最初の魔女が燃えた
嘲笑めいた笑い。怒声、罵声、早く早くと急かす声。
嬌声、これは尻を撫でられた女。煽る煽る。触った酔っ払いが囃す声。
すすり泣く声、そしてまた笑い声。
その中、最初の魔女が笑った。
火刑台に括り付けられ、足元には積み上げられた薪等、可燃物。
もうすぐ燃える、燃やされる。
月が隠れた夜。松明の篝火によって照らし出される民衆の醜く歪んだ顔。
そして、死が目前だというのにその魔女は笑った。
魔女狩り。中世ヨーロッパで盛んに行われた処刑もといほぼ私刑同然。
尤も、この現実に魔術、妖術を扱う魔女というものは存在しない。
魔女狩りなどとは神を崇拝しない異端者やただの嫌われ者を処刑するための口実。
それを群衆がどの程度理解、自覚していたかは定かではないが
魔女という存在は忌み嫌われ、恐れられていた。
一度、魔女だと決めつけられれば弁解も懇願も耳を貸してもらえない。
尤も、連行された後はその全員が「私は魔女です」と言う。
が、それは拷問に耐えかねた末のこと。
自分が魔女と認めない者は苛烈さを増す拷問によって死ぬか、結局同じこと。
火刑台に括り付けられ燃やされるだけ。
しかし、その魔女は爪剥ぎ、水責め、鞭打ちなど手始めの拷問のその前に
「自分は魔女です」と自白したのである。
尤も、どちらにせよ「この卑しい魔女め!」と殴られるわけだが
それでも魔女が自分がそれだと早々に認めた理由。それは苦痛を恐れたからではない。
女のすすり泣く声に、その魔女はまた笑った。
そう、女。他の女。なんと、この夜一度に処刑される魔女の数は総勢四十二名。
どうにか並べ、町の広場にギリギリ収まったその光景はまさに圧巻。
そして悪漢であるこの辺り一帯の領主である男爵が
特設された観覧席からそれを眺め悦に浸る。
四十二という数字も、どうせなら自身の年齢と同じにしようという男爵の命令。
彼は自身の邸宅の地下にて、熱した火かき棒を女の乳房を押し付け
ポロッと落ちた乳頭を食すような変態。拷問好きのサディスト。
これまでも何人もの魔女を火刑台送り、あるいは嬲り殺しにした。
しかし、さすがにこの数、この大処刑は経験がなかった。
ゆえにこの夜を心待ちにしていたのだ。
処刑される魔女はそのほとんどが町の住民で顔見知り
と、言うのも彼女たちは互いを売ったのである。
今回の事の発端となった最初の魔女は早々に自身が魔女だと認めた後、こう言った。
「他の魔女を何人か知っている」
次いで、その魔女たちは他の者を知っていると付け足した。
情報の見返りに最初の魔女が求めたのは豆のスープとパンそれだけ。パンはカビていた。
そして新たに連行された魔女たちは拷問の末にこう言った。
「ほ、他の魔女を知っています……」
「うちの隣の家の夫婦の妻の方は魔女だ」
「夫の不倫相手、あいつは魔女だ。誘惑したんだ」
「あの花屋の若い娘は魔女だ」
「あの子は魔女」
「あいつは魔女」
魔女、魔女、魔女と連行された彼女たちは胃の内容物も唾も懇願も出なくなると
その代わりに名を吐いた。
子を産む代わりに恨み憎しみをその身体から産み落とした。
その結果、このような大所帯となったわけだ。
無論、前述の通り、魔女などそもそも存在しない。
おまけに彼女たちのそのほとんどは
この町のごく平凡な住人同様、神の存在を信じていた。
火刑台に括り付けられている今でこそ、その信仰心は揺らいでいるが
こうなる前までは毎日お祈りもしていたほどだ。
神に背き、悪魔と淫行する魔女など嫌悪の対象でしかない。
しかし、花が枯れるように信仰心が徐々に徐々に神への失望。
嘆き、怒りの色に変化していくのを彼女たちは自分でも感じていた。
だがどうすることもできない。涙を流し、失禁し、叫び、唇を震わせ、死を待つ。
命乞いは連中を喜ばせるだけだった。石投げ、その的。喉は裂けたと思うほど痛い。
それでもまた泣き叫んだ。
その中、最初の魔女がまた笑った。
気が触れたのだと町民も笑い、野次を飛ばした。
それに対し、最初の魔女は唾を飛ばしてやり、そして言った。
「さあさあ燃やせ! 焼け爛れた唇でお前の旦那にキスしてやるぞ!
