王子は斜め下を見て「痛感している……」と呻いた。しかし彼の記憶が正しければ、それを言われ始めたのは突如連れられてやってきた同じ年頃の孤児に勝手に名前をつけてよしよしと頭を撫でた後である。王宮──自分の生きる世界について何も知らないいきものが構うほど素直に懐いてきて、それよりも後のこと。
「…………抱きしめていい?」
少年は突然の提案に「どうして……?」と首をかしげたが、特に断る理由もない。
「えと、……どうぞ」
軽く腕を広げると、丁寧に織られた布がふわりと揺れる。
ノエルが立ち上がって数歩進みひとこと、「ヒュー」とだけ言った。貰った名に反応し、影はふらりと歩いて薄着の王子の腕の中に収まった。
背中に回った腕がヒューを包む。そのまま確かめるかのようにぽんぽんと叩く。撫でさする。そうしているうちに少年はほぅ、と呼吸して瞼をとろんと半ばおろした。壁の灯りが揺れる。
「僕、やっと役目を果たせますよ」
ヒューの声には喜びが浮かんでいた。
──やっとあなたのお役に立てます。
彼は目を閉じ、路地で息を潜めくたばるかそれよりつらい目にあうかしか選択肢のなかった日々を思い出している。拾われてから、道端でぼろきれみたいに事切れる今日じゃなかったことを毎日噛みしめた。
少年にとって温かさとか明るさとか、それらは全てノエルを通して知ったものだった。いつか殿下のお役に立つんだぞと言い聞かされて育ち、そんなことでしか彼のためになれないとしても、全てを捧げても足りない自分のような存在にも手段があるのなら──何をも厭うまいと思っていた。
「俺のかわりに死ぬのかぁ」
ノエルには、なんとなく喉のあたりが詰まる感覚があった。ここにいて息をして、自分に預ける体重もある少年の命は、こんなにも軽いのだ。
「…………キスしていい?」
ぽそ、とこぼれた問いかけが2人の間にだけ響く。弾かれたように顔を上げた少年は「んえ?」と声を上げた。
「だめ?」
ころんと顔を傾けて問い直す。
「構いませんけど、ご自分と同じ顔によくっ、んむ」
言い切らないうちにヒューの唇がふさがれた。
「え、っ、でん、か」
「んー」
ノエルはそのあとも止まらなかった。目元や髪、頬、鼻の頭に幾度もちゅ、ちゅ、とキスが落とされる。
「ひっ、なに……なんで、ぇ……?」
目を回す少年の肩は最初、唇が触れるたびにびくっと跳ねていたが、だんだんただ微かに手のひらの添えられた腰を震わせるだけになっていった。意識がぽわ、とほどける。
「? ……、?」
ヒューはぼんやりと、なんか熱い、と思う。うっすら上気してちょっとはにかむその顔を目を細めて視界に入れた王子は、頬にかかる髪をそっと後ろへ流してやって、最後にまた唇を合わせた。ちぅ、とかわいらしい音がたつ。
「んぅ」
王子は自分とほぼ同じ背丈のその肩に顎を乗せ、ぎゅうときつく抱きしめ直す。体がぴたりと密着して、厚い晴れ着越しにうっすらと、でもやっぱり鼓動は伝わった。ほら生きてるじゃないか。眉間にしわを寄せ、深く深くため息をついて、まだ少し水分を含む髪に頬ずりをして言う。
「はぁあ〜〜………………一緒に魔王城行こっか」
「え?」
ノエルの手には、「ここまで遠かっただろうし、次はこれ使って来たらいいよ」と魔王から爪の先にちょんと摘んで渡された、移動の魔道具があった。
「たのもー」
鬱蒼と茂る森の中、魔王城の城門へ唐突に現れた王子が声を上げる。
初めて見る樹皮が真っ黒の木々に囲まれて、ヒューはおろおろと周りに視線をやっていた。夜ではあるが月の光すら入らず、頬をするりと撫でていく風は生ぬるい。視線を感じるような、息が聞こえるような心地がするのに、草一本揺れもしない。
