第二十四話 無二の忠誠を、あなたに
第二十四話 無二の忠誠を、あなたに
「御加減はいかかですか、陛下」
————皇帝の宮。
「良くないな。秋頃から一気に悪くなった」
「そうですか……」
「そんな顔をするな」
「今日はお前に折り入って頼みがあって、わざわざ西から来てもらったのだ」
虎雄。
*
淑妃は、何も言わなかった。
無言は、肯定の意味だ。
対して季翠は、泣きそうだった。
否定してほしかった。
しかしその願いは伝わることはなく、彼女は深いため息を吐くと、椅子から立ち上がって窓辺近くに行った。
「それで?翠姫様はどうなさるおつもりですか」
私を真犯人として、近衛に突き出すおつもりですか。
背を向けられ、その表情は伺い知れない。
「いいえ……」
先日の龍青宮の下手人は、女だった。
徳妃の侍女に確認させたところ、その顔が、香を届けた賢妃の侍女の顔と一致したのだ。
これにより、香の事件もこの下手人の仕業だろうということで、調査は打ち切られた。
今更蒸し返したところで、相手にされないだろう。
真犯人は淑妃であると言ったところで、実行犯は死んでおり、客観的な証拠もないに等しいのだから。
ただ季翠は。
「……して……」
「……どうして、こんなことをしたのですか、紅蕣……」
「どうして……」
「どうして……?」
季翠の問い掛けに、彼女は不思議そうに同じ言葉を繰り返した。
なぜそんな分かりきったことを聞くのかと、そう言わんばかりに。
「兄上の御寵愛を、独占するためですか」
彼女は前に言っていた。
————妃として入内した以上、家の為に寵愛を求めるのは務めだと。
「その為に清徳妃を殺そうとし——「翠姫様は、」」
紅蕣が振り返った。
逆光でその表情は定かではない。
「翠姫様は、姉君がお可哀想だとは思われないのでしょうか」
静かな、問い掛けだった。
「………………え?」
思いもしなかった質問に、最初、何を聞かれたのか分からなかった。
なぜ、いきなり碧麗の話になるのだろうか。
日没が近いのか、夕日の光が一層強くなってきた。
窓から差し込む茜色が、紅蕣の体を包み込む。
纏っている紅色も相まって、まるで彼女自身が燃えているようだった。
「私はずっと不憫でならなかった……」
どこか悲し気な声だった。
「賢く、慈愛に満ち、この世の誰よりも美しい私の碧麗様。私は姫様を心から敬愛しております、あの御方の為なら、何だってして差し上げたいと思ってきた」
それなのに。
歌うように話されていた言葉が止み、拳が握り締められる。
「姫様は女だというだけで、一生あの男よりも上に立つことはできない。双子でも、姫様とあの男の間には明確な差がある。皇としての資質はあの男と変わらないのに、ただそれだけの理由で」
異国では、皇女や王女にも継承権がある国は珍しくない。
しかしこの大影帝国では……。
どうしてと問うのなら。
彼女は季翠の返事を待たず続けた。
「翠姫様、では私も聞かせてください」
彼女は一歩、窓辺からこちら側に足を踏み出した。
「なぜ皇女というだけで、私の姫様が、偽物の皇子の下に置かれなければならないのですか……」
変わらず冷静な声音だった。
しかし。
————隠し切れない憤りが、そこには含まれていた。
「……‼」
”偽物の皇子”。
紅蕣は、はっきりとそう言い放った。
「あの男の寵愛など興味はありません。必要に迫られたからそうしたまでのこと」
酷く冷たく、感情の籠っていない言葉だった。
「……あの男って、鶯俊兄上の、ことですか」
どくどくと、心臓の鼓動が不自然なくらい自分の体から聞こえた。
「兄上、ですか」
紅蕣は皮肉な笑いを見せる。
「あの男は、姫様の双子でもなければ、貴女の兄でもないのですよ」
「愚かな侍女が本物の皇子と取り替えた、どこの生まれとも分からぬ偽物」
卑しい乳母子如きが畏れ多くも皇子を名乗っているなど、何と悍ましい話でしょうか。
————それは、季翠が必死に否定し、耳を塞いできたことだった。
紅蕣の声は、蔑みに満ちていた。
彼女にこんな声を出せる一面があるのだということを、季翠は知りたくなかった。
「……ただの、噂、じゃないですか」
口差がない者達が噂する、あんな話を信じるというのか。
