第二十一話 新たな玉璽が導くものは
「――――はあ、はあ……なぜ、こんな、ことに」
翌日。
季翠は玉璽を懐にしっかりと入れ、偃月刀を持ち、寺の裏山で絶賛山登りを開始していた。
山には、まだまだ雪がしっかりと残っている。
彼女がこんな状況にいる経緯は、昨日に遡る。
*
「はい……はい……申し訳ございません」
季翠は両膝を折りたたむ座り方――正座というらしい——で、佳雲から叱責を受けていた。
何か事情があるのだろうが、突然押しかけてきた身で先客に無礼を働くなど如何なものか。
聞けば伯大将軍は養父にも近い存在だそうではないか、年長者への敬意に欠けるのでは。
そもそもクソなどという汚い言葉を使うものではない。
などなど。
ごもっともですとしか返せない咎めの言葉を、丁寧に穏やかにでこんこんと諭されれば、誰だっていたたまれなくなるだろう。
季翠は目の前の御坊や寺に対して心から申し訳ないと反省していたし、最近虎雄に毒されて口も性格も更に悪くなっている自覚もあった為(←さり気なく責任転嫁をしている)、後半はもう羞恥と情けなさで顔から火が出そうだった。
しかし。
虎親父、てめえは別だ。
あの男は佳雲による叱責が始まった途端、早々に退室していった。
言いたいことを言うだけ言って、とんでもない置き土産を残して。
本当なら今すぐにでも、仕方なく膝の上に置いたままの「それ」を突っ返したかったが、お叱りを受けている身でそんなことができようはずがない。
内心歯嚙みしながらも、真面目に佳雲の言葉に耳を傾けた。
「――――よろしいでしょう」
ようやく許しを得、姿勢を緩める許可が下りた。
最早足の感覚がなかったが。
こんな風になるのか、初めて知った。
足の痺れに固まって目を丸くする季翠に、佳雲は微笑まし気に笑んだ。
その微笑みに恥ずかしくなりつつもほっとし、勧められるがまま茶を口にした。
冷めた茶は優しい味で、緊張を解きほぐすようだった。
少し躊躇いもあったが、口を開いた。
「……佳雲様は、いつから伯大将軍と?」
「どうぞ、佳雲と御呼びください」
そうですねぇと、彼は記憶を辿るように首を軽く傾げた。
「かれこれ二十年近くとなるでしょうか」
「虎雄様と初めてお目にかかったのは、わたくしがまだ師である佳慶に弟子入りして、間もない頃でございました」
「突然、見るからに立派な役職についていらっしゃるであろう将軍様が、この小さな寺に御一人で訪ねてこられたのです。恐る恐る用件を伺えば、何でも一人の女人の御仏を、この寺で弔ってほしいとの御依頼でございました」
「一人の、女人……」
あの虎雄が、女の弔いに来たと……?
正直とてもではないが信じられない話だ。
しかし、佳雲が嘘を言っているようにも見えない。
「佳慶は元々、東都よりもはるかに東にある小さな島国の出でございました。将軍はそれを風の噂で耳にされ、わざわざお越しになったのだそうです。その女人もどうやらそこの出身だったそうで、身寄りもなく、異郷の地で弔うにしてもせめて故郷に所縁のある所で、とのお考えだったそうです」
なるほど、住職が異国の人間だから、この寺も少し異国情緒溢れる雰囲気なのか。
しかしそんなことを本当にあの虎雄が考え、実行したと……?
それ、本当に本人ですか?
