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大影帝国記【完結!】  作者: aberia
第三章 後宮編
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第三十三話 逃れられぬ過去

第三十三話 逃れられぬ過去



 —―――北・玄武城。

 ようやく初雪が降り始めた帝都に対し、帝国の北に位置する北陵(ほくりょう)はすっかり銀世界に様変わりしていた。



「……戰毅様は、この茶葉は気に入ってくださるかしら」

「奥様がお選びになられたものですもの。きっとお喜びになられますわ」

 控えめに零された鷺舂(ろしょう)の言葉に、侍女が優しく答える。



 あの北を騒がせた騒動から、早半年近く。

 ここ——玄武城では、事件前の穏やかな空気がすっかり戻っていた。

 しかし、城内では事件前と変わったことが三つあった。



 一つは、新たに葵家に家族が加わったことである。



 嫡子である葵戰華(きせんか)の婚約者・蒼鈴(そうりん)

 季翠の心配を他所に、彼女は葵家でうまく居場所を作り上げていた。

 未来の夫である戰華とは相変わらず口喧嘩が絶えないが、城内では早くも名物として微笑ましく受け入れられつつあった。



 二つ目は、玄家三男が訪れるようになったことである。



 長兄が引き起こした事件の折、玉翡に命を救われた彼は、再建された玄家邸に戻ってからも何かと理由を付けて彼女を訪ねてきていた。

 父親譲りの女遊びの悪癖もすっかり鳴りを潜め、彼を知る者達は驚愕した。

 しかし今までの軽薄振りはどこにいったのか、一途に通うくせに肝心の玉翡の前では照れてばかりのヘタレ振りであった。



 そして最後の一つ。

 それは、城主夫妻の関係であった。



 変わったのは、主に夫である葵戰毅(きせんき)の方であった。

 彼は、今までの互いに不可侵の態度を貫いていた夫婦の間の暗黙の了解を破り、妻の生活に足を踏み入れ始めたのだ。



 と言っても、執務終わりに室に足を運び、半刻ほどただ茶を共に飲むだけというものであったが。

 ちなみに「昨今の少年少女でもまだ先に進んでいる」と、副官からは実に不評である。



 しかし、今までの彼らの関係から考えれば、大きな進歩であった。

 子ども達や侍女達、古くから仕えている家臣たちは主夫妻の変化に好意的で、温かな眼差しで見守った。

 


 鷺舂はというと、最初は夫の変化にただただ戸惑うばかりであった。

 彼女はあれ以来、更に室に閉じこもるようになっていた。

 


 あの一件以来鷺舂の心は、すっかり二十年前に引き戻されたと思われたが……。

 戰毅の不器用な歩み寄りは、彼女の凍てついた心を、僅かではあるが少しずつ溶かしつつあった。



 今も、茶会で飲む茶葉を選んでいたところだった。

 そこに、侍女がもう一人やや落ち着かない様子でやって来た。



「奥様」

「殿がいらっしゃいました」



「え?」

 こんな時間に訪ねてくるなど、初めてのことだった。



「鷺舂」

 先触れからすぐに、戰毅が足早に室に入ってくる。

 


「戰毅様」

 よく見ると彼の表情はやや険しく、手には書簡を握っていた。

 嫌な予感がした。



 あれからもう半年。

 あれ以来、何の音沙汰もなかった。

 


