第二十七話 父と「母」と子と
今回もデリケートな話題に触れた描写があります。
あと、少し艶っぽい描写もあります。
嫌悪感を感じる方は閲覧をお控えください。
しかし誓って、現実世界で実際に過ごされている方への軽視や差別の意図をもって書いた描写ではないこと、ご理解いただけますと幸いです。
「お初に、御目にかかります。……父上、母上」
口にし慣れない単語を舌で転がすのは、何とも不思議な感じがした。
季翠は「両親」の前で、改めて最敬礼した。
母……だと思う女人は、季翠をただじっと見つめるだけで何も言わず、その表情からは感情を伺い知ることができなかった。
叩頭して顔を伏せることになったし、彼女は奥にいる男にすぐに呼び戻されたから。
しかし何というか。
「(…………普通の人、だ)」
言わずもがな、雨鳥のことである。
それ以外、言葉が浮かばなかった。
それほど印象がない、平凡な女性。
どこにでもいるような……それこそ市井ですれ違ったならば、その存在を気にも留めなかったであろう。
そんな、”普通の人間”だった。
必死に特徴を捻り出せば、夫同様年齢不詳さがある。
あと、どことなく北陵――北の民と似た雰囲気がするくらいだろうか。
出身は知らないが、もしかしたら北に由縁があったりするのかもしれない。
しかし……。
正直、拍子抜けした。
娘達が憧れる恋物語の主人公に相応しい、よくそういう物語にありがちな設定――心根も姿も清水のように綺麗な女か。
はたまた虎雄たちが悪鬼が如く憎悪するに相応しい、皇帝を惑わす美しくも邪悪な稀代の悪女か。
そんな想像をしていた。
いや、単純な姿形だけではない。
そういう目に見えるものでなくとも、何かしら特別な、一度会ったら忘れられない雰囲気を持っているのだろうとも思っていた。
しかし目の前の女人からは、そういうものも感じない。
「(普通の人だ)」
何度でも言おう。
普通だ。
そして父・緑龍はというと。
「きすい?
聞き覚えがあるな。きすい……すい……どこで聞いたのだったか」
さっきから一人首を捻っている気配がしていた。
一応は娘であるはずなのに、彼は季翠の名すら覚えていないようだった。
それに落胆するのも、今更な話だった。
そもそも西から呼び戻しておきながら今まで、ろくに御前にすら召されなかったのだ。
「……ああ!
思い出した、末の子の名か。季翠、俺が名付けたのだった」
「これは悪いことをしたな、我が姫よ」
許しを得て顔を上げた季翠に美しく笑いかけた皇帝は、相変わらず強烈な印象の御仁であったが。
いつか見た皇宮でのどこか神々しい姿とは異なり、夜着の胸元を緩く開けて肌を見せた姿はしどけなく、妙に色香を纏っていた。
加えて……。
一応我が子の面前であるにもかかわらず、当然のように妻をその逞しそうな片膝に乗せ、片時もその身から離さない。
着物をはだけさせた緑龍に対して、雨鳥の方はきちんと襟元も整えていたが、今にもその隙間に男の手が差し入れられそうな雰囲気が漂っていた。
その姿は否応なしに男女の閨に乱入していることを自覚させられ……はっきり言って、あまりにも生々しかった。
季翠は居た堪れなくなって、雨鳥の表情を見る前に目を逸らした。
確かに、両親の姿をこの目で見てみたいとは思ったが。
「(…………これが、親というものなのだろうか)」
本当にこういうもの、なのだろうか。
自分達は血縁関係はあれど、普通の親子ではない。
皇帝と下々――子とはいえ、あくまで季翠は臣下の身だ。
だからこんな姿を見せたとて、特に問題ではないのだろうか……。
逸らした先に広がる景色に意識を向けた。
宮の中は、不思議な雰囲気の場所であった。
いつの間にか、室内には明かりが灯されていた。
何重にも御簾に囲まれた外の様子から、中はさぞかし狭くて息苦しい空間があるのだろうと思っていたが、むしろ思った以上に広く開放的であった。
寝台、卓、長椅子など、本来複数の室に別々に置かれているであろう調度品が、決してごちゃごちゃせず調和を保ちながら配置されている。
一つの室内で生活が完結するような、というのだろうか。
洗練された、品の良い雰囲気が漂っていた。
が。
「(……やっぱり、あまり長居したくない)」
改めてそう思った。
この宮に近づいてから、感じたり見たりした諸々のこと――今目の前にいる両親の姿も含めて。
その完結さが、何と言うか……あまり良くない意味を持っているように思えたのだ。
なぜかは、分からないけれど。
そして父の顔は、近くで見れば見るほど、やはり自分と似通っていた。
不敬で今すぐ首を撥ねられてもおかしくはない真似をしている自覚があったが、怒っている様子はなく、悠然と微笑んでむしろ機嫌が良さそうだった。
最も、その手は妻の体を悪戯に撫でまわしていたが。
「今日は思わぬ客人が多いものだ。しかし我が子に会うのは、やはり嬉しいものだな。
もう少し近くに来なさい。父上と母上に、顔をよく見せてくれ」
「はい、父上」
何にせよ、罰せられないというのは助かる。
それよりも……。
驚きよりも、やはり、という気持ちの方が強かった。
この室に入ってから一度も、季翠は緑龍と…………目が合っていなかった。
*
一番最初にその可能性に思い至ったのは、実は園遊会の時だ。
「(あの時、緑龍帝の動きは違和感を覚えるものだった)」
それに如何に御簾で遮られていようと、立ち上がりかけていた季翠の様子にまったく気づかなかったというのも正直不自然だった。
単純な無視であったならそれまでだが、今の様子からしてそれはなさそうである。
しかしそれだけだったなら、その内忘れていただろう。
極めつけは、季翠が熱で倒れた時にやって来た、医官の思わせ振りな言葉だ。
目を擦った季翠に対しての言葉と、それを口にした医官へのあの激しい叱責。
叱責された若い医官は、確かにこう言っていた。
「皇族の方は特に」と。
それは、すでに誰か皇族の中で目を患っている者がいたからこそ、出た発言なのではないだろうか。
もしくは、皇家の血筋特有の病でもあるのだろうか。
そういう血縁が関係する病が世の中には存在すると、何かの折に聞いたことがある。
もしそういう病があるからこその発言だったならば、話はそこで終わりだ。
しかしもし仮に、今まさに誰か患っていたとすれば?
それは誰なのか。
――――該当する素振りを見せた者は、一人しかいなかった。
皇帝の病など、それこそ国家機密だろう。
ましてや光を失った、などと。
あの医官は、不用意に口に出すべきではなかった。
無言で側近くに膝まづいた。
膝をついた床は、顔が映るのではないかと思われるほど磨き抜かれている。
季翠は、覚悟を決めて父母を見上げた。