「あれ、もう決まったの」
そこへ吹き飛ばしそうな気流を巻き起こしながら、巨大な獣が空から姿を見せた。ゆったりと降り、着地する。
「もっと待つかと思っていたよ」
ぐるぐる、ごろごろと地鳴りにも似た低音を絡めながらそれは言語を発する。
肌の青い魔族が後を追ってか「あのー魔王様、さすがにこんなに早くいらっしゃるわけが……いる!」と話しながら降り立つ。蝙蝠と同じく被膜の張った翼をきゅっと畳んだ。
「2人になってる。人間ってこうやって増えたっけ」
「いいえ、ニンゲンは分裂しない生き物です」
「だよね?」
魔王と側近の魔族は尖った爪の光る手を口元に添え、ひそひそと話している。
目を白黒させるヒューを両腕に閉じ込めたまま、ノエルがあっけらかんと「お望みの王子が来ましたよ」と言い放った。
「我、1人でいいって言わなかった?」
「誤差です。ほら、くっついてるし」
「ぁえ、……」
抱きすくめられてあまりの居心地の良さで体が勝手に溶けているヒューが、さらに強く力のこもった拘束に声を漏らした。魔族と魔王が腕を組んで不思議そうに返す。
「うーん我々はいいけど、預かる人数が増えたって。部屋もたくさんあるし」
「……預かる?」
☆
そう。実のところ、魔王は「王子の命を差し出せ」と言ったのではありませんでした。
魔族は人間たちの国と話し合いをするつもりでした。だから先に国の大事な人を預かって、攻撃しない約束をしてほしかったのでした。なんせ彼らから見れば、住処に火を放つような王国ですから。
王子様はそれを聞いてすぐ、国に連絡しました。
「私の早とちりだったようだ。」
彼がいなくなっていたことすら知らなかった王様も城の人たちもたいそう驚きましたが、魔王の提案の通りに話し合いの準備をしました。そうして始まった会議の期間、魔王城の魔族たちは2人を歓迎し、お客さまとして丁重にもてなしました。
一方王国では、国のために帰ることができない王子様の話を聞き、公爵になっていた王様の弟やその子どもたちが王子様の仕事をこなしました。みんな忙しくなりましたが、故郷を遠く離れて慣れない地にいる彼をかわいそうに思い、一生懸命はたらきました。長い長い話し合いの間、ずっとです。
王国と魔族たちの国は無事和平を結びました。
最初に森を焼くことをやめる約束と、魔物が森を出ていかないようにする約束をして、他にもたくさんの決めごとをしました。
魔王は最初に会った謁見の間へ王子様を呼びました。見上げても立派でおそろしい牙しかわからない大きい顔が、話すためにうつむいています。
「条約締結したから帰れるんだけれども……」
「あーいや、いいですよ。どうやら王太子って俺じゃなくてもできるっぽくて」
「ええそうなの?」
「王太子あげるって言ったら母上はぶっ倒れると思いますけど、手紙とか見る感じ叔父上の子……やる気のある従兄弟がいるんで、任せる感じでよさそうです。意外」
「そうか。……それ御母堂だいじょうぶ?」
「俺もこっちでのんびりやってくって、話しておきます。ヒューもいるし」
「ああそうだ、ヒュー殿もそれでいいのか」
「ぇ、えと、……はい。僕は……仰せのままに」
口ぶりに反して、影の少年はなぜだか幸せそうに頬をあかくして柔らかく微笑みました。
部屋を去るときも指を絡めて手をつないでいる2人の背中を、魔王は毛むくじゃらの口元をぽかんとさせて眺めていました。
そうして、王子様と影だったはずの2人は魔族の国で、ずっと幸せに暮らしましたとさ。
どっとはらい。
魔族はおおらか。
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