二度目の「二度目の松山」
「もう一度あのお城に行きたいの」
「そんなに気に入った?」
「うん。だって天守閣から見える海がきれいなんだもん」
「確かに海は見えるけど、ちょっと遠くない?」
「海だけじゃなくて、お城に入るまでの道のりも好きなの。ほら、スキー場でもないのにリフトに乗って行くお城、他に無いでしょ?」
妻とこんな会話をしながら、到着した空港から市内行きのリムジンバスに乗った。乗車して15分ほどするとJRの駅が見えてくる。ここまでは比較的車の交通量が多い、単なる一地方都市といった趣である。駅が見えてくると同時に、茶色い石畳の上をマイペースに走る、鮮やかなオレンジ色の路面電車が見えてくる。電線以外のケーブルが、空中で複雑に絡みあっている。JRの駅を左に見ながらバスが右折をすると、オレンジの路面電車が車と並行して走る道路に入る。そしてその道路を直進すると、お堀が見えてくる。しかし、天守閣はすぐには見えそうにない。お堀の向こうには丘というか、小さめの山があるようだ。かの司馬遼太郎のお言葉を拝借すると「茶碗を逆さまに引っくり返したような形の山」である。バスの車窓からは新聞社をはじめとした近代的なビル群が見えてくる。そして国会議事堂を意識して設計された県庁舎が見えてくると同時に、山のてっぺんにある天守閣が見えてくる。
「あっ、お城見えた。いいよねぇ。あんな風に横に広い天守閣、珍しいよねぇ」
妻の眼は、二度目の邂逅を心から楽しんでいるように見えた。そしてそんな妻を見つめる私も、静かに妻の頭を撫でながら、天守閣の佇まいをじっくり味わうことが出来た。
二度目の旅は時がゆっくり流れる気がする。一度目で基本情報を把握し、経験した上で二度目の旅をするから、自分の脳にも時の流れを味わう余裕ができる。同じ場所で、同じスケジュールを組んで回ってみても、確実にその違いを感じることが出来る。初めてゆえのサプライズもガッカリも一通り味わえる「一度目の旅」も良いのだが、やはり脳も心もどこか不測の事態に身構えているところがあって、味わいが浅い。心を許せないから、身を委ねられないのだ。
多くの人は「あそこにまた行きたい」と言いながら、「まだ行っていないところに行きたい」と「一度目の旅」の魅力に誘惑されがちである。私もその一人だが、最近は「二度目以降も反復して味わえるかどうか」を、「一度目の旅」の目的地を選ぶ判断基準にしている。では、その判断基準をブレイクダウンするとしよう。
一つ目は何といっても「食」である。
わざわざ家から遠く離れて不味いものを食わされて喜ぶ人などいない。この時点で私にとって海外旅行という選択肢はかなり狭まり、大抵日本国内を選択することになる。さらにブレイクダウンすると、私にとっては「魚が旨いかどうか」が重要な判断基準である。我が住まいのある東京はとにかく魚が不味い。世界中から美食家が集い、美味い肴を出す名店が軒を連ねる花の都・大東京でも、旨い魚を出す店は決して多くない。「魚」といっても、焼魚や煮魚のことではない。刺身である。東京で食す刺身は様々な技術により「保存」こそされているが、「鮮度」を感じることができない。例えば、冬の富山で食すブリ刺しの緻密な歯ごたえは、東京では再現できない。大分や長崎で会える生サバの芳醇な肉汁は、どれほどの保存技術であっても、大都会では同じ旨味のままにはならない。静岡でお目にかかれる鮮やかな紅色の、生のサクラエビは現代の保存技術をもってしても、その鮮度を東京までは保持できないから、東京で食すことが難しい。
それでは「海が近ければどこでもいいのか」と言われそうだが、誤解しないで頂きたい。海が近くても美しくても、魚の不味い観光地は少なくないのだ(あえて固有名詞は出さないが)。美味い魚がある地には、必ず美味い酒がある。美味い米と美味い水があれば、美味い酒を醸す酒蔵が存在する。そして、それらを基に美味い肴を食わせる店があるに決まっているのである。
二つ目は「アクセス」である。
