第二十話 佳雲という僧侶
「――――佳雲と申します。どうぞお見知りおきを」
突然の乱入者にいち早く対応したのは、僧侶だった。
彼はさっと目配せをして、小坊主を下がらせた。
その菩薩のように優しい微笑みを真正面から受け、季翠は反射的に俯いた。
失礼だとすぐに思ったが、何というか……落ち着かない気分になったのだ。
意味もなく袖口をいじった。
己の無作法が、やけに恥ずかしく感じた。
「(初めて会う感じの人だ……)」
佳雲と名乗ったその僧侶は、何とも不思議な雰囲気を纏う御仁であった。
年齢は三十代後半……くらい、だろうか。
虎雄より随分と若いが、どこか気の置けない空気が二人の間に流れているのが意外だった。
まさか、友人のような存在……?
「(この人友達いたんだ)」
お前が言うなである。
そっと顔を上げて、僧侶を伺い見る。
ゆったりとした僧衣を纏っているからか、色白なのも相まってぱっと見は優美な印象を受ける。
しかし袖から覗く腕や首を見るに、体つき自体は、虎雄に負けず劣らずがっしりとしたもので背丈も高い。
上品でおっとりとした風貌からは想像ができないが、もしかして……僧兵とかだったりするのだろうか。
神社仏閣にも、戦闘を生業とする者がいると聞いたことがあった。
……と、いつまでも黙っているわけにもいかず。
ちらりと虎雄を見遣るが、後見人(仮)はこちらを一瞥もしない。
来訪者が季翠だと分かると、途端興味を失ったようだった。
我関せずといった風に、茶を啜っている。
「……季翠と申します」
床に座っている相手に立ったまま挨拶するのも居心地が悪かったが、勝手が分からず精一杯丁寧に礼をとった。
突然乱入した謝罪もせず言葉少なに頭を下げた少女に、しかし佳雲と名乗った僧侶は気分を害することはなく、穏やかに頷くのみだった。
「どうぞお入りください。何やらお急ぎで来られた御様子」
お茶を淹れて参りますと、彼はさり気なく席を外した。
入れと言われたが……。
室内の床部分は、先ほどまでの通路とはまた違った造りとなっていた。
何か草のようなもので編まれた物が敷き詰められている。
椅子も卓もなく、虎雄はそこにそのまま胡坐をかいて座していた。
「何しに来た」
所在無さ気に突っ立ったままの季翠に、言葉が投げて寄越された。
「……貴方を探しに」
言葉を選んだ結果、あまりにも短い返事となった。
恐る恐る室内に足を踏み入れ、隅に足を斜めに揃えて座ってみる。
虎雄とはかなり距離を取って座った。
他意はない。
強いて言えば、野生動物との距離の取り方的な、あれだ。
間に卓がないというのは、結構心理的に大きい要素なのだ。
しばし沈黙が流れる。
季翠は何と切り出したものかと考えたが、それよりも不満の方が先に口をついて出た。
「……どうして教えてくれなかったんですか」
脈略のない切り出しに、虎雄は眉を寄せた。
「何のことだ?」
「とぼけないでください!玉翡殿の入内のことですっ」
ここは驚くほど静かな場所で、季翠の少し張り上げた声でも寺中に響きそうだった。
周囲に聞こえているかもしれないという羞恥心と、この男が玉翡の名前で分かるはずがないことに思い至り、少し罰が悪くなりながら声を落として言い直す。
「……葵将軍の御息女のことです。聞けば、皇子妃選定の時点で入内が決まっていたという話ではないですか」
「何の話かと思えば、そんなことか」
虎雄の顔は、わざわざそんなことを聞くために追いかけて来たのかと言わんばかりの顔だった。
「確かに、葵戰毅の娘云々の話は出た。清辰淵がやけに拘ったからな」
「清将軍は、徳妃を推されたと思っていました」
「最初はな。だが途中、玄家の娘を推す戰毅に娘の話を持ち出した」
