第二十三話 闇夜が導く再会
日が傾き、薄暗くなりつつある頃。
そろそろ目立つ為雪をかけて踏み潰し、焚火を消す。
下にも篝火や松明の火がちらほら見え始めた。
しかし隠された宮だからか、その数は皇宮に比べるとはるかに少ない。
兵達もそれに合わせて、夜目が利きそうだと思った。
ばさりと、上衣を雪上に落とす。
一枚薄くなった為、ぶるりと震えた。
佳雲には申し訳ないが、ここに置いていかせてもらおう。
幸い、今宵は曇り空だった。
とは言っても、厚い雲があるのは月の周辺だけだ。
きっとこういう所で見る月は格別なのだろうなと空を仰ぎ見つつ、今は風が吹いて雲を散らしてくれないよう祈るばかりだった。
しかし隠れされてもなお月の光が微かにもれ出ており、なかなかいい塩梅の暗闇加減だった。
もしかしたら雲の下では満月に近いのかもしれない。
白衣を脱ぎ捨てた季翠は、瞬く間に夜の闇に溶け込む姿となった。
*
そのまま離宮に続く石道に向かって、山を下り始める。
北に伸びている道に、丁度横から合流するかたちだ。
遠目の動きを見る限り、兵達は森の方をより警戒しており、かえって中央から宮を目指した方が良さそうだった。
問題は、そこに近づくまでだ。
斜面は日中影になっている場所だからか、他よりも雪の量がはるかに多かった。
積もってから時間が経ち、何度も溶けては固まるを繰り返した雪は氷の粒の集合体だ。
踏みしめるたびジャクジャクと音を立てる。
今が夜で本当によかったと、季翠は思った。
後ろを振り向くと、足跡がくっきり雪に残っている。
昼間だったらこの跡と、慣れぬ雪上での逃亡にすぐに捕まっていただろう。
しかし足を取られないように気をつけながら、なるべく音を立てずに斜面を下るというのはなかなか難しいものであった。
そもそもが雪とは無縁の生活を送ってきたのだ。
今はまだ慣れてきたが、寺から出発したばかりの時は酷いものであった。
最初は帝都でも西でもまず見ない雪の量に、これでも興奮した。
しかしそんな物珍しさも、数歩進めば霧散した。
足が嵌まって動けなくなり、無理やり引き抜いたら履物から足が抜け慌てて掘り起こし。
滑って雪に顔面から突っ込む、もしくは後ろに倒れそうになって危うく坂を転がり落ちそうになったり。
正直偃月刀は最早杖代わりであった。
――――やっぱり寒いのも冬も大嫌いだ、と季翠は改めて思った。
何とか裏山を無事に下りきり、とうとう離宮の森に侵入する。
一気に雪の量が減った。
気をつけて避ければ、足跡の心配はしなくてよさそうだった。
まだまだ寒いとはいえ、確かに近くまで春が来ている気配が漂っている。
常緑樹もそこそこあり、身を隠すのにそれほど苦労はしなかった。
しかし見つかってはいけないと思うと、カサカサと草木に当たる微かな音すら太鼓のように大きな音に感じるから不思議だ。
自分の心臓の音も相まって、ただじっとしているだけでも音を立てている気分になる。
――――大丈夫。
自慢ではないが、夜目は誰にも負けないぐらい利くと自負している。
今だってこの暗闇の中でしっかり兵の姿を視認できて、うまく避けることができている。
むしろ相手からこちらが見える可能性が高まる分、火の方が厄介だと思うくらいだ。
気をつけるべきは音……と、季翠は殊更音を立てないように慎重に動いた。
丁度すぐ傍に、松明を手にした兵がいた。
かなり慎重な男のようで、絶えず周囲――遠くはもちろん、足元の地面に至るまで——を隅々まで見回し警戒していた。
しかしだからこそ、恐らくそれほど目が良いわけではないだろうと思った。
周囲を必要以上に警戒するというのは、見えていないからこそだからだ。
しかし季翠は音を立てないことに気を取られるあまり、手に持っているある物に対する注意が欠けていた。
きらりと、手元の先が一瞬だけ煌いた。
「‼何者だ‼」
――――見つかった‼
どっと、冷や汗が一気に体から噴き出す。
最初、なぜ見つかったのか分からなかった。
一体何をしてしまったのか。
はっとして両手でしっかりと握っている物の先に目を落とす。
偃月刀……!
兵が掲げている松明の火が、偃月刀の刃に反射したのだ。
全身黒装束で、刀の柄も黒だが、流石に刃までは染められない。
布で覆っておけばよかったと内心舌打ちしても、後の祭りだ。
一瞬だった。
草むらの葉の隙間から、切っ先がほんの少し出た瞬間。
その一瞬で気付くなど、流石は皇帝の身辺を守る近衛兵ということか。
自分の甘過ぎる見通しに、情けなくなる時間すらない。
「どうしたっ」
「何かが光った!侵入者だ‼」
慌てて刀を体の下に押し込むようにして隠し、草むらに身を伏せて隠れたが、あれよあれよという間に前方に兵が集まってきているのが気配で伝わってきた。
最初に見つかった兵以外、明かりを持っていないのが幸いなのか。
「(どうする……っ)」
焦りによる興奮から血の巡りが一気によくなり、頭が熱くなる。
額を汗が流れた。
大人しく出て、玉佩を見せるか。
いや、しかし。
思案している内に、兵達はもうすぐそこまで迫っていた。
闇に頼り走って振り切ろうと決心し体を起こしかけた季翠だったが、そこに緊迫した空気を切り裂く声が割り込んできた。
「待て待て待て!俺だ俺‼」
「え……」
気づいた時には、頭上を黒い影が通って行った。
不自然に抜身の剣を持った一人の武官が、季翠の背後から頭の上を跨いで兵達の前に出る。
明らかにこちらに気付いていながら、それを避けて。
彼の登場に、兵達は一気に警戒を解いた。
「――――何だ、お前か」
「持ち場はここじゃないだろ」
「いやー、まだ慣れなくて迷ったんだよ」
何せ皇宮にくらべて真っ暗だからな、と乱入してきた青年は軽口を叩いた。
ひらひらと剣を振る姿に、兵達は彼の剣が反射したのだと納得した。
「いや、だが俺が見たのはそんな剣では……」
しかし最初に見つけた兵だけは、納得がいかない表情を浮かべた。
「この暗闇だ。見間違えたんだろ」
「お前は隊の中でも夜目が利かない方だしな」
結局同僚達に適当に宥められ、渋々持ち場に戻って行った。
彼らの気配が遠くに行くまで、武官も季翠も微動だにしなかった。
やがて辺りが静かになると、頭上で溜息が零された。
「ふう……」
「行きましたよ」
その言葉は、確実に季翠に向かってかけられていた。
恐る恐る草むらから出て、相手を見上げた。
地に伏せたことで体にくっついてきた雪が、ぽとぽとと落ちる。
暗闇の中であろうと、その顔を見間違えることはない。
たかだか数ヶ月前くらいまでは毎日見慣れたものであったが、随分と懐かしく感じた。
同時に、複雑な思いも胸中に芽生えたが。
絶妙な距離をその間に空け、両者は対峙した。
「……なぜ、貴方がここに」
――――元主従同士の、再会であった。




