第三十話 皇子と公子
通行証ではなく、玉佩でした。すみません。
馬の扱いに対して可哀想な描写があります。申し訳ありません。ご注意ください。
第三十話 皇子と公子
「姫様‼城に戻りましょう‼怪我してるんですよあんたっ‼」
「まだそれほど遠くに行ってはいないはずです‼」
後ろから馬を駆りながら制止する四狛を無視し、季翠は先を急いだ。
頭に血が登っているのか、火事場の馬鹿力というのか、腕の痛みも体の痛みも気にならなかった。
伯黎は北部からの脱出を計るはずだ。
南に行くかとも思えるが、鶯俊や葵戰毅が網を張っているだろう。
北は葵戰毅と異民族の長が協力関係を築いていることから無理。
季翠は必死に昔習った帝国の地図を頭に思い浮かべる。
考えられる逃走路は東か西。
東は清家との境だ。
険しい山があって身を隠すにはうってつけかもしれない。
しかし、それに耐えうる装備はないはずだ。
そもそも邸の近くをうろついていたのは、邸にある金や食糧を当てにしてのことだろう。
しかし季翠たちや民衆、兵たちの方が先に着いてしまった。
おまけに火事で燃えている。
それにここから東に逃げるのは、些か距離がある。
ならば残るは西。
北と西の間には、大影の国土とも異民族の縄張りとも、はたまたその先の西方の国々のものとも断言できない、微妙な立ち位置の荒野地帯がある。
帝国の西北の一角。
そこに紛れ込んで国外に逃げられるのが一番厄介だ。
向かうは西だ。
しばらく雑木林の中を無心に駆け続けていると、季翠たちが馬を駆る音とは別に、微かに蹄の音が聞こえる。
伯黎に追いついたのかと思ったが。
「何者だ‼」
玄武城の兵と、先ほど玄家邸に来ていた兵と同じ装いの一団。
兵が野太い叱責する声を投げてきた中にいたのは。
「あ、兄上……⁉」
「皇女!」
驚いた顔をする葵戰華の向こうには、久方ぶりに会う兄・鶯俊の姿が見えた。
四狛が後ろで即座に下馬し、最敬礼をとるのが気配で分かった。
「…………翠?」
黒に緑という皇子に相応しい装いをした鶯俊に対し、傷だらけ埃だらけ、外套もなく右袖に至っては肩から下の上衣がないという季翠の珍妙な姿。
妹のみすぼらしい姿に、兄は片眉を上げた。
「————で?玄家に行った帰りに玄伯黎に襲撃され、俺が授けた玉佩を取られ、それを取り返すために肩を負傷した状態で追ってきたと」
なぜこんな所にいる、しかもその姿は何だと詰問され口ごもりつつ白状した季翠に対し、兄は心底呆れたという顔を向けてきた。
「お前は馬鹿なのか?」
「…………」
ぐうの音も出なかった。
加えて頭が冷えてきて体が思い出したのか、ズキズキと傷が痛んでくる。
「申し訳、ありません……」
「皇女、大丈夫か」
謎に当たりが柔らかくなった戰華は、さっきから心配そうに季翠の近くをうろちょろしている。
邪魔だ。
「兎に角お前は玄武城に「————見つけた」」
林のずっと先、木々が幾重にも重なり合う間の間の、ほんの少しの隙間。
「姫様⁉」
さっきまで言われていたことをすっかり忘れ、馬に飛び乗る。
————絶対に逃がさない。
玄伯黎は焦っていた。
何としても早く帝国から脱出しなければ。
残っている配下はほんの数人。
手勢の足しにと、当てにしていた邸に残っていた者たちもすでに捕まった。
伯黎の当初の計画では、今頃北に来た皇太子と共に、逆賊に仕立て上げた葵戰毅を追っていたのは自分の方だったというのに、なぜ自分が追われる側になっているのか。
「(それもこれも鶯俊の到着が遅れたせいだ……っ‼)」
この一件で功績を立て、鶯俊に取り立てさせるという今後の計画もすべて水泡に帰した。
考えれば考えるほど、すべての元凶としか思えない。
そもそも今回の謀反を実行に移そうと思ったのは。
伯黎の脳裏に、”烏”の紋章が過る。
始まりは、そう。
とある一通の文だった――――。
思考に落ちていくのをかぶりを振って追い払う。
幸い先ほど、皇女とその護衛と鉢合わせし玉佩を手に入れることができた。
一度国外に出て、ほとぼりが冷めた後にこれを使って入国すればいい。
馬を駆りながら今後の動きを考えていた伯黎の頭上に、大きな影が差す。
見上げた伯黎の目に映ったのは、馬体と、”黒龍”を背負った小さな体。
*
木々が抜けた先にいた、玄伯黎の一行。
季翠の駆る馬は彼らの頭上を飛び越え、伯黎たちから見て雑木林の反対側を陣取る。
季翠の後ろには、少し段差があった後荒野地帯になっていて、彼女がいる場所は森林地帯との丁度境だった。
「小娘……貴様」
初対面以来一度も余裕の表情を崩すことのなかった玄伯黎が大きく顔を歪めた姿に、してやったりと思った。
まさか小娘が執念深く追ってくるとは思っていなかっただろう。
伯黎は城の時とは違い、黒い柄の見慣れない偃月刀を持っていた。
季翠に続いて、鶯俊たちもその場に到着する。
挟み撃ちになった伯黎の前に、鶯俊が進み出る。
「貴様が玄伯黎か」
「……御目にかかるのは、初めてだな」
礼すら取らない玄伯黎に、戰華が食って掛かる。
「伯黎‼皇子殿下に対して無礼だぞ‼」
今更礼儀も糞もあるかと言わんばかりの顔で、伯黎は戰華を一瞥もしない。
「異民族との不義密通及び玄武将軍への謀反、帝国民の拉致売買で貴様を処罰する」
拘束しようとじりじりと距離を詰めようとしている兵たち。
配下の兵たちが焦りの表情を見せる中、伯黎は顔色を変えもしない。
それどころか淡々と感情のない顔でこう宣った。
「…………”偽物の皇子”でも反逆者を捕らえる権限があるのだな」
空気が凍る。
嫌な沈黙が流れた。
「にせ……」
「もの……?」
伯黎の吐き捨てた言葉は、季翠には何のことだか分からなかった。
戰華も分かっていないようだった。
しかしその一言で、鶯俊側の兵たちは一気に殺気立つ。
彼らにとって、その言葉は決して看過できぬものだったのだ。
にせもの……似せ物……。
————偽物?