 あの伯飛という男の様子からして、彼らの行動は皇帝の指示によるものではなさそうだった。

 それに……戰毅が、助けに来てくれた。

 だから。



 だから、もしかしたらこのまま……。

 彼と娘達と共にいられるのだと、そんな甘い幻想を、いつの間にか自分は抱いてしまっていたのかもしれない。



 戰毅が、彼らしくなく重そうに口を開く。

「……先ほど、帝都から早馬が到着しました」

「小翡を、妃として後宮に入内させるように……と」



 頭上から冷や水を浴びせられたように、さっと血の気が引く。

 室内は温かいはずなのに、まるで首から上だけ外の雪景色の中に居るようだった。



「私が断り切れなかったせいです。本当に申し訳ありません」



 それは……致し方ないことだろう。

 帝国の首脳陣の中で、葵戰毅は末席も末席の若輩だ。

 むしろ、今までよく鷺舂の願いを聞き入れてくれていた。



 震える唇を開く。

 それでもなお、望みを捨てきれなかった。

「……お断りすることは、もう……できないのですか」



「皇子殿下のお妃が、すでにお二人、お里下がりが決まったそうです」

 妃に欠員が出たら、玉翡を入内させると皇子妃選定の会議で言質を取られたのだと言う。

 口添えしてくれる黎公は、すでに亡い。



「っ……‼」

 行くというのか、あの地に。

 行かせるというのか、あの子を。 



 そんなことになれば……。

「(小翡は、殺されてしまうかもしれないのよ……っ‼)」

 もう()()()()()()()()であろう今、玉翡の存在が不都合な人間は中央に大勢いるはずだ。



 もしかしたら、命を奪われるとまではいかないかもしれない。

 しかし確実に、望まぬ争いに巻き込まれることになる。



 玉翡が帝都に行き、人目につけば、彼女の「正体」に気づく者が出てくるかもしれない。

 そんなことになれば……。

 それに何より。



 —―――”あの子”。



 二十年前。

 鷺舂が置き去りにしてしまった、あの子。

 半年前。

 一瞬だけその姿を見た、あの子。



 もしも。

 もしもあの子が、己の正統性を守る為に、玉翡を殺そうとしたら。



 そんなことになったら、鷺舂はもう二度と、立ち直ることはできない。



「……わたし、も、いっしょに……」

 一人でなど、とても行かせることはできない。



 何があろうと、玉翡だけは守らなければならない。

 それが、罪人の己にできる、せめてもの贖罪だ。



 罰を受けるべきなのは、玉翡でも、……ましてやあの子でもない。



「ええ、私も同行するつもりです。ですが鷺舂、貴女は——「殿‼」」

 そこに、酷く焦った様子の兵が飛び込んでくる。

 女主人の室への礼を失した入室に、侍女が抗議の声を上げる。



 只ならぬ様子で、何か重大な問題が発生したことは明らかであった。 

「……っ何事ですか」

「一大事にございます‼至急御戻りを‼」



「戰毅様……」

「すみません、また戻り次第話しましょう。小翡の支度を、頼みます」

 外套を翻し、戰毅は兵を連れて慌ただしく出て行った。



 彼女の無意識に伸ばした手は、空しく空を切った。



 あの夜から数日。

 皇太弟の訃報が、正式に国中に伝えられた。



 帝都の民は喪に服すよう通達が下り、宮中では厳かな葬儀が執り行われた。

 皇宮の者達はそれぞれの思惑を胸に抱えながらも、表面上は礼節に則り喪に服した。



 しかし、故人の死因は伏され、また宮中から第二皇女の姿が消えた。

 不可解な皇族の死と失踪に、官吏達は好き勝手に噂や憶測を巡らせた。



 ――――帝都の北。

 寺院が点在する山近くのそこ。



 雪が降り積もる、長く険しい石畳の先には、山の中に隠された宮。

 そこに、緑龍は居た。



 室内でしどけなくくつろぐ姿は、常の皇帝然とした人物とまた違った印象を与えた。

 彼は独り言とも、傍らの人物に問いかけているとも分からぬ口調で零す。



「賽は投げた。天が選ぶのは、一体誰なのだろうな」



 残った我が子か。

 それとも……。



「なあ、我らの子等はどう動くのだろうな————雨鳥(うちょう)

「……」

 寝転んだ緑龍に膝を貸す女人は、それに返事を返すことはなく、静かに目を閉じた。

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