人間というのは存外ズボラなもので、やたらと乗り換えが多かったり、空港が市街地と離れていたりすると、再訪への意欲は大きく削がれる。昨今「空港の満足度ランキング」なるものを良く目にするが、市街地への距離がその満足度を左右する。どれだけ施設や建造物が立派でも、近くなければその価値は半減してしまう。例えば、北海道の新千歳空港は便数・路線の多さや飲食店の充実ぶりで、総合的な満足度の高い空港だと思うが、福岡空港のような満足度を提供することは決してできないであろう。新幹線の主要駅に電車で10分未満でたどり着けるなどという利便性には敵わない。「市街地まで高速バスで50分」などという表示を見ると誰しもゲンナリしてしまうのではないか。アクセシビリティは旅の快適さを大きく左右する要素である。
そして三つめは「コンテンツ」である。
私にとっては、最低でも三泊四日という滞在時間を満足させられるコンテンツが揃っているかどうかが基準となる。「海を眺めながらゆっくり読書」とか、「一面に拡がるラベンダー畑をずっと眺めていたい」などというリリシズムは残念ながら持ち合わせていない。事前に熟読したガイドブックを片手に、色々なものを見て、触れて、小忙しく歩き回って、日が暮れたら美味い肴をあてに一献したいのである。山間の温泉地はのどかで寛げるが、湯船につかっているだけでは間が持たない。天守閣や石垣・城郭を誇る「元」城下町も城を愛でるだけでは観光客が留まってくれない。城だけ見たら用が済んで、すぐに過ぎ去ってしまう。名古屋城などはその典型であろう。城下町はお城という指揮者を中心としたオーケストラであるべきだ。メロディを奏でるのは指揮者ではない。地元出身の英雄や偉人、寺社等の歴史的建造物、老舗の和菓子屋や酒蔵、郷土料理、器や衣服等の伝統工芸、長く続いてきた祭りや舞踊など、様々なパートが力を合わせて奏でるハーモニーが多くの観光客を呼び寄せ、留まらせるのである。
野球やサッカーなどのプロチームがあるのも良い。「オラが町のチーム」は地元愛のシンボルとなり、ホームスタジアムに皆を集め、町を一つにする。名選手や名勝負は永く語り継がれる。その熱気を自分も味わいたいと外からも観光客が集まってくる。プロ野球の広島カープや北海道日本ハムなどはそれを体現している。Jリーグのサガン鳥栖も都会のチームには決して出せない魅力がある。
昭和に建造されたディーゼル車両が走るJRのローカル線や路面電車等も立派なコンテンツの一つである。列車はあくまで移動手段だが、「コンテンツ」になると、乗車自体がエンターテイメントになる。何気ない田園風景や路地であっても、車窓という特別なフィルターを通せば、旅行者にとっては忘れられないsceneになる。例えば、江の島電鉄の車窓から見える海の蒼さは、ビーチで寝そべって見る海の蒼さとは違う。JR磐越西線の車窓から見える会津磐梯山の雄大さは、列車の走るリズムとスピードがより良く見えるよう演出してくれている気がする。ローカル線が廃線する際に惜しまれるのは、この特別なフィルターが無くなってしまうことへの悲哀もあると思う。これらのコンテンツ達が再訪への意欲を無限に掻き立ててくれるのだ。
以上、私の判断基準を三つに分けて説明してきたが、これら三つを全て満たす観光地として、読者諸兄のアタマの中にパッと思い浮かぶのが京都だろうと思う。「食」「アクセス」「三泊四日を軽く満たせるコンテンツ」の全てが満たされている。京都に空港は無いが、東京から新幹線一本で、何の乗り換えも無しに2時間ほどで行けるというのは十分便利と言えるだろう。近頃あんまり強くないけれど、京都パープルサンガというJリーグのチームもある。世界に誇れる京都。誰もが魅了されるがゆえに一年中がピークタイムであり、閑散期が無いというのが珠に瑕であるけれど。
でも、今日私が語りたいのは京都のことではない。
先日妻と訪れた松山について語りたいのだ。
細かい話をすると、妻にとっては生まれて二度目だが、私にとっては二度目の、「二度目の松山」である。どういうことかと言うと、最初の二度は別れた前妻と訪れた。そして現在の妻とは結婚前に一度訪れた。「もう一度行きたい」という妻のリクエストに応える形で、二度目の「二度目の松山」が実現した。通算では四度目となる。
現在の妻と結婚前に旅行をするにあたり、どこに行こうか考えた。前妻との思い出が無い場所も考えたが、建築関係の仕事をしているせいか、城郭建築を見るのが大好きな現在の妻に、松山城を見せたら気に入るに違いないと思ったのだ。そして城の近くには日本を代表する温泉の一つである道後温泉がある。温泉はもちろんだが、道後温泉本館には松山城に負けないくらいの迫力がある。きっと気に入るに違いない。でも松山の魅力はこれだけではない。先に挙げた「私の基準」にそって松山の魅力を語ってみたい。