誰が…………?
「(兄上が…………?)」
「————偽物かどうか、あの世で真偽を確かめてみたらどうだ」
いきり立つ配下に対して、鶯俊は至って平静だった。
さして気にした様子はない。
……言われ慣れて、いるのだろうか。
「生憎と今はそんな暇がないのでな、遠慮しておく」
言うや否や伯黎は馬を駆けさせる。
真っすぐ季翠の方に向かってくるや否や、斬りかかって凄まじい勢いで彼女を弾き飛ばす。
何とか受けたが落馬するほどの衝撃で、落ちかけたところを慌てて寄って来た四狛に間一髪で引き上げられる。
腕がとんでもなく痺れる。
剣が折れなかったのが不思議なくらいだった。
荒野に向かった伯黎に続き、彼の配下たちも逃走を計る。
伯黎の手勢はたったの五人ほどだが、流石にここまで逃げて来れただけはあるのか、なかなかの手練れ揃いで、数で勝るはずの玄武城と鶯俊の兵たちは苦戦する。
そのまま一団はなし崩しに荒野地帯に足を踏み入れることになった。
「逃がすな‼必ず捕らえろっ‼」
戰華の怒声に兵たちが続く。
四狛に支えられ何とか体制を戻した季翠もそれに続く。
慣れぬ砂地。
加えて馬を駆りながらの攻防は双方を疲弊させた。
荒野を進むにつれ、敵味方関係なく落馬する者が増える。
季翠の馬の速度も、だんだんと落ちてきていた。
当然だ。
ここまで休みなく駆けさせ続けてきたのだから。
どうする。
「(ごめんね)」
季翠は走る馬体の上に、鐙から両足を上げる。
何をするのかと驚愕の目で見てくる周囲に構わず、渾身の力で馬の背を蹴った。
刃を煌かせた季翠の体は、そのまま宙を飛んで伯黎の兵が駆る馬の尻に、ぎりぎりで手が掛かった。
「くそっ‼小娘がっ‼」
「っなんつー無茶を……‼」
振り落とそうと闇雲に剣と馬体を振り回す兵を、四狛が横から加勢し乗っていた兵を落とした。
何とか這い上がって馬を奪い取る。
「あまり奥まで進むのはまずいっ‼」
戰華が叫ぶ。
この荒野は領域外の地、無法者たちがうろつく無政府の地だ。
ここで死んでも誰も責任を問うことはできないし、問われない。
……たとえ高貴な血筋の者だろうと、例外はない。
季翠たちは明確に大影の領土とされている——正直それもあやふやだが——境界から、もうかなり離れていた。
戰華の言葉に兵たちが足を止め始める。
そんな中、一団から少し離れた場所にいる二つの影。
鶯俊と伯黎だ。
鶯俊はかなり押されているようだった。
伯黎自身相当な手練れなのだろうが、長物を使っているのも相性が悪い。
「殿下っ‼」
兵が悲壮な声を上げる。
伯黎の一撃を受け止めきれなかった鶯俊が落馬した……!
偃月刀が振りかぶられ、光を弾く。
季翠は無我夢中で二人の元に駆けながら、とりあえず手にあった剣を投げつけた。
投げ槍のように飛んで行った剣は、運よく伯黎の前を通って向こう側の地面に突き刺さる。
そのおかげで一瞬動きが止まる。
季翠は止まらず、その中に馬ごと突っ込んだ。
骨に響くような強い衝撃と、悲痛な馬の嘶きが辺りに響く。
「っ…………‼」
砂埃の中、目の前に転がっていた偃月刀を無我夢中で握り取った。
武器は奪った。
奴はどこだ。
倒れた馬体に手をついて何とか起き上がると、目の前では鶯俊と伯黎が死闘を繰り広げていた。
伯黎は強かった。
初対面時、「泥や血で汚れたことなどないのではないかというほど光り輝く鎧」と、季翠は思ったが、それは実力に裏付けされていたものだったのかもしれない。
織で育てられていたとしても、猛獣は猛獣なのだ。
「風の噂で清家で武の手解きを受けていたと聞いたが、大したことが無いのだな」
「っ……!」
次の瞬間甲高い音を立てて、鶯俊の剣が弾き飛ばされる。
「っ兄上……‼」
鶯俊と伯黎の間に割り込む。
その瞬間。
―———生温かい水を、すごい勢いで頭に被った。
刃が、肉に埋まっていく独特な感触。
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