第三十二話 許さない
第三十二話 許さない
鶯俊にわしゃわしゃと乱暴に頭を洗われながら、季翠はずっと気になっていたことを聞く。
「戰華殿、葵将軍は?」
それを若干引いた目で見ていた戰華は、慌てて表情を引き締める。
「親父殿は血相を変えてどこかに行ってしまった。玖狼も一緒のはずだから、大丈夫だとは思うが……」
*
「————失礼」
失言を、とでも言うように男は首を傾げる。
「”元”侍女、と言った方がよろしいか」
ああでもそれも少し違うか。
侍女だったのは貴女ではなく、貴女の母君だったな。
暗い色彩を纏う姿に似合わぬ、明るい笑顔だった。
その対比が、逆に不気味に葵夫人————鷺舂には見えた。
「……貴方……何者ですか……」
鷺舂の記憶が正しければ、身なりは皇帝直属の近衛のもの。
近衛兵が、なぜこんな所にいるのだ。
気づけば周囲に人がいなくなっていた。
いや違う、目の前のこの男に皆昏倒させられたのだ。
「そう警戒なさるな」
「お母様?誰かいるのですか?」
声を出し、会話をしているにもかかわらず、玉翡は男の気配を完全には認識できていないようであった。
鷺舂はぞっとした。
本当に目の前のこの男は、存在しているのだろうか。
「姫君か。随分と大きくなられたな」
玉翡に目を向ける男に、慌てて「娘」の肩を抱き寄せる。
目的は何だ。
自分の命か。
玉翡の身柄か。
なぜ今になって……。
いや、”今”だからこそなのか。
黎公が死に、あの皇女が帝都に戻って人目に付くようになった今だからこそ。
どうする。
どうする。
どうする。
どうする……‼
「葵将軍のお傍に居る日々はいかがだった」
「……………………は?」
予想もしていなかった問いに、反応が遅れる。
それに構わず男は室内をうろつきながら続けた。
「さぞ穏やかな日々だったことだろうな。ああいう清廉潔白で後ろ暗いところがない御方の傍に居ると、自然と自分もそんな人間になれるのでは、本当の自分はこうであるのではと、ありもしない夢を見る」
まあ葵将軍とて、何も秘密が無いわけではないようだが。
何が言いたいの。
そんなこと分かって「————貴女だけ幸せになろうなんて許さない」
「っひ…………」
男は先ほどまで浮かべていた笑顔を瞬時に消し去り、真っすぐ鷺舂を見据えた。
「二十年前の出来事、あのことをなかったことにして生きようなど許さない」
後ずさる彼女に、男は静かでゆっくりな口調のくせに、怒涛の勢いで言葉を連ねる。
「過去の過ち程度に数えるなど、許さない」
「心の中で贖罪を続ける程度で済ませるなど、許さない」
「存在しないかのように、息を殺して生きる程度で済ませるなど、許さない」
「死にたいような思いを抱えて、生き恥を晒す程度で済ませるなど、許さない」
許さない、許さない、許さない。
そんなことは許さない。
男は続けた。
「”約束”を果たすために、貴女にも同じだけの犠牲を払ってもらわなければ、他でもない俺の気が済まぬ」
「なあ鷺舂殿。苦しみは分かち合うべきだろう……?」
片方だけが犠牲を強いられるなど、おかしいではないか。
「っ……っっっ‼‼」
知っているんだ。
知っているんだこの男は。
すべて。
だから彼女を責めている。
こんな所でのうのうと息を潜めていた自分を詰っている。
ならば彼を差し向けた人物は――――。
「私は貴女を迎えに来たのだ、鷺舂殿」
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