第三十九話 帝都へ
本日は15時頃にもう一度投稿します。
第三十九話 帝都へ
遂に北を発つ日。
一行は朝から準備に追われていた。
昨夜から前のここ数日は、送別の宴やら最後に街歩きをしようやらで慌ただしい日々を過ごした。
先ほど蒼鈴に泣きながら抱き締められ、玉翡たちとも最後の別れをしたところだ。
さあ馬車に乗り込むぞというところで、四狛に呼ばれる。
顔を向けるが、当の本人は上を見上げていてこちらを見ていない。
一体何を見ているのか。
————あれは。
「葵夫人……」
およそひと月ぶりに姿を見た。
鶯俊が玄武城に到着してから、彼女はずっと室に閉じこもっているようだった。
逆光で表情は定かではなかったが。
季翠は、無言で頭を下げた。
*
帝都までの道中、有難いことに鶯俊と相乗りをさせてもらえることになった。
馬車は流石皇子殿下の乗るものなのか。
行きとは比べものにならないほど、豪奢なものだった。
車内はしばらく無言が続いたが、ふいに鶯俊が口を開いた。
「翠、お前」
「性格が悪くなったな」
「は?」
いきなり悪口?
怪訝な顔をする季翠に構わず、鶯俊は続けた。
「いや、”人間らしくなった”と言った方がいいか」
「皇宮で会った時、人形のような妹が来たと思ったぞ。俺は」
人形。
「碧麗の名を出したら、多少は子どもらしい振る舞いを見せたがな。
大人しくて聞き分けが良いと言えば聞こえは良いが、腹で何を考えているのか分からん娘だと思った」
「俺に対する悪感情は感じなかったが、反対に興味や好意もたいして感じなかった」
つまり、お前は俺に興味がなかったんだろう。
失礼な。
あの時、季翠は緊張していただけだ。
そもそも人形というのは、葵戰毅のような人物のことを言うのではないか。
だいたいこの兄とて、言うほど人間味溢れているようには見えない。
「それだ」
それとは。
「多くの人間と関わるようになったことが、お前の思考や人間性に影響を与えたのだろう」
「今回の一件で、お前は多くの者と知り合ったし、多少なりとも他人に興味を持ち始めたのではないか」
「……」
心当たりが無いわけではなかった。
「それは、西ではお前の世界には両極端の人間しかおらず、中間の人間が欠けていたからだろう」
両極端。
確かに。
西牙での季翠の世界は、「大好きな姉」と「大嫌いな伯虎雄」という「天国と地獄」で構成されていた。
鶯俊が言う中間の人間というと、ばあやや紅蕣が該当するのかもしれない。
確かに今に比べて、人数は圧倒的に少ない。
だって西に居た時の季翠は、他人と知り合う機会もなければ、興味もなかったんだから。
いや、機会はともかく、興味はあえて持たないようにしていたと言ったほうがいいのかもしれない。
他人に感情を持たないというのは、幼い季翠にとってはとても重要な自己防衛方法だったのだ。
先ほど「天国と地獄」と言ったが、正直地獄の方が比重が重かった。
当然だ。
碧麗は南の華南で生活をしていて、会えるのなど一年で片手にも満たなかったのだから。
しかもここ五年は文のみで、会えてすらいない。
必然的に季翠が接する人間は、地獄————伯虎雄に限定される。
誰が好き好んで、自分を嫌っている人間のことを深く知りたいと思うだろう。
虎雄がなぜ季翠を嫌うのか、その思考の背景を、彼の人となりを、季翠は知りたくなかったし、知ろうとも思わなかった。
あの人はそういう人——季翠にとっての悪——なのだと、決めつけたのだ。
思考を放棄したとも言える。
だって、知ってしまったら無限の可能性の中から、対処を考えないといけない。
もしかしたら嫌っている虎雄に、まったく別の一面が見つかってしまうかもしれない。
彼をただ単純に、嫌うことができなくなるかもしれない。
そうしたら自分はどうすればいいのか。
