第二十話 毒香
第二十話 毒香
宦官についていき、辿り着いたのは龍青宮であった。
宮の入り口に来た時点で、何やら言い争うような、慌ただしい雰囲気が伝わってきた。
中は酷い有様だった。
「貴女が香に毒を混ぜたんでしょう‼」
「何度も言っているでしょうっ!私はそんな物、貴女に贈ったりなんかしていないわ‼」
言い争っているのは清麗辰と玄思黎だ。
清徳妃は侍女頭に守られるように抱き抱えられており、その腕の中で涙目に顔を真っ赤にして賢妃に怒りの罵声を浴びせていた。
対する思黎は、唇を噛みしめながらも毅然と立ったまま応対していた。
しかし、何度も同じ詰問をされたのかその声色には苛立ちが強く滲んでいた。
「お二人共、少し落ち着いてください」
間に入っているのは碧麗だ。
第一皇女まで呼びつけるとは、一体何事なのか。
「贈り物を装って毒を盛ろうとするなど、なんて卑劣な……」
「所詮妾腹の姫ですもの」
「無礼な‼」
「賢妃様はそのようなことをなさる方ではないわ‼」
徳妃と賢妃の侍女達も、主につられ罵倒を浴びせ合っている。
「何があったのですか」
とてもではないが、渦中の妃たちにも、それを仲裁している姉にも事情を聞くことができず、ここまで案内をしてくれた宦官に経緯を尋ねる。
「玄賢妃より清徳妃に贈られた香に、有害な物が混入していたのです」
「香を焚いていた徳妃の侍女が煙の出を確認するために香炉を覗き込んだところ、悲鳴を上げて倒れたそうです」
……侍女は今医官に診察を受けていますが、気管が酷く爛れており、最悪失明する可能性もあると。
なんて事だ。
「同様の香が、雀緋宮からも回収されています」
「雀緋宮?」
なぜ思黎から清徳妃に贈られた物を、紅蕣が持っているのだ。
「受け取った香の一部を、徳妃が雀淑妃にお分けになられたそうで」
「……そう、ですか」
「香は今、医官たちが成分を調査しているのですが……」
宦官はそこで言葉を切る。
「————賢妃が、自分はそんな物は贈っていないと仰るのです。毒を混入したしていない以前に、そもそも香など徳妃に贈っていない、と」
「それは……」
ぱんぱんと、手のひらを打つ音が室内に響く。
「とにかく、此度の事件の詳しい調査を致します」
「つきましては、お妃様方には各自の宮で待機していただきます。くれぐれも御協力いただくようにお願いしますわ」
第一皇女の言葉に皆がぐっと押し黙る。
「なぜわたくしまで……!調べるのはこの女の宮でしょう⁉」
しかし、清徳妃から拒絶の声が上がる。
「この女がわたくしに毒を盛ろうとしたんだから……‼」
「清徳妃、それを明らかにするためにも御協力いただかなければならないのです」
「っっっ……‼分かりましたわ、皇女殿下」
碧麗の念押しに清徳妃は渋々頷いたが、承諾するや否やきっと思黎を睨みつける。
「早くわたくしの宮から出て行ってちょうだい‼」
言われずとも帰ると言わんばかりに、思黎はさっさとその場を立ち去る。
「……とんでもないことになりましたね」
四狛の言う通りだった。
*
「これが例の香ですか」
燃やさなければ害はないそうだが、何かあっては誰かの首が飛ぶと、鼻と口を覆う布に加え手袋を渡される。
同じく手袋をした医官の指が、木の皮部分だけが丸まったような物を摘まむ。
「主に桂皮を中心に調合された香のようです」
今摘まんでいるのが桂皮か。
香りはともかく、実物は初めて見る。
碧麗が好まないため、あまりこれが使用された香りは近くで嗅いだことがない。
「そして侍女が重傷を負った原因が、これです」
医官は桂皮を置くと、別の香木らしき物を摘まんで掲げ見せる。
見た目では分からないが、燃やして人体に害を及ぼすというと……。
「夾竹桃、ですか」
