第九話 従姉
第九話 従姉
室内に、楽しそうな笑い声が響く。
季翠は姉に、夢中で会えなかった日々のことを話して聞かせた。
その様子は、まるで母親に甘える幼子であった。
ちょうど、話が帝都に来たときの話になると、碧麗がそういえばと、四狛に目を向けた。
「私としたことが配慮が足りなかったわ。季翠、後ろの武官殿はどなたなの?」
「あ……ご紹介し忘れておりました。私の護衛武官の、四狛殿です。西牙から共に参りました」
「しっ、四狛と申します‼近衛将軍配下の武官でございます!この度、季翠殿下の護衛武官の命を拝命いたしました‼」
美しい皇女に話しかけられ、四狛はすっかり舞い上がった。
「まあ、近衛将軍の……烏竜殿はお元気でいらっしゃいますか?」
「あ、いえ、自分は将軍の配下ではあるんですが、ずっと西に詰めておりまして……。実のところきちんと面識はないんです」
「そうなんですか?」
四狛の返答が意外で、季翠は思わず間に入って聞き返す。
「ええ。姫様……と、季翠様の護衛武官の任を賜った時も、書簡で任命されたんです。とはいえ、名指しでしたのでどこかで俺のことを認識はしてくださっていたのかとは思いますけど」
「そうですか……息災でいらっしゃると良いのだけれど」
「確か、烏竜将軍は姉上方の護衛武官でいらっしゃいましたか……?」
「ええ、そうよ」
碧麗は一層美しい極上の笑みを浮かべ、微笑む。
「烏竜殿はとてもお優しい方よ。きっと季翠の為になると思って、四狛殿をお付けになられたのね」
季翠にとって、烏竜という人もまた皇帝同様遠い存在の人物であるため、姉の言葉には何となくで頷くことしかできなかった。
それから姉妹は夕食を共にし、夜が耽るまで久方ぶりの再会を楽しんだ。
*
翌朝、すっかり夜ふかしをしてしまった季翠は、寝ぼけ眼を擦りながら起床した。
季翠が宮として与えられたのは、姉の宮のほど近く、後宮でも外廷に近いところであった。
ちなみに、後宮は男子禁制が解かれているため、四狛も同じ宮の別棟で寝起きすることとなった。
姉たちがいるとはいえ、やはり近くに四狛がいるのは季翠としても心強かった。
身支度と朝餉を済ませ、少しのんびりしていると、
「失礼いたします」
四狛が何か書簡を持って室に入ってきた。
「姫様、皇子殿下の使いから書簡を受け取りましたよ」
「書簡?」
季翠は四狛から書簡を受け取ると開く。
四狛もそれを横から覗き込む。
「何て書いてあります?」
――――本日、戌の刻(午後八時)に護衛武官と共に、一人で室に来るように。
「……だそうです」
「簡潔っすね」
書簡にはそれ以外何も書かれていない。
単純な兄妹の再会ならいいが、今回は今後の季翠の身の振り方について話されるはずだ。
話は室に来てからだ、ということか。
「しかし、鶯俊殿下ってどういう方なんです?」
「……私も、よく知りません。兄上とは、あまりお会いしたことがないのです」
手紙のやり取りを頻繁にし、西牙にも度々訪ねに来てくれていた姉の碧麗と違い、兄の鶯俊とはほとんど会ったことがない。
あったとしても、一、二回白虎城の視察の際に軽く挨拶をした程度だ。
ほぼ初対面といっても良いだろう。
噂では、文武両道で威風堂々とした、この大影帝国の次期皇帝に相応しい皇子だと言う。
確かに、一、二回会った兄の印象も、幼い頃の記憶とはいえそれと相違ない。
何はともあれ、この皇宮における季翠の現在の保護者とも言える人との対面だ。
心して掛からねばなるまい。
トントントン
「失礼いたします」
「何だ?」
室の外から聞こえたのはこの宮付きの侍従の声だ。
「皇太弟殿下の姫君が、皇女殿下に御挨拶をしたいと先ぶれを送られてきました」