まずは「アクセス」から見てみたい。
羽田空港から松山空港までは片道約一時間半足らず。四国の中で最も大きい空港なので便数も多い。市内へはリムジンバスに乗ると30分足らずである。JR松山駅へは15分強で着けるので、宇和島や今治といった愛媛県の他の都市へ向かうのにも都合が良い。市内の移動は松山市民の脚であるオレンジ色の路面電車、伊予鉄が担う。主要な観光スポットはこれで全て回れてしまう。
「食」も充実している。
松山空港に着いて、荷物の受け取りカウンターへ向かうとポンジュースのマークを目にする。国内生産量2位を誇るみかんである。そしてみかんの次に空港内で目にするのはタルトである。タルトというと「皿状にした生地にフルーツなどを盛り付ける焼き菓子」を想像するが、松山のタルトは違う。カステラ生地で餡子を巻いた、ロールケーキ上の菓子だ。断面はラーメンに添えるナルトのような渦潮模様である。かじると餡子の甘味と共にみかんの風味も運ばれてくる。
そして私の大好きな海の幸と酒の話をしよう。四国四県は全て海に面しているので、当然魚はどこも旨いのだが、松山で良く勧められるのは鯛である。太刀魚やイサキ等、他にも旨い魚はあるのだが、どういうわけか王様は鯛なのである。同じ海を共有する対岸の広島県や大分県でも鯛は獲れるのだろうが、松山ほど鯛を推してはこない。そしてその鯛をご飯に合わせた郷土料理として、2種類の「鯛めし」が用意されている。「松山風鯛めし」は鯛を米と一緒に炊き上げたもので、「宇和島風鯛めし」は鯛の刺身を白飯の上に載せ卵かけご飯にした、いわゆる漁師メシというやつである。魚は基本刺身が好きな私であるが、鯛めしについては火を通した松山風を選択する。鯛の肉から醸し出る、他の魚に無い上品な薫りは火を通さなければ感じられない気がするのだ。
次いで酒である。日本酒である。酒どころと言えば東北や北陸の寒冷地を想い起こすが、比較的温暖な南国情緒の愛媛県には現在でも50近い酒蔵がある。どちらかというと小規模生産の酒蔵が多く、全国的な「スタープレイヤー」がいないので意外に知られていない。伝統的な酒米「松山三井」に加え、最近では「しずく媛」という酒米も新たに開発されている。中でも、西日本最高峰の石鎚山の麓にある石鎚酒造で醸された「石鎚」が個人的にはおススメである。表面を軽く炙ったじゃこ天と一緒に合わせるのがサイコーだ。
「コンテンツ」
既に挙げた松山城と道後温泉が2大キラーコンテンツである。松山城は現存十二天守の一つであるだけでなく、そのロケーションが秀逸である。天守閣が、市の中央にある130メートルほどの小高い山の頂上にあるため、徒歩でたどり着こうとするとちょっとした登山になる。なので、大半の観光客はロープウェイかリフトで登る。私はリフトがお気に入りだ。雪山でもないのに乗れること自体が珍しいし、小休止を挟みながら少しずつ上昇していくリフト特有のリズムとスピードも天守閣への期待値を高めてくれる。
そして道後温泉である。見る人全てに「圧倒的な歴史の重み」を瞬時にわからせてくれるシンボル・道後温泉本館ももちろん魅力的だが、その魅力のあまり一日中観光客でごった返しているので一度入館すれば十分だ。二階の大広間でくつろぐのも良いが、チャンスがあれば三階の個室で時を過ごすことをおススメする。時間制限があるが、大切な人と静かな個室で過ごす湯上がりは贅沢な時間だ。
本館よりも近隣にある外湯の「椿の湯」について語りたい。こちらは本館と違っていかにも庶民の銭湯といった趣である。観光客もいるにはいるが、大半の客は地元のお年寄りだ。私は特にここでの朝風呂が好きだ。朝起きて、眠り眼のまま浴衣を羽織って、人通りもまばらなL字型の道後の商店街を歩く。大半の商店は閉まっている。ガラガラの静かな商店街もまた良い。別の顔を見たような心持ちになれる。湯殿の真ん中に本館と同じような、グレーの石でできたタンクがある。ここから源泉が出てくる。朝は利用者も少ないので、運が良ければ広い湯船を独り占めできる。風呂から上がって地元民と思わしき人たちを横目に浴衣を羽織っていると、なんだか自分も地元の暮らしに溶け込めたような気がしてくる。
