第三章:後宮編 エピローグ
第三章:後宮編 エピローグ
—―――三十一年前。
「先生‼早く早く‼」
「御待ちを、皇子殿下」
皇宮の回廊を、一人の少年が元気よく駆けていた。
年の頃は十歳ほど、浅葱色の衣の袖が軽やかな動きに合わせて踊る。
それを追いかけるのは、白衣の官服を纏った医官と思われる四十ほどの男である。
「早く行かないと兄様のお出迎えに遅れてしまう……‼」
少年が目指しているのは、もうすぐ彼の兄が帰還する皇宮の門であった。
「兄様は御怪我などされていないだろうか」
「御安心を、そのような報告は受けておりませぬ」
まさに龍神の如き戦い振りであったと、聞き及んでおります。
医官の言葉に、少年は我が事のように誇らし気に胸を張った。
「当然だ!兄様は誰よりもお強いんだからな!」
民の中には、あの伯虎雄の方が武では優れているなどと口にする者がいると聞くが、実に不敬な話である。
だいたい、あの男は兄様に馴れ馴れしい。
「(僕が大きくなって宰相になったら、あんな奴僻地に追いやってやる)」
興奮している少年を、医官が優しく窘めた。
「蒼旺様、もう”陛下”と御呼びにならなければ」
「あ……そ、そうだったな」
兄は帰還後、正式に皇帝として名乗りを上げる。
影国も、「大影帝国」と国名を改めるのだ。
わああと、民の歓声がだんだんと翡翠城に近づいているのが聞こえ始める。
我慢できず再度駆け出し、やや息を切らしながら門前の大階段に辿り着いた蒼旺は、頬を紅潮させながら兄の一行を待ちわびた。
やがて、重厚な門が音を立てて開かれる。
しかし、いつもなら馬に乗って帰還する兄の姿が見つからない。
その代わり、一台の馬車が一行の真ん中に守られるようにして城内に入ってきた。
「(兄様が馬車を使うなんて珍しいな)」
やはり、報告がないだけでどこか怪我をしたのでは……途端に不安になる蒼旺の顔が曇る前に、驚くべき光景が目に飛び込んでくる。
馬車から颯爽と出てきた兄が、見たこともないほど嬉しそうな顔で中から誰かを抱き上げたのだ。
その表情は、酷く人間らしさを感じさせるものであった。
……いや、どちらかと言うと。
その表情を見て初めて、今まで見てきたものが人間味を感じないものであったと、気づいたという感じだろうか。
蒼旺はそれを見て、何故だかとても嫌な気持ちになった。
兄が嬉しそうなのは、彼にとっても嬉しいことのはずなのに。
まるで、美しい絵に墨を一滴垂らされたような。
見事な玉の細工物の一角が、ほんの少しだけ欠けていたのを見つけた時のような。
美しい螺鈿細工が、一枚剝がれていたのを見つけた時のような。
何とも形容しがたい、しかし無視できぬほど強い、不快感だった。
驚いているのは蒼旺だけではない。
周囲の全員が、目の前の光景に言葉を失った。
兄が抱き上げたのは、一人の娘だった。
遠目からでも分かる。
何の変哲もない、凡庸な、そこら辺にいる娘。
その日。
完全無欠の皇帝に、唯一の汚点が生まれた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
五部構成で、あと二部分で完結予定です。
どうか最後まで、大影帝国の人々の物語にお付き合いくださいますよう、お願いします。
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