第二十五話 鈴の音
直接的に明記はしませんが、意味が分かると倫理的に問題がある描写があります。
苦手な方や嫌悪感を感じる方は閲覧をお控えください。
しかし誓って、差別的意図をもって書いた描写ではないこと、ご理解いただけますと幸いです。
――――ここで少々時を遡る。
季翠が離宮に向けて出発したのと同時刻頃。
まずは季翠達が滞在している寺から少し離れた、別の寺でのことである。
そこには老爺と若者が、一夜の宿を求めに訪れていた。
「旅の御方とお聞きしました。我が寺でよければ、どうぞ気兼ねなくおくつろぎくだされ」
「有難く存じます」
老僧の温かな歓迎の言葉に、二人は揃って深々と頭を下げた。
「わたくしと孫は、医の道を究める旅をしております。宿をお借りする代わりと言ってはなんでございますが、御仏にお仕えしていらっしゃる御坊らのお力に少しでもなれればと思っております」
老爺が診察の申し出をすると、住職は願ってもない申し出だと喜び、さっそく診療所の体制を整え始めた。
そして離宮。
奥の宮の、その更に隠された奥の一室にて。
今にも倒れそうな顔色をした青年が、必死に憤りを抑え込んだ表情で、掛けてある御簾を乱暴に跳ね上げて出て行ったところであった。
室内からそれを見送るのは、二人の男女。
上座に座る男――緑龍は傍らに侍らせた妻の腰を抱き、上機嫌に笑った。
「機嫌が悪い時の雰囲気がそっくりだ」
その共通点が愛おしくて堪らないと言った風に。
その晴れやかで嬉しそうな表情は、あまりにも先程青年が浮かべていたものと違い、彼らは本当にさっきまで同じ空間で会話をしていたのかすら疑いそうになるほどであった。
緑龍は仕事以外では滅多に寄り付かない青年が、自分からここに来たことが嬉しかった。
それだけで玉璽を割った甲斐があったとすら思い、その考えは方々から非難が殺到しそうであった。
しかし非難はされるが、結局のところ彼のすることを本気で止める者など実際には誰もいなかった。
二十年前もその前も、そうだった。
そのことは、緑龍が愛し気に抱き寄せる妻が、誰よりも身に染みて分かっていた。
……そしてそれは彼女だけではなく、あの青年も。
「だが何があんなに気に入らないのだろうな、そうは思わないか?」
妻を引き寄せて抱き込むと、まるで睦言を囁くかのように耳元に唇を寄せた。
妻――雨鳥はそれに微かに抵抗の動きを見せたが、腰だけではなく肩にも回った腕に諦めて、身を任せた。
――――貴方には、分からないのでしょうね。
夫の問いかけには答えず、彼女は独り言のように小さく呟いた。
「……私は貴方の、”免罪符”を持っているかのような振る舞いが、昔から大嫌いです」
その言葉は分かる者には分かる、まごうことなき恨み言であった。
*
虎雄の言っていた通り、宮周辺まで来れば後の侵入は容易いものだった。
警備はいることにはいるが、後宮にいるのと同じ女兵だ。
しかも、そもそもの人数が少ない。
まあ宮に近づく前に森で排除すれば、ここにそれほど警備を割く必要は確かにないのかもしれない。
外壁を乗り越え、月光を弾く白い玉砂利の上に着地する。
宮は完全に締め切られている、どこから入ったものか。
とりあえず欄干が囲む縁側を進んでいく。
流石にどこかくらい開いていると思いたいが……。
ずっと寒空の下にいた為体はすっかり冷え切っていた。
軒先とはいえ、建物の中に入ると流石にほっと息を吐いた。
しばらく進むと、一寸ほど閉じきられずに隙間が開いた戸があった。
そこから眩い光が漏れ出ている。
中を覗くと、広間の一角に位置する場所であった。
一瞬躊躇したが、この後侵入できる経路が他に見つかるか分からない為、きょろきょろと周囲を確認した後するりと入り込んだ。
