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大影帝国記【完結!】  作者: aberia
第二章 北の大地編 
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第三十四話 憐れな雌鷺

今回の話には、失明をはじめとしたセンシティブな話題や言葉、差別的な言葉がたくさん出てきます。ご注意ください。話の都合上必要な描写なので、どうかご容赦くださいますようお願い申し上げます。

第三十四話 憐れな雌鷺



 その後は何日か戰毅の率いる隊と行動を共にし、鷺舂たちは騒動を聞きつけてやって来た黎公に保護された。

 その時、黎公が用意してくれた邸がここだ。


 

 自分を殺そうとした恐ろしい人間だとも知らず、玉翡は変わらず彼女に懐いてくれた。



 なにせまだ乳飲み子の赤子だ、何も分かっていなかったのだろう。

それが余計に、彼女の罪悪感を大いに刺激したが、それ以上に涙が出るほどの感情に何度も襲われた。



 玉翡は、目が見えなくなった。



 いや、見えなくなった、と言うのは少しおかしいかもしれない。

思えば赤子の時から、その片鱗はあったように思う。



 玉翡が十五の成人を迎えた年。

 縁あって高名な旅の医術師に見てもらう機会に恵まれた。



 その医師によると、元々血筋的に視力に何らかの疾患を抱えている可能性が高いとのことだった。

 医師には詳細を伏せて、赤子の時分に死にかけたことがあるとだけ伝えたが、彼はそのことが失明の直接の原因ではないと断言した。



 しかし、鷺舂は信じなかった。

 今でも、あの時赤子だった玉翡の首を彼女が絞め、殺しかけたせいだと思っている。

 ————そうでなければいけないのだ。

 この子は、”鷺舂の娘”なのだから。

 


 彼女たちの後見人となってくれたのは、先の玄当主・黎公だった。



 彼は多忙の身だっただろうに、月に一度は必ず彼女たちの元に顔を出してくれ、不便はないかと何くれと気遣ってくれた。

 だから畏れ多くも、鷺舂が彼の落胤などという噂が出たのかもしれない。



 彼女はそれに深く感謝する気持ちもあったし、黎公を慕う気持ちもあった。

が、それ以上に彼がそんなにも自分たちを手厚く保護する理由、背後にいるであろう御方の存在を恐れる気持ちの方が、はるかに強かった。

 


 ————どこに行っても、お前はこの罪から逃れることはできぬと、そう言われている気がした。


 

 そして鷺舂が十五になり、成人してすぐのことだ。

 黎公から、葵戰毅との婚姻の話を出された。



 有り得ないと思った。

 北陵に住み始めて数年。

 亡国の雄の評判は、世俗から隠れて生きる彼女の耳にも入っていた。

 同時に、あの時助けてくれたのが彼だったということも。



 そんな人物と、罪人の自分が?

 当然、断った。

 しかし黎公は。



 「——――鷺舂」

 「黎公様」



 優しい微笑みを浮かべた、左目の下の泣き黒子が印象的な美丈夫。

 今日初めて会った玄叔黎は父である彼によく似ているが……黎公は、何というか、そう、別格だった。

 


 その容姿に似合う、数々の浮名を流した艶福家だったが、鷺舂たちの前ではまるで父親のような、優しい人であった。



 「この前話した件は、考えてくれただろうか」

 「…………」

 黎公は俯く鷺舂を卓に誘った。



 「はじめは私の息子たちの内の誰かをとも思ったが、皆そなたよりも歳下だし、そなた達の事情を考えると将来的に不安な者ばかりだ。

 戰毅ならば、私も信頼しているし、人間性も申し分ない」



 元々葵戰毅は、敗戦国の一兵士だったところを黎公に見出されたのだそうだ。

 鷺舂たちも巻き込まれた事件——後に聞いたところ、当時北の民を随分と苦しめていた大きな騒動の内の一つだったらしい——を治めたのが彼で、北の民の支持はもちろんのこと、皇帝の覚えもめでたいのだとか。



