第二十四話 美しき離宮
四狛は薄墨色の官服姿で、闇の中で目を伏せて静かに立っていた。
どことなく後ろめたさを感じているように見えるのは、こちらの願望だろうか。
この男には暗すぎる色はあまり似合わないなと、季翠は思った。
何度か唇を開けたり閉じたり、噛みしめたりした後、彼はようやく季翠を見た。
「それはこっちの台詞なんですがね、何でこんな所にいらっしゃるんですか」
「……」
どう答えたものか。
しかし……。
「(また、助けてくれたのか)」
彼の行動が、季翠には掴みかねていた。
先程といい皇宮での行動もそうだが、季翠の命までは取りたくない、ということだろうか。
……それくらいの情は持ってくれていると、期待してもいいのだろうか。
――――とはいえ裏切られた人間と、裏切った人間。
流石に感動の再会になろうはずもない。
顔を強張らせ、四狛から顔を背けた。
「…………貴殿には関係ありません」
他人行儀にそう言い放った。
この青年はもう、季翠の護衛武官ではない。
それどころか、命を狙ってきている相手の臣下だ。
彼自身や、その考えがどうとかではなく、それがすべてだった。
硬い声で返された言葉に、四狛は顔を歪めた。
彼は苛立たし気に頭をガシガシと掻く。
「生憎と関係あるんですよ。なんせ俺は今、この離宮の警護に配属されてますからね」
「離宮の警護ですか。……小娘の子守りよりも、さぞかしやりがいのある仕事でしょうね」
驚きに息を吸いこんだのが伝わってきた。
これくらいの嫌味くらい許されたっていいだろう、と思いつつ、季翠は目を逸らし続けた。
「(……この人のことは、今だって嫌いではない)」
そもそも季翠は嫌いになれるほど、この青年のことを知らない。
いや。
知らないということを、裏切られてから分かったと言った方がいいか。
碧麗に対するのと同じだ。
季翠は結局、側近くにいる者のことさえ、ちゃんと見ることができていなかったというだけの話だ。
だがそれでも。
彼に騙されていたことを簡単に許すことができるほど季翠は大人ではないし、そのことを上手く言葉で伝えることができないくらいには子どもなのだ。
……彼がかつて、彼女を子どもだと言ったように。
「……別に、御父上と御母上に会いに来たんですから、こんな夜にこそこそ来なくても、堂々と来ればいいでしょう。ここには皇女殿下が追われている身であることを知っている奴は、俺以外にいませんよ」
「近衛兵は、信用していません」
四狛はとうとう黙り込んだ。
何故だか季翠の方が罪悪感を感じた。
これではまるで、こちらが悪者みたいではないか。
事実を言っているだけなのに、どうしてそんな傷ついたような雰囲気を出すのか。
「……前に逃がしてくれたことと、先程のことについては、感謝します」
早口でそれだけ言って、さっさとその場を離れることにした。
もう我々は無関係なのだ。
季翠はこれ以上四狛に恨み言を言うつもりも、面倒を掛けるつもりもなかった。
しかし背を向けた季翠に、四狛の声がかかる。
「待ってください」
まさか引き留められると思っていなかった。
何事かと振り返ると、彼は呼び止めたくせにくるりとこちらに背を向けた。
「……そっちは夜目が利く奴らが松明なしにうろついてます。離宮に行かれるなら、俺が案内します」
「その恰好なら、むしろ俺といた方が紛れられますよ。ちいとばかし背と体格は足りませんけど」
そのまま振り返らずに前を進んでいく。
季翠がついてくると思っているのだろうか。
結局。
迷った末に、彼に従うことにした。
たとえ途中で四狛が裏切ったとしても、こちらには玉佩も、何なら玉璽だってある。
もしもの時は、それで時間稼ぎができるだろう。
……それに。
季翠を貶めようとしているのなら、わざわざ先程助ける必要はない。
何となく、信じてもいいような気がしたのだ。
「(……甘いだろうか)」
彼は堂々と石の道を進んでいった。
それに続きながら、四狛の奥に続いている先に目を遣った。
石畳に階段、要所要所にある小さな石橋。
森の中に一筋走った道。
それが上まで、ずっと続いている。
暗くて全貌は把握できないが、見える限りでも見事なものだった。
この離宮は三十年近く前、そもそも元は廃寺だった所をわざわざ皇帝が召し上げて改築したのだそうだ。