「皇太弟殿下の姫?」
季翠と四狛は顔を見合わせる。
「お断りになるのであれば、追い返しますが」
「ま、待ってください!会います!そうご返事してください」
侍従のまさかの発言に、慌てて了承を伝える。
「かしこまりました」
*
侍従に了承の返答をしてしばらくすると、室の扉が控えめに叩かれる。
「し、失礼いたします」
「どうぞ」
入ってきたのは、十六、七歳くらいの、季翠より少し年上の少女だった。
後ろに、彼女の従者であろう三十前半ほどの男もいる。
「お、お初にお目にかかりますわ。第二皇女殿下」
「皇太弟・蒼旺が第七子・蒼鈴と申しますわ。よ、よろしくお見知りおきくださいまし」
そう言って拱手し頭を下げた従姉は、こちらが恐縮してしまうほど、ガチガチに緊張しているのが一目見て分かった。
「季翠と申します。こちらこそお初にお目にかかります、蒼鈴従姉上」
「あ、従姉上なんて!わ、わたくしはただの皇太弟の娘ですわ!」
「従姉上は私よりも年長でいらっしゃるのでしょう?ならば従姉上です。どうか私のことも、季翠とお呼びください」
「わ、わかったわ」
季翠の申し出に、蒼鈴は戸惑いながらも頷く。
季翠は、自然と笑顔を浮かべることができた。
(お可愛らしい方だ……)
*
蒼鈴という従姉は、とても可愛らしい姫であった。
少しおどおどとした表情が多いのが玉に傷だが、長い睫毛に、自然と色づいた薄桃色の頬、派手ではないが目を惹く華やかさと愛らしさを持っている。
季翠は蒼鈴を室に招き入れ、お茶をすることにした。
お互い気が合ったのか、二人はすぐに打ち解け、会話が弾んだ。
やがて、お互いの身の上話になる。
「わたくしの母はね、身売りされて後宮の下女になった女人だったそうよ。お兄様、他のお姉さま方は、お父様のお邸やそれぞれのお母様方の実家で育ったけれど、わたくしはお母様の身寄りが後宮にしかなかったから……皇帝陛下のご恩情で後宮に居場所をいただいて育ったの」
「けれど、皇女でも妃でもないのに後宮に居所をいただいているから、卑しい出自に加えて、図々しいと後宮でも白い目で見られているわ」
先ほどの侍従の対応も、そういう事情からだったのかもしれない。
「私も同じです」
「え?でも、貴女は皇帝陛下の姫君でしょう……?」
「そうですが……私も、後見人から嫌われていましたから」
「私は西の都・西牙で育ち、後見人は大将軍の伯虎雄将軍でした」
「幼い頃からずっとこう言われて育ちました。
――――どうしてお前は男に生まれなかった。皇子にさえ生まれていれば、あんな小僧に次期皇帝の座を奪われなくて済んだのに……と」
虎雄は、兄の鶯俊を毛嫌いしていた。
今なら分かる。
虎雄は、兄姉妹の中で最も皇帝に似ていながら、女に生まれた季翠のことが我慢ならなかったのだろう。
たとえ男に生まれていたとしても、あの人とうまくやっていけていたとは思わないが、確かに女に生まれるよりはマシだったのかもしれない。
そして主が軽んじるものを、下の者たちも同様に軽んじる。
白虎城に、季翠の居場所はなかった。
本来、皇族は後見人の居城に身を置くそうだが、季翠はむしろ城下の邸で良かったと思っている。
あんな所にずっと居たら、息が詰まりそうだ。
「伯大将軍は、とても厳しい御方だと聞くわ……」
「はい……」
気の毒そうに顔をしかめる蒼鈴に、季翠は曖昧に頷く。
厳しいというより、あの人は自分が忠誠を誓う皇帝以外の人間が、嫌いなのだ。
むしろ、あの人が気に入る人間がいるのなら見てみたいとすら季翠は思う。
「でも良かったわ。季翠ちゃんが来てくれて。これからよろしくね」
「もちろんです、従姉上。こちらこそ、よろしくお願いいたします」