「御存知でいらっしゃいましたか」
医官が意外そうに目を開く。
夾竹桃とは、焚火に使用してはいけない植物で一番最初に挙げられるものだ。
乾燥した状態でも燃やすと毒素を発し、中毒を起こして死に至る。
野営の作法で、新兵が一番最初に習うものだ。
「良く知ってましたね、姫様」
「そういう軍事関連の知識は、暗記するまで覚えさせられたもので」
ははあ、伯大将軍の教育の賜物ですか、と四狛は軽口を叩く。
しかし夾竹桃か。
「正直、珍しくもなんともない植物ですね」
後宮にも、園芸植物として普通に植えられているそうだ。
流石に燃やすと有害なことを知っているのは武官くらいだろうが、知識さえあれば誰でも利用できる。
そこら辺に植わっているのなら、尚更。
足がつく可能性がある毒を使わないあたり、今回の事件の犯人は随分と賢いようだ。
「で、姫様はどうお考えなんですか」
「何がですか」
「賢妃のことですよ。本人は否定していますけど、現時点で一番疑いが強い」
思黎は変わらず、自分はそんなことはしていないの一点張りだそうだ。
徳妃に香など贈っていないと。
しかし、季翠に語ったように彼女の宮には調香の道具が揃っているはずだ。
賢妃が徳妃に香を贈り、その香に毒物が紛れていた。
そして、賢妃の宮には香を調合する道具類。
事実と現状を見る限り、彼女が犯人というのは決定的だった。
それでも今だ罪人として捕らえられていないのは、ひとえに妃という地位からだ。
「しかし、もう少しましな言い訳はなかったんですかね」
贈っていないと主張するのは無理があると思いますけどね、徳妃側には証人がたくさんいるんですから。
「……私は、できれば賢妃がしたことだとは、思いたくない、です」
傷の癒しになればと、そう言った彼女が同じ手で他者に危害を加える香を贈ったなどと、季翠は信じたくなかった。
「しかしそうだとするなら、誰かが賢妃の名を騙って、徳妃に香を渡したということになりますね」
亀黒宮は最近侍女を増やしたようだった。
それはつまり、紛れ込みやすい時期だとも言える。
「香……」
そうだ、季翠も香を貰ったのだ。
片づけをしている医官を呼び止める。
「————すみません、少し調べてもらいたいことがあります」
*
気に入らない気に入らない気に入らない……‼
気に入らない‼
「姫様、お父様から文が届いておりますよ」
「いらないわ‼」
読まなくとも分かる。
お里下がりをして、家に帰ってこいと言う内容だろう。
賢妃に毒を盛られたと文で訴えた麗辰に対し、父は心配してくれたものの、それならすぐにでも妃の地位を返上して家に帰ってくればいいと書いてきたのだ。
父は入内してからというもの、何度も麗辰に里下がりを勧めてきていたが、今回ばかりは納得がいかなかった。
なぜ自分が出て行かなければならないのか。
出ていくのはあの女の方ではないのか。
それよりも麗辰がこんなに酷い目に遭わされたというのに、父は賢妃に対して何も仕返しをしてくれないというのか。
鶯俊も鶯俊だ。
此度の事件のことは聞いているだろうに、麗辰の様子を見に来るどころか文の返事さえ寄こさない。
賢妃のことも、罪人として捕らえるようにという指示すら出していないと聞く。
————どうして自分がこんなに蔑ろにされなければいけないのか。
麗辰は初めて味わう類の不快な感情に、唇をギリギリと噛みしめた。
*
一方、皇子宮。
「今、後宮はきな臭いですが、このまま殿下が通わないままだと、皇子としての責務を放棄するつもりだと言いがかりをつけられかねません」
誰か適当に選んで、一晩だけでも後宮に行ってください。
碧明の言葉に、鶯俊は妃たちの名前が記載された目録に無言で目を落とした。