と、季翠は訊きたかったが、流石に先ほどの叱責の後にそんなことを口にする勇気はない。
「本来なら先に師に伺いをたてるべきでしたが、当時のわたくしは勝手が分からず、そのまま虎雄様を迎え入れてしまったのです」
「……その女人の御位牌は、今もここに?」
「はい」
位牌、か。
「(どこかで、似たような話を聞いたような気がする)」
しかし訊いていてなんだが。
「……なぜ、私にこんな話を……?」
佳雲の話は、随分と込み入ったところまで踏み込んだ話だった。
季翠に話して良かったのだろうか。
彼は茶目っ気を感じさせるように、口元に人差し指を持ってきた。
「姫様は特別にございます」
「何やら思い詰めていらっしゃる御様子でしたし。単なる勘でございますが、わたくしの判断でお話させていただきました」
虎雄様には内密にお願いいたしますと、彼は微笑んだ。
季翠は再度落ち着かない気分になったが、きっと足の痺れのせいだろうと思うことにした。
内心少しだけ名残惜しいと思ったが、丁寧に礼をしてから退出を願った。
足の痺れで少しふらついたが。
あの虎親父に、「これ」を突っ返さねばならない。
それに葵夫人のことも、結局助力してくれるのかしてくれないのか、ろくな返答が得られていない。
それにしても。
「(なぜ、”これ”がここに……)」
虎雄が投げて寄越したものは。
――――玉璽だった。
「(伯大将軍が、二つも?)」
皇帝の信頼の証なのかもしれないが、何となく違和感は拭えない。
一体どういう意図で、季翠にこれを再び渡してきたのか。
正直季翠が持っていても、何にもならないし、何なら災厄を呼び込みそうなのだが。
でも……。
「……姉上は、これが欲しいと思っているのだろうか」
巾着から取り出し、目の前にかざして見た。
玉璽をすべて手に入れれば、碧麗は皇帝になることができる。
少なくとも、紅蕣はそれを望んでいる。
もしかしたら玉璽の最後の一つは、紅蕣が持っていたりするのかもしれない……なんて。
しかし姉も同じことを望んでいるのだろうか。
だから蒼旺も、殺したのだろうか。
もしそうなら、季翠はこれを守り、姉に渡すべきなのだろうか。
それは……正しい行いなのだろうか。
前回はそんなことを考える間もなく奪われた。
しかし今は、この手の中にある。
「分からない……」
そもそも皇帝は、なぜこんな面倒くさいことをしたのか。
もし直接話せるのなら、真意を尋ねたいものだが……。
「――――佳雲の説教は終わったのか」
「!伯大将軍……!」
庭に面した通路の角を曲がると、曲がり角の向こうで虎雄が壁にもたれ掛かって季翠を待っていた。
すぐさま走って行きたかったが、佳雲の顔を思い浮かべて何とか我慢してゆっくり歩み寄った。
「一体どういうおつもりですかっ‼」
声を抑えつつ、講義する。
「私はこんなものを受け取る為に、ここに来たのではありません……っ。葵夫人のことをお願いに――――「戰毅の妻のことなら、今邸に使いを出した」」
「っえ……」
「伯翁が適当にやるだろう」
さっきの間に、手配していたのか。
正直衝撃過ぎて頭が追いつかなかったが、慌てて言葉だけでも急いで礼を口にする。
「そ、れは……感謝、します」
ありがとうございます、と素直に頭を下げた季翠に、虎雄はさっさと行ってしまおうとするので慌てて引き留める。
「で、ですがこれはどうすれば……」
「何だ、いらないのか」
いるわけあるか。
「なら、返しに行けばいいだろう」
「え……?」
「簡単な話だ。陛下に直接返しに行けばいい」
「ついでにお前が知りたいことも尋ねてみればいいではないか。俺がさっき言った言葉の意味も、分かるかもしれんぞ」
そして冒頭に戻る。
白い息を吐きながら、黙々と山を登る。
少し小高いだけだが、山は山だ。
空気は冷たいが、体はだんだん暑くなってきた。
斜面を登り終え反対側が見える所に来ると、一息つく。
額に汗が滲んでいた。
拭って顔を上げる。
「――――離宮。こんな所にあったなんて」
見下ろす先にあるのは、冬の森に守られるようにひっそりと立つ、美しい建物だった。




