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大影帝国記【完結!】  作者: aberia
第三章 後宮編
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第十六話 秋冷の別れ

第十六話 秋冷の別れ



 初めて会った時。

 随分と場違いな子どもが来たと、思った。

 自分も同い年というのは棚に上げて。



 汗だらだらで。

 薄紅色の衣がそれは似合っていなくて。

 もっと違う色……そう、今着ているような緑とか……黒が、似合うだろうと思った————。



 数日前。

 俊煕は張副宰相に連れられ、特別に宮中の園遊会に来ていた。



 三月ほど前から一緒に行動するようになった少女は、今日はいない。

 彼女は最近、学塾自体に来ていなかった。

「(……別に、僕には関係ないけどなっ)」



 張副宰相に尋ねても、彼女——季姫には事情があるのだと諭されるだけだった。



 俊煕は張副宰相が園遊会に出席している間、侍女や官吏たちが待機する場所に居るようにと指示をされた。



 ここは、所謂裏方のような場所だろうか。

 


 どこに行っても、誰の話を聞いても、噂話、陰口、噂話————。

 正直早々に辟易した。



 噂話や陰口は、情報収集に有益な手段の一つではあるが限度がある。

 


 やれ、皇帝は最近顔を人前に晒さなくなった。

 やれ、皇太弟は今日も行事を欠席か。

 やれ、今日は第二皇女が出席しているぞ、とか。



「第二皇女……?」



 なぜか気になった。



 近くにいる文官をつかまえる。

「あの、第二皇女って……」



「ああ、丁度いい。こっちで見てみると良いよ」

 親切な官吏は、皇帝や妃たちがいる会場が覗き見できる天幕の境目に、俊煕を連れて行った。



 同じように垣間見ている官吏たちの間に潜り込む。



 一番上座には、恐らく皇子と思われる青年が一人。

 皇帝の席だろう所には、誰もいないようだ。

 高官たちの席にも空席があるが、張副宰相の姿も見えた。



 女人側の一番下座の席に、その少女はいた。

 


 ————翠色の被帛が、風に靡いて広がる。



 緑白から新緑、更に常緑へ。

緑の階調が美しい衣に身を包み、一番上の上衣には、銀が混ざった青緑の糸で翡翠(かわせみ)が刺繍されていた。

 


 翠が似合うというのは、こういうことを言うのか。



 薄く化粧がされた顔は、いつもの少年味を感じさせる顔立ちとは打って変わり、絶対に性別を間違えられることはないだろうと思った。



 ————そこには、いつもは隣にいる相方が居た。



「ほら、あれが季翠皇女殿下だよ」

「季……”すい”……」



 すい……————「翠」。



 身近に感じるようになっていた学友は、みどりの名をもつ者であった。



 そして今、目の前にいる季姫。

 やっと学塾に通ってくるようになって早数日経つが、何を考え込んでいるのか常に心ここに有らずだった。



 先ほども筆から墨をぼたぼた垂らしたり、硯をひっくり返したりと、酷い有様だった。



 しかし、今はそれよりも。

「なあ―――—」



 名前を教えてくれ。



 ぼおっとしていた季翠をようやく覚醒させたのは、俊煕のそんな言葉だった。

 


 季翠は先日、数日振りに張子学塾に来ることができていた。

 今日は、欠席した授業を俊煕に解説してもらっていた。



 彼は当に授業範囲はすべて履修済みだが、季翠のためにわざわざ講義の内容を控えてくれていたのだ。



 季翠もそんな俊煕の心遣いに応えるため、真剣に取り組むべきとは重々分かっていたが、数日前の衝撃的な出来事が頭から離れなかった。



 おかげで普段しないような失敗を連発し、今は卓上にぶちまけた墨汁を拭いている。



「名前……?」

 名前なら、当の昔に名乗っているはずだ。

……偽名だけど。



 ————まさか、ばれたのだろうか。



「貴族の娘は、名前を隠すこともあるんだろ」

 お前は季姫って名乗っているけど。



「季には、四番目とか末っ子って意味もある。つまり季姫は四番目の姫、もしくは末っ子の姫って意味だろ」

 


 一瞬ばれたのかと思ったが、なるほど、そう考えたのか。

しかし……。



「(だからと言って……)」

 本当の名前など言えようはずがない。



 黙り込む季翠の答えを、俊煕は待ってくれているようだった。

 あの短気なこの少年がである。



 しかし……。



「…………俊煕には、教えられない」



 季翠なりの、最大限の誠意を持った返事だった。



 本当の名前ではないことは、認める。

 誤魔化したりはしない。

 だがその上で、教えられないと。



 しかし、季翠のこの言葉は言い方が悪かった。



 彼女の言葉に、目の前の少年は深く傷ついた顔をした。



「……何だよそれ、僕には教えられないって言うのか」

 あの四狛とか言う男には教えているくせに。



 なぜここで四狛が出てくるのだろうか。

 季翠は知る由もないが、俊煕は園遊会の会場で四狛が護衛に付いている姿を見ていたのだ。



「僕はお前にとって、信用に値しない奴って言うのか」



 そんなことはない。

 口も、……お世辞にも性格も良いと言えないが、彼は決して不誠実な人間ではない。

 そのくらいの信頼関係は、この三月で彼らは築いてきたつもりだ。



 咄嗟にそう言いかけたが、ではなぜ教えることができないのかと言われたら、説明できない。

 親兄弟しか知らないとか、結婚相手にしか教えることができないとか、適当なことを言えないのが季翠という娘だった。

 


 彼女は様子がおかしくなった——恐らく怒っているであろう俊煕に、どうすればいいのかと頭が真っ白になってしまった。



 二人の間に、かつてないほどの重苦しい沈黙が流れる。



 何か言わなければ、でも何を言えばいいのか。



「————季姫」

「!」

 


「ちょ、張老師……」

 室内に入って来たのは張副宰相であった。 



「お家から兄君がお呼びになられている。今日はもう帰りなさい」

 家——皇宮という意味だ。



 でも……。

「俊煕……」

 季翠の呼びかけに、彼は無言で背を向けた。



 こんな状況で帰るのは非常に心残りだったが、兄の命令であれば季翠に拒否権はない。

 俊煕に気を遣いつつ、張副宰相に礼をとる。

 


「……張老師、では本日は失礼いたします」

「うむ。気をつけて帰りなさい」

「…………俊煕も、また」



 少年から、返事は返って来なかった。

 彼女は後ろ髪を引かれつつも、学塾を出た。



「(…………兄上に、名前を教えてもいいか聞いてみよう)」

 


 兄上————そう思ったところで……。



 浮んだ考えを、勢いよく頭を振って振り払う。



「(あの人は、私の兄上なんだ)」

 余計なことは考えるな。



 用事とは、何だろうか。

 早く済ませて、名前の許可をもらって、俊煕に謝ろう。

 季翠は、本気でそう思っていた。



 ————しかし、彼女が張子学塾に行ったのは、これが最後となった。

 

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