昨年、この椿の湯の向かい側に、新たな入浴施設がオープンした。昨今流行りのスーパー銭湯のような感じ。外側も内側も湯殿も全てが新しい。同じ源泉だから道後温泉に違いないのだが、どうも私にはまだ受け入れがたい。大半の観光客は本館かこの新しい「飛鳥の湯」を選ぶのだろう。普段着で、少しばかり愛想の無い椿の湯がますます混雑から縁遠くなる。椿の湯を愛する私は、再訪への意欲がますます掻き立てられるのである。
また道後温泉と言えば夏目漱石の「坊ちゃん」である。有名な小説の数ページに道後温泉が登場する。特にドラマチックな場面の舞台になったわけではないのだが、この数ページが観光資源として最大限に活用されている。またその夏目漱石の親友、正岡子規も負けずに観光資源を提供している。近くに子規記念館なるものがあり、ところどころに彼の俳句が掲げられている。
「いで湯と文学のまち」において、正岡子規つながりというわけではないのだが、もう一つ観光に利用されている小説がある。司馬遼太郎の代表作の一つ「坂の上の雲」である。主人公は松山の下級武士の家に生まれた秋山好古・真之兄弟で、弟の真之が正岡子規と幼馴染で終生の友であったという。物語は、秋山兄弟が日清・日露戦争で活躍する様を描き、その最中、俳句の革新を目指しながら齢三十四で早世した子規と真之の交わりも丁寧に描かれている。秋山兄弟の生家は松山城のすぐ近くに移築・再現されている。庭先にある兄弟の銅像を見つめていると、郷土の英雄に対する松山市民の静かで深いプライドが感じられる。また生家の居間に飾られている兄・好古の揮毫からは、その豪胆で大らかな人柄がにじみ出ているようである。以前、道後温泉の商店街にある小料理屋で酒を飲みながら秋山兄弟の話をしたら、店主が「秋山兄弟がおらなんだらのう、日本はロシアの植民地になっとったかもしれんのやぞ」と、それはそれは誇らしげに語っていた。彼以外の多くの松山市民もきっと同じ思いを抱いているのであろう。
そして同じく松山城のほど近くに、「坂の上の雲ミュージアム」なる建物がある。外観も内装も打ちっぱなしのコンクリートを主体とした、いわゆる現代建築と呼ばれる建物だ。「打ちっぱなしのコンクリート」と言えば、何となく察しがつく人も多いのではないかと思う。巨匠・安藤忠雄の設計である。ここへは是非小説を読んだ後に訪問されることをおススメする。展示は小説の主人公たちの生い立ちや遺品、遺稿等が中心であるが、バックボーンにあるのは「幕末から明治にかけて、日本がどのように近代国家になっていったのか。またそれに松山の市井の人たちがどのように関わっていったのか」ということである。展示を一通り見終わると、小説を読破した人でもまた一から読み直してみたくなる心地になる。
これらの「コンテンツ」達をつないでくれるのがオレンジ色の路面電車・伊予鉄である。最新型の車両も走っているが、床が木製で、運転席の上の天井に「ナニワ工機・昭和29年」という鉄札が貼り付けられたままのレトロな車両も数多く健在である。発車の合図も鐘を叩く生音だ。松山城見て、城周辺の土産物屋や秋山兄弟の生家を尋ね、そして繁華街・大街道を歩いて疲れたら伊予鉄に乗り、道後温泉を目指す。所要時間は並行して走るバスの方がずっと早いのだろうけど、移動はいつも伊予鉄を選択する。車窓から見える松山の街は、伊予鉄の線路を見守るために設計されたかのように感じられる。その中をゆっくりと走るのが実に心地よいのだ。
どうだろうか?まだまだ他にも紹介したいコンテンツはあるが、十分に「三泊四日」を堪能できそうな気がしないだろうか?そして二度目以降も反復して楽しめる気がしないだろうか?一通りウンチクを垂れ尽くしたので、自身の旅の話に戻ることとする。
今回も道後温泉近くに宿を取った。15時頃に到着したら早速備え付けの浴衣に着替えた。すぐさま一風呂浴びに行きたいのだ。
宿の草履を借りて、椿の湯を目指し歩く。
「ねえ、本館の写真撮りたいな」
妻は昨年の誕生日を、道後温泉で迎えられたことをたいそう喜んでいた。そしてそれは私との初めての旅行だったこともあるそうだ。雪国・新潟生まれの彼女にとって、伊予の松山という場所は色々な意味でカルチャーショックだったらしい。道後温泉本館の正面に向かってスマホをかざす。改めて見てみると、温泉というよりは由緒ある寺院の本堂のような迫力を感じる。建物の至る所に数えきれない数の神様や霊がうごめいている気がする。かの宮崎駿がこれをモチーフに映画を製作した気持ちがよくわかる。絵心をくすぐる佇まいである。
