第三話 旅の医師
第三話 旅の医師
ついていない。
(まさか、宿屋がいっぱいだとは……)
まさかの初日にして予定が狂うという、最悪の事態に陥っていた。
予定通り今夜の宿とする町に辿り着いたまでは良かったが、なんと軒並み宿屋がいっぱいだったのだ。空いていると言えば、町で一番のボロ宿くらいだ。
自分以外誰もいないとはいえ、まさか一国の皇女をボロ宿に泊める訳にはいくまい。
かと言って、野宿は更にまずいが。
(どうしたもんかね……)
「……宿がないなら、今夜は寝ずに先に行きましょう」
「え……」
「い、いいんすか?」
思わぬ申し出に、四狛は思わず聞き返す。
「構いません」
季翠の許可が出たため、二人は町を通過し、先を行くことになった。
(……なかなか話の分かる嬢ちゃんなのかもな)
ちょっぴり季翠に対する印象が上がった四狛であった。
暗闇の中、街道とはいえ森の中を進む。
「————って言っても、野宿よりはマシとはいえ、ここらは治安が悪いですからね。姫様、俺の傍から離れないでくださいよ」
と言い終わる前に、季翠がいきなり馬車から飛び降りたのはほぼ同時であった。
「ひっ姫様ぁ⁉」
慌てて馬車を停め、四狛も急いで追いかける。
(何だってんだよ、いきなり‼)
追いかけた四狛が目にしたのは、山賊と思われる身なりの悪い男たちと、それに襲われていたであろう老人と若者の二人連れの中に、季翠が割って入るところであった。
「おいおい冗談だろ……‼」
急いで剣を抜いて、四狛も助けに入る。
季翠は手始めに、突如割って入った第三者に驚き、動きが止まった近くの男の腹に蹴りを入れると、体制を崩した男から持っていた槍を奪い取る。
「この餓鬼‼いきなり何しやがる!」
我に返った山賊たちが一斉に季翠に狙いを定める。
そこからは乱闘であった。
暗闇の森の中、しばらく剣戟の音が響き渡る。
一人、右からかかってきた男の足を柄で払うと、そのまま剣を握る右腕を斬りつけた。
二人、今度は左からかかってきた男の腹に突きを入れて、肩から腹にかけて一閃する。
血が噴き出し、男の叫び声が響く。
それに反応して興奮した三人目が間合いを詰め斬りかかってきた。
三人目と斬り合いになる中、後ろからもう一人くるが、そこに四狛が割り込み受ける。
しばらく二組は鍔迫り合いになるが、四狛が男の足を斬り伏せ地に倒し、季翠も男の手から剣を弾き飛ばすと、そのまま首に狙いを定めた。
「————殺してはならぬ‼」
まさに季翠の槍の刃が男の首を撥ね上げる寸前、突如厳しい声が飛んできた。
「っ……‼」
その声に従った訳ではないが、季翠は刃ではなく、柄の部分で男の頭を横殴りにする。
呻き声を上げて倒れる男を確認した後、声が聞こえた方に顔を向けると。
「なんと……」
季翠の顔を見た老爺は、その好々爺然とした顔についた優し気な目を見開き、彼女を凝視していた。
「……?あの……」
「……失礼。昔お会いした方によく似ていらっしゃったものでの……」
ぼそぼそと、そう小さく呟いた老爺は、静かに季翠から目を逸らす。
「本当に、昔の話じゃ……」
*
助けた老爺と青年の二人の指示に従い、季翠と四狛の二人は山賊の手当てをするため、彼らを地面に横並びに寝かせていくことになった。
もちろん、念のため縛り上げている。
「なぜお助けになるのですか。この者たちは、また同じことを繰り返すかもしれません」
手際よく手当てをしていく老爺の傍らに座り、薬草を潰した傷薬を手渡しながらそう問う季翠に、老爺は穏やかに返す。
「……偉大なる大帝が帝国を御建てになられて早三十年……今だ西と北では戦火が途絶えぬと聞く……。加えてこの西の地は、各地から傭兵の雇を求めて多くの男たちが集まる地。軍からあぶれ、賊に身を落とす者も少なくないと聞く」
「賊の所業は許されざることですがな。世の中正悪はっきりつくものばかりではござらんのですよ、お若いお嬢様」
「……」
優し気にそう諭す老爺に、季翠は何も言えず、無言で手当てを手伝った。
手には先ほど斬りつけた山賊の血がついていた。
「劉じい、包帯巻き終わったよ」
二人の元に、老爺と共にいた青年がやってくる。
年の頃は二十歳かそこらか……男にしては中性的で、切れ長で涼し気な目元の端正な顔立ちをしている。どことなく北寄りの顔立ちに見える。
「いてて……ありがとよ、小僧」
先ほどの争いで、少し腕を負傷した四狛は、青年に手当てを受けたところだったようだ。
「別に気にしなくていい。怪我人や病人の手当てをするのが、医者の役目だからな」
「医者……あんたら、旅の医術師か?」
四狛の問いに、青年は顔を輝かせる。
「ああ。劉じいはすごい医者なんだ。西方で医術の勉強をして、昔は高貴な御方の出産だって任されたことがあるんだ」
「へぇ、そいつはすげえな。高貴な方ってえと、お貴族様か誰かか?」
「これ。やめぬか、珀石」
「申し訳ありませぬ。孫は少々口達者なところがあっての」
「何だよ、本当のことだろ」
困ったように窘める老爺に、珀石と呼ばれた青年は不貞腐れる。
「まあまあ爺さん……と、劉殿って言った方がいいか。いい孫じゃねえか」
「ほっほっほっ、こんな老いぼれに気遣いなど無用ですぞ、お若いの」
山賊たちの意識が戻る前にこの場を離れようと、四人は連れ立って馬車のところに戻った。
気づいた馬がブルル……と鳴き声を上げる。
「おお、どうどう……放ってって悪かったな」
「改めて、お助けいただき感謝申し上げる」
居住まいを正し、揃って頭を下げる二人に、季翠は訊ねる。
「構いません。お二人は、これからどうされるのですか?」
「我らはこれから南に行くところなのですよ」
「南の首都・華南には港があるだけあって、西牙よりも珍しい薬草や医薬品が手に入りやすいんだ」
森の入り口で南に南下する道を行く劉医師と珀石と別れ、季翠と四狛はそのまま真っすぐ東の道を進んでいく。
「しっかし姫様、よく気づきましたね」
「見えたのと、声が聞こえたので」
「はあ……そうですか」
(どんな目と耳してんだよ……)
暗闇の森で気配を察するのといい、先ほどの乱闘での槍さばきといい、一体どんな育ち方をしてきたのか。
少しばかり印象が上がった主に対して、やはりよく分からない御方だと、四狛は思った。