1.少年、旅へ出る
人魔歴3165年。邪神たちが率いる魔族が人類への侵略を始めてから、254年が経とうとしていた。だが、突如現れた人間の英雄によって邪神たちは滅ぼされ、人類の希望となった。この物語は、そんな英雄に憧れる一人の少年の物語である。
「ラヴァ」
「静かにしてろ」
「シェトゥ」
「爺やにバレたら面倒なことになるだろ」
「セラ」
にしても、本当に奇妙な鳴き声の鳥だ。オリオンを飼い始めて、もう3年が経つ。夜空と星のような翼がもげていたのを治したことで、懐かれてペットとして飼うようになった。オリオンは、いつも無邪気に鳴いているが、今はその声が聞こえないようにしている。今日は、すべてを決行する日だ。
「オリオン、いいか? 鳴かないようにしろよ」
ともかく今日は家出の決行日だ。オリオンに鳴かぬように言い聞かせてから、荷物をカバンに詰める。手にはめた手袋状の魔道具がひんやりとした感触を与える。慎重に、だが確実に、最後の準備を整えてから部屋の扉を開ける。扉が微かにきしむ音に、息を呑む。今、この瞬間が成功するかどうかを決める。
「キィィィ」
扉が開く音は小さく、まるで自分の鼓動のように響いた。それを無視して、走り出す。暗闇の中、気配を殺しながら進んでいく。日が昇るまでまだ数時間があり、家の中は静寂に包まれている。ほとんどの者がまだ夢の中だ。しかし、誰もが寝ているわけではない。最も警戒すべき存在は爺やだ。
「オリオン、頼む。出口まで案内してくれ」
「ラ」
オリオンは小さく鳴き、軽やかに飛び立つ。目の前の暗闇を視覚で捉えることはできないが、あの翼が風を切る音だけが頼りだ。数分ほど歩いた先、ついに爺やの部屋が十数メートル近くにある。だが、予想以上に事態は厄介だった。爺やがすでに起きているらしい。静けさの中、耳を澄ませると、その寝室から何か物音が漏れてきた。気配がひしひしと伝わり、次第に鼓動が速くなる。
「やっぱり…起きているのか」
「どうする、どうするんだ、俺!」
少年は一度立ち止まり、冷静さを取り戻すために深呼吸をした。その背中には、家出の覚悟がぎゅっと詰まっている。だが、前に進むためにはどうしても爺やを避けなければならない。
「賭けだな」
小さく呟き、また足音を立てないように慎重に歩を進める。だが、まるで運命のように、床が不意にきしむ。何もかもが静寂の中で響き渡り、その音が爺やの耳に届く前に、もう一度立ち止まる。
「ギィィィ」
その音と共に、爺やがこちらを見た。息を呑む。目の前の数メートル先に爺やが立っているような気がしてならない。鼓動が速まり、一歩も動けなくなっていた。もし爺やがこちらに歩み寄れば、すべてが露見してしまう前に小さく呟く唱える
「透明化」
「認識阻害」
魔道具が発動し、少年の体が消えたような感覚を覚える。だが、これも完璧ではない。確実に、あと数メートルで見つかる危険が迫っている。爺やがさらに近づけば、隠し通すことはできなくなる。
「これで、隠れられる…!」
「だが、あと一歩。どうする…?」
もう一度、息を殺して。数秒が数時間に感じ、汗が額に浮かんだ。もう一度小さく唱える
「超動」
その瞬間、爺やの部屋からわずかな音がした。テーブルの上にあった羽ペンが軽快に落ち、床に転がる音が響く。爺やの視線がそのペンに向かう隙を突いて、少年は瞬時に走り出した。
「今だ!」
その一瞬の判断で、少年は駆け抜けた。体が、足が、自然と反応した。後ろで爺やが何かを呟いたような気がしたが、もう聞く余裕はない。逃げるため、目の前の扉を開け、駆け出すのだ。
数分後、門までたどり着いた俺は、再び焦っていた。門番が起きていたのだ。夜中だというのに、いつも通り見回りをしているその姿に、心の中で思わず舌打ちする。にしても、本当に真面目な奴だ。この一ヶ月、あいつが居眠りしているところを見たことがない。どうしてこういう時に限って寝ていてくれないのか。
「オリオン……どうしようか?」
俺は小声でオリオンに話しかける。肩に乗っていたオリオンは小さく羽を揺らし、何かを考えているようだった。少しして、オリオンを見ているうちに妙案が浮かぶ。
「そうだ、鍵を渡すから外から門の鍵を開けてくれ。」
オリオンの頼もしさに賭けるしかない。俺はカバンから鍵を取り出し、小さな体でも掴めるよう調整して渡した。オリオンは自信ありげに一鳴きし、そのまま暗闇に溶けるように飛び立った。
彼が門の鍵を開けるまで、門番の注意をそらさなければならない。俺は心を決め、大胆にも門番の前に堂々と姿を現した。
「坊っちゃん、なぜ外に?」
門番は驚き、だがすぐに眉をひそめた。
「家出するんだよ。」
俺は胸を張って言った。嘘偽りなく、それが本当の理由なのだから。
「何故に?」
短い問いに、その鋭い視線が突き刺さる。いつもは穏やかな門番も、今日だけはやけに厳しい。
「お前なら分かるだろう。星大に行くんだよ。」
その一言に、門番の目が見開かれる。
「倍率は500倍以上ありますよ。受かるかわかりませんよ。」
門番の声には諦めにも似たため息が混じっていた。それでも、俺は引き下がらない。
「行くと言ったら行くんだよ。」
その一言に、意志を込める。俺がどれほど星大を目指してきたか、お前なら知っているだろうという気持ちも含めて。
「わがまま言わないでください。」
門番は呆れたように言う。だが、その声にはどこか諦めきれない葛藤がにじんでいた。
その時だった。暗闇の中、オリオンの小さな影が鍵をくわえて門の外へ飛び去るのが見えた。鍵が回る音が静寂を切り裂き、門がゆっくりと開いていくのを確認すると、俺はすぐさま走り出した。
「ショックライト!」
俺がそう発した直後、光が山を包み込んだ。
視界が一瞬、白い閃光に覆われる。その光はただの明かりではない。俺が持つ魔道具の力によるものだ。門番の視界を奪うための一瞬の輝き。その間に、俺はすべてを振り切るように駆け出す。
心臓はまだ早鐘のように鳴っている。だが、俺の足は止まらない。この一歩が、星大への道のりの最初の一歩なのだ。背後から門番の怒鳴り声が聞こえるような気がしたが、振り返らない。オリオンがすぐ横を飛びながら、俺を導くように進んでいく。
「待っていろ、星大。俺は必ず、お前にたどり着く。」