お目当ての椿の湯についた。妻もこちらの方が落ち着いて風呂に入れるということで好んでいるようだ。内部の一部が改装され、少し綺麗になっている。番台が以前より奥になり、下駄箱がかなり広くなった。相変わらず本館とは対照的な静かでゆったりした雰囲気である。共に風呂から上がり、手をつないでしばし道後温泉の商店街を散歩する。妻と浴衣を着て街を歩くというのも、温泉街なら少しも恥ずかしく感じることが無い。
「昨年はちょっと肌寒かったけど、今年は逆に暑いかな」
団扇で扇ぎながら妻はつぶやいた。今の妻と初めて訪れたのは秋に入った11月だったから、今年は7月にした。四国の暑い夏を共に過ごしたかったのだ。
夕飯までまだ少し時間がある。そこで、本館の左手にある「道後麦酒館」を目指した。温泉で火照った体にはキンキンに冷えた地ビールと相場が決まっているのである。ここでは「漱石ビール」「マドンナビール」「坊ちゃんビール」などビールの種類に名前がついている。私はスタウト、つまり黒の「漱石ビール」を選択した。妻は「のぼさんビール」というフルーティーな女性好みのビールを選択。ちなみに「のぼさん」というのは正岡子規の本名である「升」に由来している。
二人でビールを片手に道後温泉街をさらに歩く。しばらくすると、左手に煎餅屋が見えてきた。一枚一枚手焼きで丁寧に焼かれた煎餅たちが「ビールのお供はオレしかないだろっ!」とでも言わんばかりにこちらを見ている。食べたい気持ちが無いわけではなかったのだが、私はあえて見て見ぬふりをした。別れた前妻がここの煎餅を頬張る姿を思い出したからだ。確か、大きい海苔が巻かれたやつを旨そうに食べていた。「この店は以前、元ヨメと行った」などと現在の妻にいちいち申告はしないが、何となく申し訳ない感じがした。
妻は砥部焼の店に入っていった。ビアグラス用の陶器をいくつか手に取っている。
「おうちでビール飲むから買おっかな?」
「でも陶器だと横から泡の比率とか様子が見えないから、ガラスの方が美味しく飲めるんじゃない?」
「そっかぁ。でも砥部焼、なんか一つお土産に買いたいなぁ」
妻とヤリトリをしているうちにまたしても前妻との思い出がフラッシュバックしてきた。確か同じようにビアグラス用の陶器を物色していたような気がする。女はどういうわけか食器や陶器を買いたがる。
結局、何も購入することなく、砥部焼の店を出てしばらく歩くと、次は今治タオルの店に行きたいと言い出した(国内で生産されているタオルの約六割は愛媛県今治市で製造されているので有名である)。商店街の中では比較的新しい店舗のようだった。たぶん、前妻と訪れた時にはまだ無かった店だ。最近妻の妹の家に第一子が誕生したということで、赤ん坊の世話に使えそうなタオルを何枚か見繕っているようだ。新潟に送るのだという。
そうこうしているうちに夕飯の時間だ。二度目の松山の初日は是非とも鮨屋に行きたかった。予約した鮨屋に予定通りに到着した。妻も私も鮨屋のカウンターが大好きなので、連れ立って鮨屋に行く際は必ずカウンターの並び席を予約する。
店に入り、席に着くと私はビールを注文した。妻はビールはもう要らないらしく、日本酒のメニューを眺めている。
「やっぱり愛媛県に来たから、愛媛のお酒が良いよね?どれがいいかな?」
「こういう時はお店の人のおススメに素直に従った方が良いかも」
日本酒に目の無い私は、どれが妻の好みなのかくらいの見当は付くのだが、せっかく鮨屋のカウンターという聖なる場所にいるのである。テーブル席ではできないコミュニケーションをどんどん仕掛けていくべきなのだ。妻もこの方針に賛同し、早速カウンターの向かいにいる職人に問い合わせた。
「愛媛のお酒を飲みたいんですけど、どれがおススメですか?」
「そうですねぇ。石鎚っていうのが最近人気有りますけど、私のおススメはこの御代栄の辛口十八番というお酒ですかね。キリッとしてて美味しいですよ」
妻は迷うことなく、そのおススメに従った。「御代栄」は「みよさかえ」と読むそうだ。石鎚と同様に西条市の酒蔵のようである。
乾杯の後、まずは刺身の盛り合わせをお願いした。すると、妻が横からすかさず個人的な希望を伝えた。