——今だけは、府庫で見た記録のことを忘れたかった。
「ええ。私も幼い頃はそう思っておりましたよ」
でも、と紅蕣は続けた。
いつの間にか、季翠の体は小刻みに震えていた。
「”とある高貴な御方”から、真実をお聞きしたのです。確かな身分の御方です」
その人物が、鶯俊の正体は取り替えられた偽物だと言ったのだと言う。
本物の皇子の行方は知れず、皇統を守る為に碧麗を女帝に立てるべきだと。
「その人の話を鵜吞みにしたのですか……‼」
思わず声を荒げる。
誰に何を言われたか知らないが、本当かどうかも分からないのに……‼
非難する季翠に、しかし紅蕣は私を誰だとお思いですか、と強い口調で言い返した。
「祖父にも確認しました。独自に当時のことも調べましたが、これが真実です」
むしろ、偽物ではないと証明することの方が難しいでしょう。
紅蕣の祖父————高官たる雀紅松もまた、否定しなかったというのか。
鶯俊は、皇子ではない。
そんなはずはないと首を振る季翠に、紅蕣は断言した。
「だから妃達にも後宮を出て行ってもらったのです。あの男に子種を残されては堪りませんからね」
妃……”達”?
「張貴妃なら、あの男の本当の出自を教えたらすぐに里下がりしてくれました」
つまり張貴妃の突然の里下がりは、紅蕣が仕組んだものだったのだ。
「張貴妃さえいなくなってくれれば、後は簡単でした。甘やかされた清家の小娘など、敵ではありません」
烏竜将軍が出てこられるとは思いませんでしたけど、結果は変わりませんでしたし。
「本当は賢妃にもいなくなってもらうはずでしたが、翠姫様が庇い立てなさるから」
そこで初めて紅蕣は、厳しい目を季翠に向けた。
「すっかり北の姫に誑かされて……。前は、私たちのすることに疑問など持たれなかったのに」
私と姫様の可愛い翠様だったのに、いつから変わられてしまったのでしょうか。
悲しそうに眉を下げられ、思わず反射的に謝ってしまいたくなる。
しかし。
「………………変わったのは貴女の方じゃないですか」
酷く擦れた声が出た。
項垂れつつある季翠に対して、紅蕣はしっかりと立って季翠を見据えていた。
「私は何も変わってはいません」
「今も昔も、私は姫様を————碧麗様のことだけを想っています」
変わったのは季翠なのか、紅蕣なのか、二人共変わっていないのか。
それともやはり鶯俊にも言われたように、季翠の方が変わってしまったのか。
「私は私の皇を、必ずこの国の頂に立たせてみせる————」
握り締められた拳の音が、聞こえてくるようだった。
「その為だけに私は、この後宮にやって来たのですから」
自分が変わってしまったから、紅蕣が知らない人のように見えるのだろうか。
少なくとも季翠の前にはもう、お姉さんぶっていた、素朴で愛らしい彼女はいなかった————。
「最後に聞かせてください…………」
季翠は滲んだ涙を乱暴に拭った。
「貴女がくれたお茶」
ぴくりと、紅蕣は微かに反応を示した。
「あれも医官に調べてもらったのです」
「……最初から私を疑っていらっしゃったのですね」
恨みがましい言葉に怯みそうになるが、季翠は続けた。
「……流石、後宮担当の医官ですね。匂いだけで、何のお茶か分かったようです」
「それから、外の鉢植えに植えられている植物」
「異国の植物、だそうですね。皮膚の薬としても使われる物だそうで、医官も知っていました」
なぜ季翠がこの話を始めたのか、それはこの茶と植物、この二つに後宮ではあってはならない共通点があったからだ。
「…………二つ共、同じ作用を持っている。それは、
————子宮を収縮させる効用です」
「妊婦が服用すれば、流産を引き起こす可能性がある」
次代の皇帝を育むために存在する後宮で、まず所持してはならない代物だ。
「……私がこれらも誰かに盛ろうとしたと?」
「いいえ」
季翠は、今から酷く恐ろしいことを口にしようとしていた。
「…………あれらは、貴女が使うものなのでは、ないのですか」
季翠の問いに、彼女は何も言わず、ただ、笑った。
ああ、どうか嘘だと言ってくれ。
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