第十六話 幼子の野心
第十六話 幼子の野心
――――やっと、やっとだ。
あの偉大であった父ですら手にできなかった座が、この手に入る時が遂にきたのだ。
玄武城の至るところに施された玄武の紋章――――。
我が玄家はその名を頂くにも関わらず、なぜこの城は玄家のものではないのか、伯黎はここを訪れる度に思っていた。
所詮「成り上がり者」「北の鄙の田舎者」と、居城を頂く他の四大貴族の家や中央貴族たちが思っていることを、伯黎は知っている。
しかしそれも、玄家が名実ともに北の支配者となれば変わるはずだ。
我が玄家は父の代に叶わなかった、隆盛を極めるのだ。
(葵戰毅は所詮余所者。その子等も、所詮はどこの生まれとも分からぬ身の上……)
父は葵戰毅に信を置いていた、それこそ側近たちや息子である自分よりも余程。
伯黎は父のことを深く知らない。
民草が伝え聞くものと寸分違わぬものに毛が生えた程度の、極偶に顔を見に来た父親としての顔しか知らない。
父と戰毅の間に何があったかも知らないし、知りたくもなかった。
父は伯黎を全の中の一としか見なかった。
伯黎もまた、父や葵戰毅を過去の遺物として見るだけだ。
大切なのは過去ではなく、己のこれからの未来だ。
形式上父親の代わりとして、城主の座に座す葵戰華に目を遣る。
どこの生まれとも、誰の子とも分からぬ下賤の輩。
伯黎の目に、戰華はそう映っている。
しかし、当の戰華は自分の危うい立場を本当に分かっているのか、甚だ疑問だ。
大影帝国では、”誰が父親であるか”が最も重視される。
そしてその父親の長幼も、その子どもたちに影響する。
長男の子と次男の子、いとこ同士でどちらが尊ばれるのかと言うと、それは一も二もなく長男の子だ。
たとえばその長男の子が妾の子で、次男の子が嫡出の子であったとしても、それは変わらない。
大切なのは誰が母親かではないからだ。
激しやすく、神経質で気難しい。
賢君足る父君とは似ても似つかぬ。
葵家の我儘息子の噂は、当然伯黎の耳にも入っていた。
少しは上手く振舞えば良かろうにと呆れながら思った。
そこまで脳が足りてないわけはあるまいし、養子という不安定な立場なら尚更。
にもかかわらず猫を被らないのは、そういう器用な真似ができない性格なのか、養父が己を見捨てぬという絶対的な安心があるのか。
どちらにせよ、いい年をして父親に反抗期中の、甘やかされた男など端から眼中にない。
さりげなく部下に合図を送る。
間もなく玄武城の外に密かに待機させている私兵と、玄家の邸にいる協力者である北の長の息子――季鼈に知らせが行くだろう。
(奴がここに来れば、玄武城も、玄武将軍の地位も俺のものだ)