「あのう、イカは避けてください」
「かしこまりました。まあ最初からイカは入れるつもりなかったですが」
「瀬戸内はイカじゃなくて、むしろタコですかね」
「仰る通りです。でもタコもやめときますよ」
職人は穏やかな笑みを浮かべながら妻の注文を了承した。確かにイカはどちらかというと北海道や青森など寒い地方で獲れるものが旨いから、「最初からイカは予定していなかった」という職人の発言は嘘では無いだろう。すると、今度は職人が妻に問いかけた。
「お客様、イカが苦手なんですか?」
「いいえ。問題無く食べられるんですけど、刺身の盛り合わせにあるイカがあまり好きじゃないんです。なんか『とりあえずイカ入れときました』みたいな、安い居酒屋に良くあるぞんざいな感じがイヤなんです」
「ほう、なるほど。じゃあぞんざいなネタは入れないようにせんと、ダメですなぁ」
職人はまたしても穏やかな笑みを浮かべながらテキパキと仕事を進めている様子だった。
私が鮨屋のカウンターを「聖なる場所」というのは、こういう他愛のない会話をしながら食事をできる空間が少ないからだ。職人が目の前で切り身に飾り包丁を入れたり、バーナーで炙ったり、仕事の手際を見られるのも楽しい。魚の話には必ず旬の話が付きまとう。「いま旬の魚は~」という話である。旬の話も楽しいし、産地の話も楽しい。「~の港で獲れました」とかいう話を聞くと、行ったことも無いのになんだかその港の情景が浮かんでくる気がする。一方、カウンターの反対側にいる職人たちは鋭く客を観察している。他愛の無い会話を通して、客それぞれの好みを推測しているのである。この職人も、妻の「イカは避けてくれ」という注文に対し、「この客はきっと軟体系の食感が苦手なのだな」と機転を利かせ、「タコもやめときますよ」と返したのである。
以前、とある別の鮨屋で私がコハダやサバなど、いわゆる光物ばかりを注文していると、職人が質問を投げかけてきた。
「お客様は本当に光物がお好きなんですね。健康に気を使われているんですか?」
「いやいや。単に好きなだけです。魚をお酢で〆るのって、家だと自分で上手くできないでしょ?やっぱりプロが手を掛けたものでないと。それに健康に気を使うんだったら、こんなに日本酒飲みませんよ」
「なるほど。いや私は『光物以外出すな』って言われたらどうしようかと思いましたよ。脂の乗ったヒラマサをこの後お持ちしたいと思ってたもんですから」
職人のアンテナはひたすら顧客の好みを把握することに集中されている。その姿勢は、高座に上がった落語家が、マクラを話して客の反応を伺いながら「今日はどの持ちネタを話そうか」と、頭の中でシミュレーションを繰り返す様を思い起させる。好みを把握したい側の立場からすればもっとも避けなければならないのは、客の嫌いなネタ、苦手なネタを誤って提供してしまうことである。あまり好き嫌いの無い私ではあるが、鮨屋で「苦手なものはございませんか?」と聞かれたら、「アオヤギやサザエの類は避けてください」と答えるようにしている。地雷の設置場所は事前にハッキリ伝えてあげるのが親切というものだろう。
どうやら刺身の盛り合わせが完成したようだ。
「向かって右から、カンパチ、イサキ、太刀魚、アジ、鯛、そして最後にイワシになります」
「イワシって、広島の近海で獲れるコイワシですか?」
「いえいえ。このイワシは北海道から取り寄せたものです。他は全部愛媛の海で獲れたものです。このイワシ、おススメなんで是非召し上がってみてください」
職人の指示に極めて素直に従い、おススメのイワシを口に運んだ。
(鮮度が抜群なのは言うまでもない。それよりもなんだ、この潤沢に溢れ出てくる脂は?イワシってこういう魚じゃないよな?切り身に後から刷毛か何かで油を塗って追加したかのようだ。この盛り合わせのラインナップで、おそらく最も安価であろうイワシに、こんなに圧倒されるなんて)
―という顔をしていたら、カウンター向かいの職人は「ほら、言ったでしょ」と、少し得意げな表情で私と妻を眺めている。妻もこの北海道からの思わぬ刺客に圧倒されている様子だ。
「やだ。なにこれ。めっちゃおいしー!」
「梅雨の時期のイワシは上品な脂を蓄えるんですよ。美味いでしょう」
―そうか。広島市内で夏の間しかお目にかかれないコイワシもそういうことだったのか。一番美味くなる季節にだけ出回るわけだ。