 しかし「皇帝」と聞くと、更に鷺舂は委縮してしまう。



 「…………黎公様、私、やっぱり……」

 否定の言葉を続けようとする鷺舂を、黎公はとどめた。



 「私がいつまでも、そなた達を庇護できるとは限らない」

 「…………私も、いつまでも若くはないからな」

 悲し気な笑みだった。



 言い方が妙だったし、いつも若々しい彼にしては随分と弱気な言葉だと思ったのを憶えている。

 実際、当時の彼はまだ四十になったばかりくらいだったはずだ。



 「……黎公様、どこか御悪いのですか……?」

 彼はその問いかけに答えることはなく、ただ微笑むだけだった。

 思えばその頃から、病に侵されていたのかもしれない。



 「私はそなた達のことを本当の娘のように思っている。

 どうか私の願いを聞くと思って、この縁談を前向きに考えてくれないか」

 「それがそなたの、ひいては小姫(こひめ)の安寧にも繋がる」



 そこまで言われてしまったら、もう鷺舂には否と言うことができなくなった。

 会うだけならと承諾し、戰毅との見合いを受けることになった。



 それに、葵戰毅は今まで一度もこういった話を受けていないと聞いた。

 彼には、玉翡とそう変わらない年頃の息子がいるという。



 なぜか妻はいないようだが、後継ぎがいるのに今更後妻など不要だろう。

 人伝に聞く人となりからしても、亡き奥方に操を立てているというのもありそうだ。

 黎公には申し訳ないが、あちらから断ってくれるだろう、そう考えた。



 そして迎えた日。

 見合いの場に現れた葵戰毅は、五年前と何も変わらなかった。



 かつて貴方に助けられたと話すと、彼は無言で頷いた。

 憶えていてくれたのなら話は早かった。



 「葵様には御子息がいらっしゃると伺いました。赤子を殺そうとした娘と、目が見えぬ幼子など御負担でしょう」

 どうぞお断りくださいと頭を下げた鷺舂に、戰毅は何も言わなかった。



 もう一度、一目会えただけで彼女は十分だった。

 しかし、彼女の言葉をちゃんと聞いていたのかいなかったのか、この縁談は成立することになる。

 その後のことは、現状の通りだ。



 今でも、なぜこの時彼がこの縁談を承諾したのか自分は分からないし、怖くて訊くことができない。

 


 そうこうして、彼女は「葵夫人」と呼ばれることになった。



 夫となった葵戰毅は多忙で、初対面時の第一印象に違わず「静謐」という言葉がよく似合う、物静かな男であった。

 鷺舂は出会ってからこれまで、怒りでも喜びでも、夫の表情が崩れたところを見たことがない。



 しかし晴れて夫婦となった彼女と戰毅だが、二人の間にはほとんど会話がなく、いつも薄氷を渡るような緊張感があった。

 ……そう思っているのは、鷺舂だけかもしれないが。

 加えて彼らの間には、普通の夫婦のような男女の関係がなかった。



 世間一般の妻なら、そのことを嘆き、惨めに思うのかもしれない。

 けれど、鷺舂はむしろほっとしていた。

 陰で石女と罵られているであろうことも、面白おかしく噂話をされているであろうことも、気にはならなかった。



 これ以上繋がりや情を深めることがないことに、安堵した。



 夫との関係はともかくとして、継子となった戰華との関係は、考えていたよりもはるかに良好であった。



 戰華は、とても良い子であった。

 九つしか年の離れていない得体の知れぬ継母と、目が見えぬというその連れ子。



 受け入れられぬと拒絶するのが普通の反応ではないのだろうか。

 まして当時の戰華は、まだ六つの幼子だったのだし。

 それに輿入れする前、癇癪持ちな子で面倒をかけるかもしれないと夫に言われてもいた。



 しかし予想とは違い、戰華は鷺舂を「母」として純粋に慕ってくれ、突然できた妹のことも可愛がってくれた。

 


 最近は父親に反発していて、彼をよく知らない者たちからの評判は悪いようだが、古くからの葵家の家臣や近しい使用人たちは、変わらず戰華に敬意をもって接している。

 不器用な若君のことを、皆ちゃんと理解しているのだろう。



 堅実で穏やかな暮らし。

 それが玄武城での日々だった。



 「遅くなってすみません。

 城に帰りましょう」



 戰毅の後ろでは、いつの間にか来ていた彼の側近である玖狼が、皆の安否を確かめていた。

 鷺舂は、いつの間にか床に座り込んでいた。

 そんな彼女に目線を合わせるように、戰毅も膝まづいていた。



 既視感を憶える、差し出された掌。

 「(…………この人は、出会った時から何も変わっていない)」

 鷺舂は、変わってばかりなのに。



 彼女の時は二十年前に止まっているのに、戰毅とは違い、変わってばかりだ。

 時が止まっているくせに、年々自分が醜悪なものになっていくのを感じる。



 先ほど、伯飛と呼ばれていたあの男。

 彼は、戰毅との生活はさぞ穏やかなものだっただろうと評したが。



 確かに、そうだった。

 しかしそれ以上に。



 戰毅といると、彼女は自分がとんでもない悪人で、大罪人なのだということを常に思い知らされた。

 ————忘れたことなど、一度だってないが。



 清廉潔白な人間は、時にその眩しさで他人を焼き殺す。

 だから眩しすぎる人は、同時に嫌悪されるのだと鷺舂は知った。

 誰も彼もが、正しく生きられるわけではないのだ。



 出会った時から、無口と無表情のせいで冷たそうに見えるが誰より情が深く、誠実で、民と国の為に身を粉にして働いている人。

 二十年も前にほんの少し助けた娘と、何を思ってか十五年も連れ添っているお人好しな人。


 








 ————もう、無理だと思った。



 「離縁してください」

 「(もう、この人の手を何も考えずに取れるほど、私は幼い少女じゃないのよ……)」



 許さない。

 そう言った男の声が、耳にこびりついて離れなかった。

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