第六話 緑龍帝
第六話 緑龍帝
向こう側が透けて見えるほど薄い布の下から、季翠は太陽を覗き見た。
「(思ったより涼しい……)」
いくら薄いとはいえ衣を一枚多く着るようなもののため、暑さを心配していたが杞憂だった。
むしろ、日差しが和らぎ快適だ。
現在。
季翠と俊煕は、張副宰相に連れられて皇宮にやって来ていた。
張副宰相は高官中の高官のため、高官用の未の門を使用する。
今回季翠たちは彼の付き人のため、同じ門から翡翠城に入城した。
皇帝が入ってくるのは壁で遮られた向こう——黒午の門からであるため、皇宮の中を通ってそこまで移動する。
皇宮内は主の帰還に慌ただしい様子だった。
流石に走ったりしている者などはいなかったが、皆落ち着かなさ気に動き回っている。
しかし、皆どこか誇らし気で、いい意味で興奮しているようでもあった。
どうやって季翠を連れて行くつもりなのかと思った張副宰相は、丁度体一つ覆い隠せるぐらいの布を彼女に渡した。
大きさは毛布ほどだが、披帛のように薄い衣であった。
「女人が公の場で顔を隠すのは、珍しいことではない」
その言葉通り、門兵に止められることもなく入城できた。
一緒にいたのが張副宰相だったからかもしれないが。
黒午の門は、翡翠城の建物内——皇宮に入るための正門に、真っすぐ繋がっている。
長い真っ白な石畳と、それの先にある大階段と皇宮は豪華絢爛で、改めて壮大さに圧倒された。
「私は陛下のお出迎えをしなければならないから、そなたたちはここで待っていなさい」
そう言うと、張副宰相は大階段から離れた——小さな階段横の隅に二人を残し、高官たちが並ぶ列の中に合流しに行った。
俊煕は何か探しているものでもあるのか、張副宰相の行く先を見ようとしていた。
そしてしばらくすると、腹に響くような銅鑼の音が辺りに鳴り響く。
「皇帝陛下、御帰還‼」
兵が腹から出した声で宣言する。
周囲の空気が変わった。
城門からかなり離れているはずなのに、門が軋む音がここまで聞こえてきた。
あれが――――。
遠目からのため、巨大な門に比べたらはるかに小さな人影だが、その存在感は明らかに他と異なっていた。
均整の取れた、すらりと背が高い人物。
太陽の光を眩しく弾いて黒光りする鎧と、風に靡く同じく黒い外套。
纏う翠を基調とした衣には、黒龍の刺繍が体を一周するように入れられている。
そして手には、どこか見覚えのある偃月刀。
その偃月刀を、杖のように地につけて歩いていた。
息も忘れて見ていると、いつの間にかかなり近くまでその姿が来ていた。
視認できるようになったその男の顔は、確かにどうして、鏡で見る自分の顔を思わせるものだった。
人々が口々に似ていると言うだけのことは、あるのだろう。
しかし性別が違うからか、纏う雰囲気の違いからか、平凡な季翠に対して、男は美丈夫と称えられるに相応しい人物であった。
季翠を柔和な目元と称すなら、男はその目をもっと怜悧にした感じだろうか。
整った顔立ちに、薄い微笑を浮かべている。
五十路は確実に過ぎているはずだが、年齢不詳さを感じた。
これが大影帝国初代皇帝にして、建国の祖————緑龍帝。
季翠の、父親。
初めて見る実の父親に、季翠はしばらく呆けたが。
「(げ……)」
父帝の左隣に、しばらくぶりに見た後見人がいた。
確か皇帝は西の駐屯地に行っていたのだったか、一緒に帰ってくるのは必然か。
伯虎雄大将軍は、相変わらずの男であった。
敬愛する皇帝の傍らに立つのが嬉しいのか何なのか知らないが、誇らし気なのが鼻についた。
謎に勇気が出た季翠は、イーっと、こっそり歯を剝き出しにして威嚇する。
―—階段で無様に転んでしまえ、虎親父。
かつての季翠は虎雄を怖がってばかりで、相対すれば逃げるか、嵐が過ぎるのをただ縮こまって待つばかりだった。
しかし、ここ数ヶ月で彼女は随分と図太くなっていた。
「な、何してるんだ……?」
しまった、見られた。
俊煕が引いた目でこちらを見ている。
「……」
まさか見られると思っていなかったため、そのまま静止する。
ちなみに歯は剥き出したままである。
「……嫌いなのか?伯大将軍が」
「……孫俊煕は好きなのですか?」
質問を質問で返して、気まずさを誤魔化す。
文官に虎雄を嫌う者は多くいると聞いたことがある。
「俊煕で良い、敬語もいらない。伯大将軍に対しては、特に何も思わない。それに僕は別に、武官は嫌いじゃない」
大影帝国は、どちらかと言えば武断政治の国だ。
建国してそれほど年月が経っていないため、致し方ないのかもしれないが。
俊煕が受けようとしている帝試や、平民の官吏も積極的に採用しているが、やはり力を持っているのは四大貴族を筆頭とした武門の家柄である。
「文官よりも武官の方が、時に情勢をよく知っているのは事実だ。僕が目指している官吏像の御方——劉宰相も、元々武官上がりの文官だ」
もちろん今の武家を優遇する体制は、見直されなければならない。
思ったよりもしっかりした回答が返ってきた。
伊達に「神童」と言われているだけはあるのか。
季翠は、自分の子どもっぽい好き嫌いと振る舞いが、無性に恥ずかしくなった。
しかし、初めて真面に会話ができたのかもしれない。
それはあちらも思ったのか、何となく微妙な空気が二人の間に流れる。
「先生がお呼びだ。戻るぞ」
「……うん」
張副宰相の元に行く前。
最後にもう一度皇帝を見上げると、向こう側にもう一人、虎雄とは別の武官の姿が見えた。
父帝と背格好がとてもよく似た、すらりと背が高い、歳は三十……くらいだろうか。
文官と言われても違和感を感じない、随分と優し気な顔立ちの若い青年武官。
何だか見覚えのある色彩の人物であった。
彼は、短く切られた薄茶色の髪の一部だけを長く伸ばして、一つに括っていた。
耳には、赤い房飾りのついた耳飾り。
薄墨色の官服に、黒い鎧。
もしかして、あれは。
「まさか、あれが烏竜将軍……?」