だから、この道もどこか寺の参道を思わせる……というか現に元参道だったというわけだ。
なるほど、確かに由緒正しき古刹がありそうな雰囲気が漂っている。
本来、皇后は夫である皇帝と共に皇宮・翡翠城にあるべき存在である。
しかし季翠の母である雨鳥后は、なぜか皇宮ではなく、この隠された宮を居所としていた。
その為皇帝は足繫く、皇宮と離宮を行き来しているのだそうだ。
国母として皇后は諸々の政務をする義務があるが、それらすべてを彼女は担っていない。
雨鳥后はまさしく、緑龍帝の妻という役割しか持たぬ「ただいるだけ」の存在だった。
つまるところ、季翠が後宮で母后の存在どころか名前すら耳にしなかったのは、そういう背景があったのだ。
最も伯虎雄や劉夫人の口振りからして、禁忌の話題だったというのもあるのかもしれないが。
しかしそのあり方に対して、疑問を持つのも当然だった。
それに虎雄ははっきりと言葉で答えることはなく、代わりに泥でも吐くかのような顔でこう吐き捨てた。
「見れば分かる」
「あそこに行くと、俺は気分が悪くなる」
それは皇后を嫌うが故の個人的感想なのだろうか、それとも――――。
一体どんな夫婦なのか。
臣下に疎まれながらも夫の愛を一身に受ける幸せな女と、それを愛する男ではないのか。
少なくとも参道は、この先に恐ろしいものが待っているとは思えないほどどこか浮世離れした神聖さを感じるものであった。
暫く無言で進んでいると、不意に前を行く四狛が足を止めた。
夜目が利くとはいえ確かに暗い為、石段を注視していた目を上げる。
四狛の前には、これまたかなり古そうだが、立派な佇まいの山門があった。
寺で言えば、ここが正式な入り口にあたるのだろう。
「ここから先は、俺達でも陛下が行き来される時や荷運びを除いて、入ることを許されていません。この先に進めば、離宮までは問題なく行けるはずです」
実に徹底した人払いだ。
何はともあれ、無事に辿りつけそうである。
「……礼だけは、言っておきます」
四狛は無言で頭を下げ、そのまま顔を上げなかった。
だから季翠も足を止めることなく門をくぐった。
結局、最初の一度以外彼らの視線が合うことはなかった。
後ろを振り返ることはなかった。
だが何となく、彼は季翠の姿が見えなくなるまでそこに立ち続けるような気がした。
石段を登り終えたと同時に、風が強く吹き、丁度良く雲が流れていった。
その下から顔を出した満月により、月光が地上に降り注ぐ。
――――月明かりに照らされて現れた宮は、まるで天人の住まう宮殿かのように美しかった。
何より目を引いたのは、少なくとも季翠は今まで見たことがない特徴的なその構造だ。
建物の前部分と後ろ部分で高低さがある二段構造になっており、後ろの宮は山肌にへばりつくように懸造りで建てられている。
前の宮は恐らく元の寺の骨組みも再利用しているのだろう、使われている木材に月日と重厚さを感じた。
それに対して、後ろの宮はまだ新しそうな白木で作られている。
所々で二つの宮は通路で繋がっているようで、中央あたりには特に目を引く大きな階段があり、その先に舞台のようなものも見えた。
外観自体はそれほど華美ではない、むしろ素朴な感じだ。
しかしその飾り立てしていない様が逆に神聖さを醸し出していた。
それに一見質素に見えるが、細部を見れば見事な装飾や彫刻がびっしりと施されている。
今が夜だというのが、純粋に惜しいと思った。
きっと明るい日の光の下で見たら、もっと雅で美しいのではなかろうか。
と、しばし状況も忘れて見入ってしまうくらいには、美しいと思った。
――――だけど。
美しい。
確かに美しいのだけど。
こくりと、どことなく突っかかりを感じながら唾を飲み込んだ。
「(綺麗だけど、なんだか閉塞感を感じる宮だ)」
空気の澄んだ森の中にいるはずなのに、言い様のない息苦しさを感じた。
少なからず山登りしたからだろうか。
どうしてだろう。
綺麗だと確かに見惚れたのに、その感情が消えぬ内に、あまり長居したくないと思ってしまった————。
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