第十八話 離宮へ
二人を見送り、しかし季翠はすぐに動く気にはなれなかった。
劉夫人はそんな季翠の様子を察したのか、無言で追加の茶を注いだ。
「……お似合いのお二人でございましたね」
優しい声音だった。
「男の方は女たらしですよ」
憎まれ口を叩く季翠に、夫人は困ったように微笑んだ。
青年の女好きは、あの短い邂逅でも十分伺い知れたのだろう。
「ですが姫君に向けられる目は、真剣なものでございましたよ」
そうだろうか……、そうかもしれない。
ばあやに、鷺舂のことを話す気にも、再度尋ねる気にもならなかった。
劉夫人は玉翡を連れてくるまで席を外していた。
鷺舂と思われる女が生きていて、かつ帝都に来ているかもしれないとは、夢にも思っていないだろう。
ましてや手を引いた娘が、その時の赤子だったかもしれないなどと。
言ったところで何か分かるでもなし、ばあやにこれ以上心労をかけるのも気が進まない。
そもそもまだ葵夫人と玉翡が、二十年前の二人だったと現時点ではまだ断言できない。
「(怪しい入内話に、行方不明の夫人、か)」
眉間に皺が寄らないように、謎に力を入れた。
何とも面倒くさそうな話である。
状況からして、葵夫人をかどわかしたであろう人物と玉翡の入内を画策した人物は、同じと考えていいだろう。
彼女達が帝都に来ていることを知っているのは、当然入内のことも知っている人物だからだ。
そうなると現時点で最も疑わしいのは、玉翡の入内を強く主張したという清辰淵になる。
床に伏せりもう随分と出仕していないというのが気になるが、そんなものは人を使えばどうとでもなる。
病自体、嘘の可能性もある。
もしかしたら、葵夫人の身柄はすでに皇宮にはないのかもしれない。
しかしだ。
「(なぜ碧明が知っていて、兄上はこの入内のことを何も知らないんだろう)」
清家は鶯俊の後見だ。
幼い頃から彼を東の地で守護し、側近にも、妃……は一時期だったが、一族の者を出している。
清家は鶯俊を皇帝にする為に動いているはずだ。
果たしてこの入内や葵夫人のことが、その為に必要なことなのだろうか?
二十年前のことに少なからず関わっているかもと思い引き受けたが、それもどうなのか……。
わけが分からないと、季翠は頭を軽く振った。
この邸に来ると、分からないことばかりが増えていく。
だが今回は、分からないで済ませるわけにはいかない。
何としても葵夫人の置かれている状況だけでも、突き止めなければならない。
可能なら北陵に来たという使者の素性が知りたいが、そんな伝手はない。
となると現時点で打てる手は、伯虎雄に頭を下げて皇宮内と清家に探りを入れるくらいだろう。
女が一人で皇宮に入るのは、何かと目立つ。
底に残った茶を飲み干す。
「私も伯家邸に帰ります」
「はい、御気をつけて」
劉夫人は外まで見送ってくれるようで、季翠の後に続いた。
回廊を歩きながら、玉翡殿のこと、と季翠は夫人に話を振った。
さっきの様子を見て気になったことがあった。
「随分と慣れている御様子でしたが、目の不自由な方の手助けの経験が?」
「……いいえ、そのような」
季翠の問い掛けに、彼女はやや躊躇いがちに言った。
「……夫が、医官でしたので……何かの折に必要になるかもと、指南を受けたのです」
「夫君は医官だったのですか」
「ええ……」
夫人は、それきり口を噤んでしまった。
彼女の夫の話は、初耳だった。
かつて結婚していたというのは聞いたことがあったが、それ以上知る機会もなかったからだ。
しかし医官を夫に持つ女人は、そういうことにも精通しているのか。
感心しつつ、特に彼女の様子は気に留めなかった。
どうやら夫人が事前に知らせを出してくれていたようで、すでに門前に伯家の馬車が横着けされていた。
御気をつけてという見送りを背に、季翠は如何にしてあの虎親父の協力を取り付けるかを思案していた。
この際だ。
「(土下座でも何でもしてやる)」
最も、そんなもの鼻で笑われるのが落ちだろうが。
しかし、帰邸した季翠を待っていたのは。
「――――いない?」
どうせ今日も何だかんだと理由をつけて出仕をさぼっているのだろうと、そのまま虎雄の室に突撃しようとしていた季翠の足を止めたのは、伯翁からの思わぬ言葉だった。
「はい、殿は今御不在でございます。数日は戻らぬかもと伺っておりますが」
まさかの事態だ。
「(こんな時に……)」
何という間の悪さだろうか。
皇宮だったら仕方ない、諦めて帰りを待つ他ない。
だが数日とは……。
正直今はそんなに悠長に待っている時間はない。
落ち着きなく唇を噛みしめた。
「行き先は?」
場所によっては後を追うのも致し方ないと、そう問うた季翠に伯翁が答えた行き先は、更に季翠を驚かせる場所であった。
「寺にございます」
――――一方皇宮でも。
「殿、ようやく動きを見せました」
「どうやら虎雄は離宮に向かったようです。如何いたしましょうか」
伯家邸を見張らせていた監視からの報告だった。
如何いたしましょうか、だと?
そんなもの決まっている。
「離宮に向かいます。貴方達は構わず皇宮の警備を」
まさかの主が一人で行くなどと言うと思っていなかったのか、部下達は一様に狼狽えた。
慌てて引き留めてくるが、烏竜はそんなものには構わず、さっさと厩に向かった。
絶対に玉璽は渡してもらう。
その為なら、どうなろうと構うものか。
「(ああ、丁度いい。いっそこの機会に……)」
彼はぼんやりと、腰の剣に目を落とした。
後の憂いは、可能な限り排除しておきたい。
季翠と烏竜。
二人の邂逅が、すぐそこに迫ってきていた。




