第二十九話 歪んだ夫婦
「残念だ。愛する妻に似ている子の方が、余程可愛いと言うのに」
愛妻に似ていないと分かると、途端に緑龍は季翠への興味が半分以上失せたようだった。
何よりの関心事である妻に顔を向ける。
見えていないはずなのに、まるで見えているかのように的確に視線を合わせるその姿に、季翠は人知れずぞっとした。
この男は、妻の目がどの位置にあるか覚えているのだ。
「なあ、君の方は俺に似ている子を可愛いと思ってくれるか?」
「……何を好ましく思うかは、人ぞれぞれでは」
「嘘でも可愛いと言ってくれれば良いのに、相変わらず冷たいな」
――――でもそんなところも好きだ。
何だこの地獄みたいな会話は。
よく分からない感情で体が小刻みに震えそうになるのを、必死に耐えた。
「(……気分が悪くなる、とは)」
伯虎雄は、これを知っていたのだ。
だから、ここに近づくことを忌避していた。
彼は知っていたのだ。
この夫婦の本質を。
この檻のような宮を。
…………気持ち悪い。
父が母に向ける愛と、母の目の奥の感情があまりにもかけ離れていて、その差に身震いした。
「ああ……でもそうだったな」
「思い出した。翠があまりに俺に似ていたから、あれが嫌がったのだったな」
「なあ、雨鳥。あの時のあの子を憶えているか?雨の中三日三晩外で頭を下げ続けて、それなのにさっきはあんなに怒って……ここ数年で随分短気になったものだ。虎雄に似たのか?」
「私には、何とも……」
その会話のほとんどが、季翠には分からなかった。
ひたすら床を見つめて吐き気を耐えながら、会話が終わるのを待つ。
「それで――――」
「翠よ、お前は何をしに来たのかな?」
父にようやく話題を向けられ、懐から玉璽を取り出す。
それを恐る恐る母の方に差し出した。
雨鳥が巾着を開け、中身を緑龍の掌にのせる。
「玉璽か」
「…………お返しに、参りました」
「これは俺が虎雄にやった欠片だな」
まるで子どもが玩具を弄ぶように、軽々しく玉璽を人差し指と親指で摘まみ上げてみせた。
「それをお前が持っているということは、虎雄が渡したのか」
「はい」
へえ……と真意の見えぬ相槌が返される。
「俺は四つの欠片を四方四家にそれぞれ託した。
一つは粗野に見せて誰より思慮深い西の親友に、一つは野心を燃やす苛烈な老将に、一つは祖を同じくする東の同胞に、そして最後の一つは、北の古き戦友に」
伯家、雀家、清家、玄家のことを、それぞれ言っているのだろうか。
しかしそうなると、虎雄の手には一つしか渡っていないことになる。
「(じゃあ、あれは……)」
「これをわざわざ返しに来たということは、お前は皇帝にはなりたくないということか?」
玉璽をひらひらと振る。
最初に手にした玉璽のことに思考が飛び、一瞬反応が遅れる。
「は、はい」
「ふうん?」
「そうなのか、お前は俺の血を引く正統な子の一人なのに。お前の兄とされている第一皇子は皇家の血筋ではないのだから、遠慮することはないと思うのだがな」
…………今。
「陛下――――」
今、確かに言った。
「(ああ……やっぱり真実だったのか)」
鶯俊は、季翠の兄ではない――――。
覚悟していたとはいえ、実際に断言されると心にくるものがあった。
物悲しい気持ちのまま、ぽつりと零すように問う。
「陛下は、やはり御存知だったのですね…………」
「御存知だった、とは?」
「鶯俊兄上が、偽りの皇子であると……」
「鶯俊?
……ああ、第一皇子の名か。そんな名前だったな、確か」
御存知も何も。
「あれは俺が取り替えさせたのだから」
思わず見惚れてしまうほど美しい微笑みを浮かべて、そう言った。