自分の彼を嫌う気持ち、ひどい言葉を投げかけられて辛いと思う気持ちはどこにやればいいのか。
彼とその後、どう向き合っていけばいいのか。
逆に、碧麗以外に天国をつくろうとしたこともある。
しかし一見好意的な人間がまれに居ても、知ろうと踏み込んだが最後、浅ましい欲を見る羽目になったことが何度かある。
それで季翠は学んだのだ。
最初の触り程度の関りしかもたなければ、傷つかなくて済むと。
ある程度で踏み込むのを止めれば、汚い部分も見えなくて、嫌いにならなくて済む。
―———その代わり好きにもなれないけど。
季翠が姉の碧麗のことを好きなのは、彼女が出会ってからこれまで、そういう汚い部分を見せていないからかもしれない。
それとも盲目過ぎるが故に、見落としているのだろうか。
嫌いな人間——自分にとっての悪——が多ければ多いほど、常に守りの姿勢に入らなければいけなくなる。
しかし敵が一人に限定されていれば、その人物からの攻撃のみに備えていれば良くなる。
季翠は、虎雄からの攻撃のみに備えていれば良かったのだ。
それはとても心理的に楽なことだった。
しかし、確かに鶯俊の言う通り。
今では季翠の人間関係は、あの頃と比べものにならないほど分厚くなった。
一番はやはり姉だが。
頼りにしている人、尊敬している人、姉ほどではないが好きな人、普通の人、面倒くさいと思う人、怖い人、苦手な人、特に好きでも嫌いでもない人、嫌いな人(伯虎雄)。
随分と増えた。
今までの「姉、その他、虎雄」という図が随分と変わったものだ。
「世には多くの人間がいるし、人間には多面性がある。お前にも当然ある」
「多面性……」
「翠、お前白と黒の色を入れ替え合う盤上遊戯を知っているか?」
いきなりの話題転換だが、兄の問いに頷く。
実際にやったことはないが、存在は知っている。
「人間はあの盤上のようなものだ。場面場面で白や黒。はたまた、遊戯上の規則ではないが、どっちにもつかない色で駒がひっくり返る」
場面場面で色が違う。
ある場面では白。でもある場面では黒。
「でも兄上、あの遊戯は最終的に白と黒のどちらが多いかで勝敗を決めたはずです」
駒の数が多いだけで、結局のところ盤上という「大きな駒」で人間を白か黒に分けているのではないか。
白が多ければ良い人間。黒が多ければ悪い人間。
季翠の世界に白——碧麗と、黒——虎雄しかいなかったように。
「そうだな。だが判断する場面が多ければ、最終的な白黒も変わってくるんじゃないか」
それに白黒つかない場合も、世の中にはたくさんある。
「……」
兄上は、何でこんな話をしてきたんだろう。
何だか話しぶりも、季翠の今までを考慮している気がした。
もしかしたら、季翠のことを調べたのだろうか。
知ろうとして、くれていたのだろうか。
「(……人を理解するのも、悪くはないのかもしれない)」
できれば美しいもの、優しいものだけを見て生きていきたいと思う気持ちは、変わらずあるけれど。
鶯俊の言う盤上遊戯なら、人を知るというのもそれほど悪いものではないように思えた。
俄かに馬車の外が騒がしくなってきた。
窓を開けるとそこには。
————風に若葉と、紙吹雪が散る。
街道に皇族の一行を一目見ようと、民が溢れていた。
歓声を上げる民の中に。
見覚えのある若者がいた。傍らには同じ年頃の女人。
あの青年は、無事奥方と再会できたようだ。
ふいに鶯俊が窓の外に目を遣る。
季翠もつられて、兄の視線の先に目を向けた。
―———あれは。
その時の季翠は、なぜ鶯俊が「それ」に目を留め、羨むような、懐かしむような顔をしていたのか分からなかった。
一行は帝都への道を進む。
目の前にいる鶯俊。
そしてこの先に待ち受けている人間たち。
彼らを知ることで、季翠はどう思い、どう行動することになるのだろうか――――。




