第七話 新春
季翠が虎雄を追いかけ回している内に、世間はいつの間にか新年を迎える時期となっていた。
……しかし今年の年明けは、近年稀に見るほど静かでさびしいものとなった。
宮中の新年行事は軒並み中止され、民にも皇太弟の喪に服するようにと再度通達がなされた。
その為都は新年にもかかわらず市場には活気がなく、時折故人の冥福を祈る祈祷の声が聞こえてくるのみだった。
しかしここ、伯虎雄の邸では————。
「あの……」
一応今は、喪中のはずだと思うのだが。
なぜ何事もなく正月料理が並んでいるのか。
そう。
ここだけ周囲と違う世界にいるのかと思うほど、いつも通りだった。
流石に邸の飾りつけまではしていないが……。
季翠の困惑に、使用人の老爺――かなり高齢で、伯家に古くから仕えている家臣だそうだ——は堂々と言い放った。
「虎雄様はどうでもいい方の喪には服されませぬ」
おい。
思わず顔が引き攣る。
流石にどうでもいいはどうなんだ。
仮にも相手は皇太弟だぞ。
しかも、それを当然とでも言うかのような態度だ。
このふてぶてしさは、一体どこからくるのだろうか。
「(不思議だ)」
伯家本邸の使用人達は、白虎城の使用人達のように季翠を軽んじたりはしなかった。
その言動、立ち居振る舞いに隙はなく、何より主の扱いに手慣れている風だった。
しかし……何というか良くも悪くも、邸の主人と似ているというか。
主が主なら、家臣も家臣である。
「(ここまでくるともう、なんて言うか……)」
とりあえず虎雄が死んだら、季翠も気にせず餅を食ってやろうと思った。
—―――しかし何だかんだ料理に手をつけるあたり、季翠も人の事を言えないのだが、生憎と本人は気付いていなかった。
*
結局、季翠がばあや——劉夫人がいるという所を訪ねることができたのは、年が明けて半月経った頃だった。
その間というもの、兄姉のことが気掛かりで仕方なかった。
しかし今のところ姉が捕らえられたという話はなく、季翠は安堵した。
その代わり四方八方自分を探しているとの話を聞いた時は、流石に心が痛んだが。
駄目元で虎雄に連絡を取れないかと聞いたが、一蹴された。
近衛は、季翠を手ぐすね引いて待ち構えているとのことだった。
しかも普通の近衛ではなく、例の烏隊が。
虎雄は塀の外に目を遣って言った。
「お前の居所など、とうの昔に割れている。この邸は内側はともかく、外側は常に監視されている」
……それは。
「(養子が養父を監視しているとでも……?)」
随分な話だ。
不仲なのだろうか。
……まあ。
これが父親というのは、誰でも嫌か。
邪念が伝わったのか——虎雄の目が瞬時に、不機嫌な虎の目のようになる。
「今は俺の庇護下にあるから手を出されないだけで、皇宮に戻ればすぐにこの世とおさらばだろうな」
「お前とは短い付き合いだったが、精々地獄で達者でやれ」
地獄行き確定か。
いや、天国に行けるような善行も積んでいないことは確かだが。
しかし何故だろう。
「(この人にだけは言われたくない)」
そんなこんなで時折険悪な雰囲気を漂わせながらも、季翠と虎雄は同じ屋根の下、適度な距離感を保ちつつ日々を過ごしていた。
—―――そして現在。
そのばあやが滞在しているという”とある邸”に来ているわけであるが。
「ここは……」
開け放たれた門から入ったそこは……。
一言で言えば、お世辞にも綺麗な邸ではなく。
少し古そうな、いや、かなり古そうな。
……つまりは、何とも風情ある古き良きぼろ邸であった。
積もった雪で誤魔化されているが石畳は剥げかけ、所々地面が剥き出しになっているし、邸を囲む塀も囲む意味があるのか甚だ疑問なほど崩れかけている。
建物は手入れをされているようだが、瓦が今にも落ちかかっているところが何か所か見受けられる。
大丈夫なのか、これ。
虎雄に頭を下げて、ばあやも伯家邸に滞在させてもらえるように頼もうかと季翠が思案していると。
「まあ……翠様」
邸から、一人の老婆が出てきた。
その姿を見た途端、どうしようもなく慕わしさが溢れた。
「ばあや……」
「まあまあまあまあ、すっかり御立派になられて」
老婆——季翠の乳母である劉夫人は駆け寄った季翠の前で、動作はゆっくりながらそれは優雅な礼をとった。
「そんな、一年も会っていなかったわけでもないのに……」
大袈裟だと苦笑する季翠に、彼女は垂目がちな目に慈愛の色を浮かべた。
「いいえ。男子三日会わざれば刮目して見よと申しますが、それは姫君も同じことですわ」
季翠の乳母・劉夫人は、上品な老女である。
年代は雀紅松や、劉宰相、張副宰相と同年代くらいだろうか。
元々長年宮中に仕えていた女人なだけあって、姿勢は美しく、実に矍鑠とした女性である。
久方ぶりの再会を喜び合った後。
「本当は、帝都に着いてすぐに翠様にお会いしたかったのですが……」
彼女は、悲し気に目を伏せた。
劉夫人は、喪服姿だった。
大影帝国の葬送の礼服は、全身白装束である。
白は、伯家の色であるのだが。
どちらかと言えば元々白が「死の色」だった為、伯家は代々その色を纏ってきたというのが正しかった。
歴代の伯家当主は、戦場において敵に死を贈るという意味をその色に持たせ、好んで纏ったのだ。
「蒼旺様が、亡くなられたと……」
蒼旺様。
どこか親愛を感じる言い方だと、思った。
「……親しかったの、ですか」
「わたくしは元々、陛下の御側にお仕えしておりましたので」
もう何十年も前の事でございますが、と彼女は寂しそうにそう言った。
「蒼旺様は父親代わりであった陛下の庇護の元、御育ちになられました。その為わたくしも夫と共に、幼い蒼旺様と共に過ごすことが多くございました」
「………………どんな、人だったのですか」
季翠の問いにすぐには答えず、夫人は微笑むと邸の中へと促した。
「ここは冷えます、続きは中でいたしましょう。……長い話となるかもしれません」




