10 魔法の一夜が明けるまで(後)
名目が“仮面精霊祭”である以上、夜が明けるまでは仮面が必須。それをドレスコードとする主催者も多いらしく、城のなかでは既婚者たちもこぞって洒脱な仮面を着けていた。
道化師、軽業師、楽士に正規の招待客。全員が思い思いの仮装をしている。
そんななか、あまり目元を隠していることに意味がないほど正体のわかりやすい紳士が酒杯を掲げ、朗々と音頭を取る。
「――乾杯! 新しい『精霊王』に」
「乾杯!!」
「乾杯! 精霊と人、ロスディアンの都に!」
あちこちで唱和され、鳴り響く繊細なグラスの音。頃合いを見計らってか、ホールの天井からは色とりどりの花びらが降り注ぐものだから、思わず仰天した。魔法の光もチカチカとまたたき、歓声に包まれたホールで束の間、目を瞑る。
「大丈夫? シルバ。唇に花びらが付いてる」
「え? ああ、ごめ……うわっ!?」
「取れたよ、愛しの君」
「ディ、ディアナさん。冗談は」
にっこりと笑うディアナは妙な迫力があり、何となく心臓に悪い。私は腰を引かせた。そして、どこにも逃げられない。
――なぜだろう? ホールに入ってからというもの、左には黒の精霊騎士。右には白の女神がいる。
ややこしいことに、どちらも性別逆転状態なのだ。
それを言うなら自分もなのだが……。
「頭いたい」
「困ったね。ごめんね? 王様ったら、ずいぶんがっかりしてたけど、しょうがないよね。真実は早めに伝えたほうがいいから」
「いえ、それはいいんだけど」
どぎまぎと、やたらと手の早そうな子息殿に触れられた唇を反射で覆い隠す。流し目でそれを見たディアナは、簾状の仮面から覗く口元を優雅に綻ばせた。
「王も無粋だね。まだ祝祭は終わっていないのに、君を王女の婿にと口説くなんて」
「お応えできず、申し訳ないことです……」
「気にすることないよ、シルバ。あのひと、いつも心配し過ぎなんだ」
「貴方は……いや、陛下が焦られたのは、王女殿下を大切に思われてるからこそだよ。『僕』では、どう足掻いてもクリソベリル殿下にそぐわないもの」
女だから、という台詞は、彼女たちに対しては辛うじて飲み込んだ。
◆◇◆
試合のあとは緊張の連続だった。
内密にと乞われ、控室でさっそく国王に打診されたときは、おかしな汗が滝のように流れたが、正直にお伝えして良かったと思う。
『僕』――シルバが女で、本当は貧乏貴族の娘であることを。
不敬は覚悟で、ライナック子爵家の名は出さなかった。両親や姉弟に迷惑をかけたくなかったからだ。
半分以上は、今日初めて拝謁した陛下のお人柄に賭けた決断だったが、かえってお気の毒になるほどしょんぼりされていた。お怒りにもならなかった。
「道理でね……。まるで、娘がふたりで戦っているようだったから」と。
寂しげに笑われては、再三の誘いを無下に断ることもできず。
よって、アウロラは楽の音が流れ出してもダンスをせずに済んでいる。
「王妃と踊るかね?」と問われ、「男性のステップは踊れません」と、とっさに訴えた。そこからの白状でもあったため、陛下のご厚情には徹頭徹尾、感謝しかない。
(良かった。思い切って、トーナメントに参加して)
喉の乾きをごくごくと手にしたシャンパンで潤し、ふわりと思考に霞がかかって、刹那、ぎくりとした。
――しまった。
固まるアウロラに、隣の子息殿がおだやかに問う。
「どうした? 酔ったのか」
「……いつもなら、これくらいは……平気なんですが」
「ああ。魔力をさんざん使ったうえ、空腹だったんじゃないかな。可哀想に。つらい? 良かったら、休める場所へ」
「ふたりきりは御免です」
「おやおや」
肩をすくめたディアナは、このときは、なぜかそこそこの紳士に見えた。
――……あとから思うに、それは眠気と酔いが見せた幻だったわけだが。
このときは、とにかく正常な判断力に欠けていた。頼みの綱のアレクは準優勝者として王妃に誘われ、ホールの中央で器用に男性パートのステップをこなしているし。
(あ、だめ。寝る)
ぐにゃり、暗転する視界。
傾いだ体を受けとめる大きな手に、意識はとろとろと蕩けた。
――――――――
数分後。
「あれ? ここにいた女装の精霊と私の友人は?」
王妃から開放されたクリソベリルこと、アレクが通りすがりの給仕に尋ねる。
給仕の女性は、ああ……と、訳知り顔で頷いた。
「精霊様でしたら、お疲れで眠ってしまわれた優勝者の少年を介抱すると。抱き上げて、連れて行かれましたが」
「!!? そう! ありがと!!」
仮面越しにもわかるほど、ぎょっと表情を引きつらせたアレクが駆け出す。
やばいやばいやばい。
あの精霊、あいつ、絶対シルバのこと……!
息せき切って備えの控室を回るが見当たらない。
アレクは、所在なさげに視線を窓に投げかけた。
「まさか、な?」
うっすらと夜の空気が白みつつある。
シルバは、少女だ。
あの男がそれに気づいての『不埒』を、先に仕掛けていたんだとしたら。予選リーグのとき、自分に向けられた大人げない敵意の根源もわかる。
古来より人懐こい精霊が、異性として人間を気に入った場合どうなるか。
火を見るよりも明らかだ。絶対、手に入れようとする……。
「大丈夫なのかな。シルバ。見るからに貴族だし、私より年下っぽいんだが……婚約者とかいたら大変だ。破談ものだぞ」
呟き、夜明けの瞬間にも仮装をかなぐり捨てての大捜索に踏み切ろう、と決意した。
精霊も友だが、シルバも好きだ。彼女が泣くような事態は、何としても防がなくてはならない。
ばさり、と黒いマントを外す。
踵を返し、足早に自室へと戻った。