イワシに圧倒された後はカンパチに手を出した。カンパチの緻密な食感が大好きなのだ。一口噛むと、まるで糸の束を一気に噛み千切るような、プチプチという繊細な音が口の中に響き渡る。
ビールを飲み干した後は私も日本酒を頂くことにした。妻が飲んでいる御代栄も良いが、せっかくなので、まだ飲んだことのない愛媛の地酒を選ぼう。賀儀屋という銘柄をお願いした。御代栄を醸している酒蔵の、別の銘柄だという。
「お客様、日本酒お好きなんですね?無濾過の原酒なんで少々アルコール度数高いですが」
「でも、香りが抜群じゃないですか。原酒は荒々しい感じがして好きなんです」
「こりゃ、相当な呑兵衛ですなぁ」
日本酒を飲むときは必ず冷やでと決めている。寒い冬でも熱燗にはしない。絶対に冷やである。日本酒は冷やしてもハッキリ香りが感じられるのが良い。他の酒には無い。白ワインでもここまでは匂ってこない。無味無臭のコメが、日本酒になるとここまでの香りを発するのである。そういう醸造技術を持った国の国民として生まれたことを神様に感謝しなければ。
日本酒を飲みながら、職人の予告通り「ぞんざいなネタ」の入っていない刺身の盛り合わせを平らげた。さて、前菜の次はいよいよお待ちかねの鮨である。
「何から握りましょうか」
「生サバはありますか?酢で〆てないやつ」
「はい。ございます。」
「じゃあそれを二貫握ってください」
「かしこまりました。奥様の分もということですね」
「いや、そういうわけではなくて。妻は自分の好きなネタを頼むと思うんで」
すると、すかさず妻もオーダーした。
「私も生サバください。私は一貫でいいですぅ。主人は東京ではめったに生サバ食べられないから二貫頼んだんですよ」
「かしこまりました」
妻には全てお見通しのようである。
職人は柔らかな笑みを浮かべながら、サバの柵に長い柳刃包丁を入れ始めた。そして仕事を続けながら会話が続く。
「東京にもお鮨の美味しいお店はたくさんあると思うんですが、生サバは手に入りにくいんですかね?」
「そうですね。シメサバはどこでも食べられるんですが、生サバを出す店はあまりないかもしれないですね」
「なるほど。きっとお客様に食わせられるレベルの鮮度が続かないんでしょうなぁ。味噌で煮込んで、お昼の定食にして出した方が手堅いですし」
「ビジネスとしての判断だとそうなりますかね」
「個人的な意見を言わせてもらうと、東京で食べるお刺身は、なんて言うんですかね、やわいというか弱いというか」
「鮮度が生む弾力が無いということですか?」
「その表現が近いかもしれませんね。幼い頃から松山の魚を食べて育った田舎者の味覚で判断すると、という話ですけれどもね」
食育とはよく言ったものである。東北や北陸の出身者から「東京では不味い刺身を、高い値段で食わされる」という不平を聞いたことがある。彼らも幼い頃から新鮮な魚を―東京では普通レベルでない鮮度の―食べて育ったから、あのようなセリフを吐けるのだ。目の前で鮨を握るこの職人もきっとこう言いたいのだろうと思った。
しばらくすると、生サバの鮨が都合三貫供された。少し赤みを帯びた身が美しく輝いている。端っこに少しだけ醤油をつけて、一気に丸ごと口の中に放り込む。隣でほぼ同じタイミングで平らげた妻と顔を見合わせた。言葉はいらない。私も妻も生サバの芳醇な肉の香りに圧倒されて、言葉が出てこないのである。口の中で鮨が溶けたあと、日本酒を流し込む。妻の顔も少し赤くなっており、すっかりご機嫌モードである。
「ご夫婦揃ってそんなに美味しそうな顔をしながら召し上がって頂いたら、料理人冥利に尽きますよ」
次に、職人はカンパチの鮨を奨めてきた。刺身盛りを食べていた時のわずかな反応を見逃さなかったのだろう。細かく網目の飾り包丁が施され、オレンジ色の粉が少し添えてある。何なのかはあえて質問せずに口へ運んだ。
「これミカンの皮ですよね?やだ美味しい」
妻の言う通り、カンパチの脂にミカンの香りが絶妙にマッチしている。まさか鮨にミカンを合わせてくるとは。ニクい演出である。
その後、日本酒を飲みながら、二人とも十貫ほど鮨を食べた。お腹もよい感じに満たされてきた。そろそろ最後の一貫である。
「最後に、かんぴょう巻きください」
