5 謎めく常勝者
「アレクでいいよ。『アレキサンドライト』じゃ長いし、呼びにくいでしょ?」
「う、うん」
――では、なぜそんな通り名を。
心のなかでは突っ込まなくもないが、少年の強さには圧倒されたあとだったので、ここは素直に頷いておいた。
◆◇◆
瞬く間に予選抜けを果たした金緑石――改め、黒衣の少年アレクは、魔力回復水をもらうためだろうか。まっすぐに受付テントまでやって来た。
係の女の子たちは、お揃いでシンプルな仮面を付けている。そのため、アレクがかなりの人気者でトーナメントの常連だということは、彼女たちの醸す雰囲気から容易に読み取れた。誰が彼に回復水を渡すかについて、カウンターの向こうでは熾烈な争奪戦が行われていたくらいだ。
そんな彼が、くるりと回れ右をする。受付横のベンチに座っていた私に近づき、「いいかな」と断りを入れて腰を下ろす。そのさまも「どうぞ」としか答えようのない優雅なもので。
やはり、相当家格の高い貴族の若様なんだろうな……と、自然に思えた。
吸い寄せられるようにじっと見つめていると、ふと見つめ返される。
その段でようやく気づいた。
彼の瞳は、よく見るとオッドアイだ。
右目が赤紫、左目が青緑。とてもめずらしい色なので、つい、ほれぼれと呟いてしまう。
「アレクの目は綺麗だね。だから『アレキサンドライト』なんだ」
「あ、わかった?」
「そりゃあ、ここまで近づけばね」
「ふうん」
――近づくと言っても、向こうは派手な鍔広帽を被っている。
よって、そこまで由々しい距離ではなかったにせよ、いたずらに生々しい記憶を刺激されては堪らない。
気付けば、仮の名で知り合った少年から、ぱっと離れていた。
アレクは「?」と、小首を傾げる。
「シルバって可愛いね。女の子みたい」
「!!! ふぇえっ!? いや、そんな」
ドキッとした。思わず狐の仮面に手を伸ばす。
落ち着け落ち着け。厚手の手袋も、喉元を隠す詰め襟も、性別を誤魔化すには一役も二役も買っているはず。
……はずなのだが。
(城にいた、あいつにはバレてしまった。当然アレクにもバレない保証はない――よね。残念ながら)
言い返せずにもたつく私に、アレクは大人びた笑みを浮かべた。「大丈夫。暴いたりはしないよ」
「!!? いま、なんて」
とんでもないキーワードを耳にした。驚きで息が止まる。
同じ言い回し。謎めいた笑みを別人もしていたのだから。
(単なる偶然? それとも……?)
固まる私に何も告げず、アレクはぐいっと残りの回復水を飲み干した。あっけらかんと独り言つ。
「うーん。不味い」
「だっ、だよねえ!?」
「うん。改良の余地がある。シルバもそろそろ飲んどきなよ。ほら、もう第七リーグが終わる」
「あ、本当」
かさねてびっくり。猛者はアレクだけではないらしい。ちょっと目を離した隙に消化試合が順当に進んでいたことにおののく。
総エントリー数、のべ百六十余名に対して、本戦に出られるのはたったの八名。
あの予選形式では高確率で乱戦になるものの、年に一夜しかない精霊祭においては最短時間で強者が残るシステムなのだと身をもって実感した。運営委員会恐るべし。
(私が本戦に進めたのは、幸運に感謝だな。彼と同じリーグでなくて良かった。エントリーカードを譲ってもらえたのも)
慌てて瓶を傾けて中身を一気飲みする私に、アレクが柔らかな視線を流す。
「さっきの続き。精霊祭で出会った相手の素性を探るのはご法度なんだけど。シルバは、どうして魔法トーナメントに?」
「……へ? 精霊王のメダルが欲しいから。それ以外の理由って要るの?」
「なるほど。ないね」
きっぱりと答える私に、今度はアレクが軽く驚いている。
あれ?
魔法トーナメントに、それ以外の旨味って、あったっけ……???
記憶を総ざらいするがわからない。何しろ、物心ついたときにはロスディアンを離れ、学園の初等科で寮生活を送っていたのだ。ひょっとして、自分の予備知識には決定的な不備があるのかも知れない――。
とっぷりと不安になり始めたころ、アレクは「ごめんごめん」と謝りながら私の頭を撫でた。仮装の狐耳の付け根、銀の地毛の辺りだった。
「間違ってないよ、正しい。それこそがこの催しの本懐だから。『彼』も喜ぶだろうな」
「彼?」
「最初に話したよね。エントリーカードを余らせてたのは、知り合いが参加を渋ったからって。そいつだよ」
「そいつ……」
「そのうちわかる。さ、行こう。トーナメントの組み合わせは、くじ引きだから」
「あっ、ちょ……! アレク!?」
ひょい、と空の瓶を奪われ、器用に二本を片手持ちしたアレクは、難なくもう片方の手で私の手を握った。立ち上がり、そのままテントへと引っ張られる。
(……?)
瞬間、ぴりっとした緊張が頬を掠めた。
誰かからの強い視線のような、咎めるような……。
前をゆくアレクが嘆息し、心底呆れたようにぼやく。
「やだねぇ、男の嫉妬って。怖いなあ」
「え、何? 何か言った? アレク」
「ううん。何も」
ずらり。
テントには数名の精霊姿の若者が集っていた。体格の差はあれど、どの参加者も魔法に長けた気配がする。緩んでいた気を引き締め、促されるままに差し出された木箱から一枚の紙片を取った。慣例として最終予選リーグの勝者には残りくじが与えられるのだとか。
(ままよ)
えいっ、とひらいた紙には「一」とあった。つまり第一試合。隣ではアレクが「八」と書かれた紙を広げ、ぴらぴらと指先に挟んでいる。
「うまくいけば、決勝かな?」
「……貴方と戦えるように、頑張るよ」
「いいね。待ってる」
「わっ」
目線では少し高い、アレクがおもむろに指で私の顎を持ち上げた。そのことに周囲で激しく嬌声があがる。主に、受付女子たちだ。ほか、うなじの辺りに刺さるようなまなざしも向けられている……気がするのだが??
毒を以て毒を制す。そんな感覚に似ている。おかげで緊張に強張っていた肩から力が抜けた。強力なライバルではあったが、アレク様々だ。
負けない。やれるところまでは必ずやり通す。そして、『精霊王のメダル』を……!
やがて深呼吸する私の前に大きなボードが運び込まれ、空欄だったトーナメント図の下方が次々と埋められていった。