彼は自分の娘を話題にも上げない戰毅に、慌てたように口を挟んだのだという。
「反対の意見が出たはずです」
「蒼旺が、これ以上北と縁を結ぶ必要はないと言った」
「蒼旺皇太弟が……」
「……伯大将軍は、誰を推されたのですか」
「あ?」
季翠の問いに、虎雄は柄の悪い反応をした後ぶっきらぼうに返した。
「張家の娘だ」
さもどうでもいいことを言う口振りだった。
一応会議に出席していても、この男にとっては誰が鶯俊の妃になろうが関係ないのだろう。
「そういうお前は、玄家の娘を推薦したのだろうが」
「私は別に……」
口ごもってしまった。
高官達にもそういう認識をされているのか。
下手なことは言わない方がいいというのは、まったくその通りだ。
季翠はそっぽを向いた。
「成り行きです。深い意味はありません」
「俺とて深い意味はない」
虎雄は腕組みをして嘆息した。
「ただ現状、張翠媛が一番血筋的にましだっただけだ」
「まし?」
妙な言い方に、季翠は眉を顰めた。
入内する姫君達は、いずれも上下の差はあれど皆妃になるに相応しい血筋の姫達のはずである。
誰が入内しても、基本的に問題はないはずだが。
しかし虎雄は季翠の疑問に答えるつもりはないようで、結論を急かした。
「で?これがお前がわざわざここまで来た用件か?」
そうだ、本題に入らねば。
関係しているとはいえ、いつまでもこの話をしている場合ではない。
季翠は、鶯俊にも隠された玉翡の入内、行方が分からなくなった葵夫人、その葵夫人が二十年前の乳母の娘かもしれないこと、すべてを包み隠さず虎雄に話した。
聞いているのかいないのか分からないそっぽを向いた状態の虎親父に、内心何度もはった押してやりたいと思ったが、こちらは願う立場である。
ぐっと堪えて、努めて冷静に現状を報告した。
「――――と、いうことで」
「葵夫人の行方だけでも、何とかして探りたいのです。どうか、御助力を願えませんか」
突然押しかけた非礼は詫びますと、両手を草を編んだ床について深々と頭を下げた。
沈黙。
言葉も返さないくらい興味がないのか、はたまた呆れているのか。
……いや、それにしたって沈黙が長くないか。
恐る恐る顔を上げた季翠。
虎雄は、珍しく何か思案しているようだった。
太い指が、顎先を撫でる。
「北……乳母の娘……ああ、そういうことか」
彼は目を細め、何やら一人合点がいったようだった。
なるほどとは、どういうことなのか。
虎雄はちらりと、横目で視線を寄越してみせた。
今日初めてまともに目が合ったが、感情の分からない目だった。
「……何ですか」
「俺は今、」
「心底同情している。哀れんでいる」
お前達を。
「はあ?」
いきなり何なのか。
なぜ季翠が、この男に哀れまれねばならんのだ。
しかも表情は恐ろしいほどの真顔だ。
よくこの顔でそんな言葉を吐けたと思う。
しかし常の不機嫌な顔を見慣れていると、逆に本気でそう思っているのかもしれないと思えてくるから不思議だ。
というか、この男に他人を可哀想に思う心などあったのか。
……いや。
「お前……”達”?」
不可解な顔をする季翠に、虎雄は自分勝手に好き勝手なことを言った。
「哀れなお前に、俺が助言をくれてやろう」
「お前の従姉が葵戰毅の息子に嫁ぐことになったのはなぜか、徳妃が早々に里下がりせねばならなかったのはなぜか」
なぜ……?
「その二つを、もう一度よく考えてみるんだな」
その言葉と共に、前触れもなくすごい勢いで何かが投げて寄越された。
顔に直撃するぎりぎりで、何とか受け止める。
硬いものだったようで、手が軽くじんと痺れた。
これは————。
「っこんの……」
「クソ虎親父‼‼」
戻って来た佳雲が、盆を取り落としかけた。




