9 魔法の一夜が明けるまで(前)
広場には観客たちの物見高い空気と、一種の戸惑いが満ちている。それらは、不穏さを孕むざわめきの波に表れていた。
さっきまでは一対一の魔法勝負が行われていたのに。その余韻が、正体不明の闖入者によってすっかり取り払われてしまったからだ。
不穏。
それはアウロラにとっても。
闖入者の装いは女神のように輝く真っ白な絹の長衣。流れる金糸の髪も、飾環から垂れる布製の仮面から覗く白磁の肌も一級品。たしかにうつくしい。
とはいえ――知っている。
衣越しに触れる腕の逞しさや肩を抱く手の大きさも、引き締まった体の線も、どこをどうとっても『男』なのだ。記憶どおり。
(〜〜〜〜!!)
凄まじい速さで四阿の一件を思い出したアウロラは、頬が赤らむの無視して精一杯毒づいた。
「はっ、離しなさい! 一度ならず二度までも。ここをどこだと心得る? 不埒者!!」
「……不埒?」
耳聡く訊き返したアレクが首を傾げる。
急に現れた女装の美丈夫に、さらりと尋ねた。
「あなた、彼に何をしたの」
「秘密」
「月!」
不機嫌に眉をひそめたアレクが声を荒げる。
私は、それをぽかん、と見つめていた。
――意外。しおらしくも『ディアナ』というのか……などと思いつつ、そんな印象はすぐに打ち消される。
今宵は特別な夜。仮面精霊祭なのだから、すべて偽名に決まっている。
それよりも困った。変な奴に目をつけられた……と項垂れるも、幸いこちらだって仮面を着けている。性別はともかく、素性はバレていないはず。
――なら、遠慮なく足くらい踏んでおこうか。
そう、真面目に検討しだしたところで場内が鎮まった。
(?)
男性の後ろに視線を巡らせると、フィールドに王が降り立っている。目は吸い寄せられるように王の侍従が捧げ持つトレイへ。
きらりと照明の光を弾くメダルは、今年は勲章ではなく、ペンダントの形のようだった。
(何でもいい……! やったわ! とうとう“精霊王のメダル”が。あれさえあれば)
うれしくなって、つい、ぴたりと抵抗をやめる。
すると、真上からくすりと笑みこぼされた。
月を名乗る男性は何かを告げようとして口をひらいたが、緋色のマントをまとう国王によって、さっと遮られた。
王は謹厳な顔つきで咳払いをする。
「控えなさい『ディアナ』。ほれ、肝心のメダルを忘れておる。優勝した『シルバ』にこれを」
「ありがとう、国王」
「………………あの?」
「はい、じっとしてて。着けられない」
「え、あ、はい」
王の御前でもあり、何よりも目的の品を授けてくれるという。ここは進行上、素直に指従うしかなさそうだと悟った。
――どうやら、彼は受勲のための女神に扮した、王家に近しい家のご子息らしい。
はて、どこの公爵家かと記憶を探るうちにメダルはトレイから離れ、子息の手に。
ゆっくりと腕を回され、カチリ、と、うなじの後ろで金具を留められた。丸いメダルはちょうど鎖骨の真ん中あたりに収まる。測ったかのようにぴったりだった。
「ふふ。捕まえた」
「………………は?」
聞き違いだろうか。物騒なひと言に片眉を上げたが、美麗な御仁はにこにことしている。隣に立つアレクは、複雑そうな顔で嘆息していた。
それを娘の諦観と受け止めた国王が、神妙に告げる。
「準優勝者『アレキサンドライト』も。見事な戦いぶりであった。褒めてつかわす」
「どうも」
「して、優勝者シルバよ」
「! はい」
「……夜が明ければ、折り入って話したいこともあるゆえな。城に招こう。いかがか」
「それは」
ちらりとアレクを覗き見る。
アレクは唇のかたちで「おいでよ」と誘ってくれていたが、正直、眠い。真夜中なのだ。
(でも、王女とは友達になると約束したし……)
逡巡して数秒。仕方ないか、と諦めた。腹を括ったともいう。こうなったら陛下と彼女には事情を打ち明け、さっさと帰らせてもらおう。
「では、お言葉に甘えて」
――――――――
嗚呼。
けれど、私ったら、どうしてこんなにあっさりと絆されてしまったのか。
翌日も翌日以降も、えんえんと悩む羽目になる大事件は、宴のさなかにこそ起きたのだった。