妻は、最後は必ずかんぴょう巻きで締めることにしているようだ。付き合ってから一緒に何度も鮨を食べに行ったが、このルーティンだけは一貫して崩さない。若い頃にそのようにするのが粋なのだと教わったという。
「ご主人はどうされますか?」
職人に聞かれ、しばし悩んだ。やっぱりマグロかな。いや、もう一回生サバというのも悪くないな。でも、今日食べた中で一番美味しかったのは―
「最後はイワシを握ってください。あの脂、来年の夏まで食べられないですもんね」
「なるほど。かしこまりました」
二人とも大満足で店を出た。妻は少々飲みすぎたようで、やや足元がおぼつかない。
「ねぇ、足湯に使ってから帰ろうよ」
「大丈夫か?お酒がそれだけ入ってるのに足湯なんか入ったら、さらに酔っぱらうよ」
「だって、貴方も浸かっていきたいんでしょ」
否定できず、足湯に向かって歩き始めた。道後温泉の商店街の入り口の脇に、放生園という足湯があるのだ。確かにほろ酔いで浸かると気持ちが良い。風呂上りに夕飯を食べた後だからタオルも持っている。やがて到着し、二人は草履を脱いで足を浸けた。
「きっと、前の奥さんも貴方と食事した後、こうやって足湯に浸かりに来たんでしょ?」
「う、うん。まあ、そうだね」
「そりゃ一緒に浸かりたくなるわよねぇ。だってせっかく松山に来たんだもんねぇ」
妻の思わぬ発言に少しドキッとした。普段の生活ではもちろん、旅行中もなるべく前妻の話はしないようにしてきた。一度目の松山旅行の際も、まったく前妻のことについては、妻は触れてこなかった。私も努めて触れさせないように気を付けてきたつもりだった。「前妻とは〇〇に行った」とか「前妻は〇〇が好きだった」などという話はまさしくタブーであると思ったからだ。妻は優しい表情で続けた。
「ちょっとくらいなら、前の奥さんとの思い出話、してもいいよ」
「別にしたかないよ」
「でもふと思い出すでしょう?松山いいとこだもん。きっと一緒に来られて幸せだったと思うよ」
「うん。オレも通算で四度目になるけど、来れば来るほど好きになってしまうな」
「温泉地だけど適度に都会なのがいいのよ。それでいて、地方色も失われてないっていうか」
「確かにそういうバランスの良さはあるかもね」
「って、前の奥さんも感じてたと思うなぁ」
「いや、その話はもういいから」
「去年初めて一緒にここに来た時、正直に『前の奥さんと二回来た』って言ってくれて嬉しかったなぁ」
「誕生日だったから言おうかどうか迷ったんだけど、事後報告よりはいいかと思って」
「サラリーマンの基本よね。事後報告は厳禁」
「そろそろ帰ろうよ。明日はお城見に行くんでしょ」
「お昼ご飯は鯛めし食べるの。宇和島風の卵かけご飯のやつ」
足をタオルで拭いて、宿への帰り道に着いた。妻から思わぬ話が切り出されたが、きっと努めて避けた姿勢が不自然に映ったのだろう。
確か前妻との一度目の松山は7年ほど前だったか。白地の浴衣を着て、小股で隣を歩いていた前妻の姿がフラッシュバックしてきた。
道後温泉駅のレトロな駅舎にはいつの間にかスターバックスコーヒーが入っている。商店街の古い土産物屋も少しずつ減っており、新しい飲食店に変わっている。スタジオジブリのアンテナショップも出来ている。道後温泉本館もさすがに老朽化は避けられず、近いうちに大規模な改修が行われるそうだ。7年前に初めて見た風景が少しずつ形を変えていく。前妻との思い出も少しずつ風化していくのだろう。
明日は起床したら、椿の湯に朝風呂に行って、着替えて、伊予鉄に乗って松山城へ。その後は歩いて至近の、坂の上の雲ミュージアムに行く。夕飯前には伊予鉄・松山市駅にある観覧車に乗りたいそうだ。観覧車から松山の街を一望したいのだという。
「ねぇ、年取ったら松山に住もうか?」
「いやいや、何を言ってんだよ。ここはたまに旅行に来るからいいんだよ」
「でも、おじいちゃんになって、毎日椿の湯に通えたら幸せじゃない?瀬戸内海は自然災害が少ないっていうし」
「うーん、でもそこまでは考えられないなぁ。まだ」
妻はなにか突拍子もない老後計画を思いついたようだ。ただそういうことを考えたくなるほど、夫婦共々この街にはまっているのも否定できない。二度目の「二度目の松山」はまだ始まったばかりだ。松山の暑い夏の夜、妻の手を握りながら歩いた。これからも、この人と共に旅をして、共に生きていくのだ。
―完―