魔女だ魔女だ! 私たちは魔女だ! だがお前らはそれ以下のゴミ溜めだ!」
最初の魔女は言い終えるとまた笑った。熱気高まる群衆が罵声とゴミを投げつけた。
頃合いだな。そう思った男爵が高らかに命じた、火を放て。
積み上げられた薪に今まさに火がつけられようとした時
雨雲が夜空を覆い、松明の火を消し……などという神の奇跡は起きず
誰も魔女たちさえも期待していなかった。
火刑台に火が一斉につけられた。
魔女の足から腹へと火が這い上がり、焼ける家からネズミが逃げ出すように
体内から悲鳴が飛び出す。
悪魔が凌辱せんと生贄の処女の服を乱暴に剥ぎ取る如く
彼女たちが身に着けるぼろ切れ同然の薄汚れた布を燃やし
火はその涙でぬれた頬を撫でる。
髪が短い音を立てて焼け千切れ、肌が黒ずんだかとおもえば皮が捲れ上がり、爛れ
その下の白い肉が顔を出し、また黒ずみ白煙を上げ、広場全体に匂いが漂う。
火柱が天を刺し、火花が舞う。
群衆は絶叫と煙を浴び、「ざあまみろ」と笑った。
男爵は大喜びし、手を叩く。
魔女が焼かれていく。自分自身までも燃料にして、焼かれていく。
群衆が大口開けて声を上げ、嗤う。酒瓶やゴミを投げ込み顔に青筋立てて唾を飛ばす。
その時であった。
最前列にいた群衆が顔を歪め一歩、後ずさりした。
熱い、熱い。まるで手を繋ぐように魔女たちを焼く火が交わり合い、勢いが増したのだ。
そして、それはやがてひと繋ぎに……。
火刑台の間隔が短すぎた。
しかし、誰かがそう思った時には遅く、広場の中心は火の海になった。
それを見て「絶景だ!」と男爵はさらに喜んだ。
側近もどこか苦笑いしつつも手を叩いて同調しているように見せる。
揺らめく火、その輝きに追い払われてはまた揺り戻る影。
狂気に染まった顔が見え隠れする。
そして、火刑台は崩れ、魔女もその影も火に飲み込まれていった。
炎火の中で影が揺らめく。
それは徐々に濃く、大きく。
群衆が目を見開く。
魔女たちが帰って来た。
ゆっくり、続々と火の中から現れたその姿はまさに地獄の亡者。
皮膚が焼け落ち、その眼から光が失われていても、彼女たちはまだ燃え続けていた。
両方の乳房から煙を激しく上げ、固まる群衆と距離を詰める。
もう誰も笑ってはいなかった。
魔女以外は。
魔女たちは手を広げ、群衆と熱い抱擁を交わし、そして口づけをした。
毟り取られ、吐き捨てられた唇が地面の上で白煙を上げる。
助けを求める声が、悲鳴が伝播。さらに燃え広がる熱と炎を前に男爵の笑みが消えた。
脳裏に蘇るは、屋敷の地下のあの悲鳴と臭い。
飼い慣らしていたはずの狂気が今
目の前で町を、人を呑み込んでいると気づいた男爵は震えた。
椅子から立ち上がり、逃げようとする男爵。
だが、足がもつれ、床に顎をうった。
側近たちは恐れをなし逃げ出し、騒ぎを収めようとした衛兵もまた
魔女たちの怨嗟に吞み込まれていった。
燃える、燃えていく。
全てを道連れに。
水を求め、ガラスを割り、近くの家に飛び込む焼け逝く人々。
火はさらに命と輝きを増した。
立ち上がった男爵に最初の魔女が歩み寄る。
全ては復讐のためであった。町に、人に、制度に対する。
この町で、最初に魔女と呼ばれ処刑された妹のための復讐。
尤も、どうにか隙をつき、男爵を殺せないかと狙っていただけで
彼女自身、ここまでのものになるとは思っていなかったが。
やがて火は全てを呑み込み、地上を覗いた月が嫉妬するほどに夜空を明るく照らした。
悲鳴は途絶え、最後に陽気な笑い声が残り
それもまた轟々たる炎の音に掻き消えていった。
彼女はあるいは本当に魔女であったのかもしれない。