とうとう入った宮の中は、驚くほど温かく、適温に保たれていた。
加えてふんだんに配置された明かりで、夜中にも関わらずまるで昼間のように明るい。
中を見渡す。
季翠が入り込んだのは、立派な広間だ。
奥に、先程外で見た後ろの宮に続くであろう階段の下部分と思われるものがあり、宮を貫いているようなかたちになっている。
あまりにも明るくひらけた所に入り込んだ為、すぐに誰かに見つからないか不安になったが、その心配は杞憂となった。
いっそおかしいほどに、人の姿が見えないからだ。
この広く明るい空間に、季翠だけがぽつんといた。
皇后が暮らしているのだから、当然あるであろう厨や裏方には人がいるのだろうが、少なくとも今は季翠以外誰の姿もない。
……はっきり言って、不気味だった。
これならいっそ真っ暗闇の中にいたほうが、はるかに安心できた。
無性に不安に駆られる。
相変わらず感じ続けている閉塞感も相まって、ますます息が苦しくなるような気がした。
とにかく、人間がいることを確かめたかった。
静かに、だができるだけ早足に宮内を駆けた。
誰でもいい、誰か。
不意に、鈴のような音が耳に入った。
慌てて適当な物陰に隠れる。
曲がり角から、侍女らしき女達の一行が現れた。
人の姿に、ほっとするのと緊張するのも束の間。
「っ……‼」
異様な光景に、目を奪われた。
その侍女達の、姿だ。
皆一様に、口元を布で覆っている。
いつぞやの後宮での騒動で、季翠が医官からつけるように言われたものと同じようなものだ。
それだけでも異常な光景であったが、それに加えて一人、特に目を引く者がいた。
先頭を歩く、何となく侍女達の長のような雰囲気がある女だ。
なぜ目を引いたのかというと、その侍女は、とにかく大量の鈴を所持していたのだ。
遠目からでもすぐに分かるほど大きなものから、音が鳴るのか不思議なくらい小さな小指ほどの大きさのものまで。
大小さまざまな鈴を、彼女は帯に差し込んで持ち歩いていた。
その姿は異様としか言えなかった。
「(一体何に使うんだろう)」
気になったものの、その鈴がぶつかり合う音ですぐに存在に気付けた為、侵入者としては好都合であったが。
何にせよ、誰か一人捕らえて皇帝のところに案内させよう。
季翠は気配を消して近づき、一番最後尾を歩いていた侍女を後ろから羽交い絞めにして物陰に引っ張り込んだ。
当然彼女は激しく抵抗したが、あまりにも驚いたのか叫び声一つ上げなかった。
早口で弁明した。
「手荒な真似をしてすみません。陛下に会いに来たのです」
これを見て意味を理解するかは分からなかったが、ダメ押しに玉佩も見せた。
しかし後ろを振り仰いで季翠の顔を確認すると、侍女は布に覆われていない両目を見開き、途端に抵抗の動きを止めた。
穏便に話を聞いてもらえそうな雰囲気になり、ほっとしたが。
――――何も言わない。
「?あの」
いつまで経っても彼女は何も言わない。
どうして。
……いや、そもそも。
「(なんで……)」
なんで、声を出して助けを求めないんだろう。
背中に、ぞくりと何かが走った気がした。
閉塞感が増す。
おかしい。
おかしい。
脳裏に、「気分が悪くなる」と吐き捨てた虎雄の言葉が思い出された。
「(一体何なんだ、ここは)」
この……ひたひたと近づいてくるような、真綿で首を締められるような、無視できない違和感と恐ろしさは何なのだ。
季翠の右手が無意識に、侍女の隠された口元に伸ばされそうになっていた。
侍女の目が、再度見開かれる。
季翠の心臓も、痛いくらい鼓動を荒立てた。
指が、もうすぐで口布にかかりそうになっていた。
書いているうちにしっくりこなくなり、小ジャンルを変えました。
よろしくお願いいたします。




