第十七話 矛盾する手掛かり
我ながら凄い形相だったと思う。
叔黎は、若干引き気味になっているような気がした。
しかし、それでも切実な願いなのか彼は気を取り直して再度言い直した。
「言葉通りです。実は葵夫人が帝都に到着してすぐに、先に皇宮に行かれたのですが、それから音沙汰がないのです」
「違います、そうではなく」
少し乱暴に、半ば遮るようにして否定する。
気になったのはそこではない。
つい最近、忘れることのできなくなった名が、紛れていたような。
「ろしょう?今、ろしょうと言いましたよね?」
「そうですが……」
叔黎は季翠が何に引っかかっているのか、皆目見当もつかないようだった。
彼は首を傾げ、何でもないことのように言った。
「鷺舂様は、葵夫人の御名前です。御存知ありませんでしたか?」
季翠の目が、今度こそ限界まで見開かれる。
葵夫人が鷺舂?
鷺舂が葵夫人?
一体どういうことだ。
鷺舂という娘は、皇子の乳母子の姉ではないのか。
そこではっとする。
目の前に叔黎がいることも忘れ、口から思考が漏れ出た。
「二十年前……赤子を連れた、十歳の少女」
「何ですか?」
聞き返してくる叔黎を無視する。
劉夫人は、鷺舂は当時まだ十になったばかりだったと言っていた。
その当時というのは二十年前。
「(生きていれば、彼女の年齢は今三十程ということになる)」
そして同じく二十年前に産まれた赤子は、生きていれば今二十歳……。
それに該当する娘が、葵夫人にはいる……。
「まさか……」
「?皇女……?」
「(二十年前、皇宮から鷺舂が連れて行ったのは、玉翡……?)」
確かに、条件が一致する。
葵夫人が誠に鷺舂と同一人物ならば、年齢も、あの年にして二十歳の子がいるというのも、辻褄が合う。
何より季翠と初めて会った時の、あの怯え様。
彼女は、皇帝の顔を知っていたのではないか?
だからあんなにも取り乱したと考えると、納得がいく。
彼女からしてみれば、母親を処刑したであろう相手だ。
恐ろしくて仕方なかったのかもしれない。
――――しかし、一つだけ決定的に矛盾する点がある。
「(玉翡殿は、姫だ)」
劉夫人は言っていたではないか。
鷺舂は確かに赤子を連れて、皇宮を去って行ったと。
そしてその彼女のきょうだいは、弟だった——皇子皇女の乳母子は、男児だったと。
この矛盾は、どう説明すればいい。
「(……だが同名の別人だと簡単に切り捨てるには、あまりにも一致する点が多過ぎる)」
無言でこちらに視線を向けもしなくなった季翠に、叔黎は今度こそ困惑した。
彼は季翠が断る理由を考えているのではないかと、見当違いの方向に心配を巡らせていた。
どう言って考え直してもらうか。
先日の謁見の様子から、下手に鶯俊には話せないからこそ、彼は今日この場に来ていた。
後宮に妹はいるが、自由に使える配下がいないのはあちらも同じことだろう。
それに後宮は、ただでさえ連絡を取るのに手間がかかるし、情報も漏れやすそうだった。
葵戰毅の帝都入りもいつになるか分からず、こちらも後宮同様連絡するのに危険があった。
失踪中の季翠の存在は、叔黎にとって唯一頼れる可能性がある存在だったのだ。
そこに救世主の声が届いた。
「――――私からもお願いいたします」
「葵姫!」
叔黎が顔を向けた方向を、季翠もばっと見る。
いつの間に室の扉が開けられていたのか、劉夫人に支えられ、両目を閉じた一人の娘が入室してくるところであった。
「玉翡殿……?なぜここに」
思わぬ人物の登場だった、先ほどまで思考の半分を占めていた相手でもある。
しかし次の瞬間には、季翠の頭は怒りで染まった。
卓に両手を勢いよく叩きつけると、激情のまま立ち上がる。
玉翡に今日の面会のことを話したのは、どう考えても一人しか考えられない。
「玄叔黎……‼‼」
「玉翡殿を私に会わせるなど、貴殿は一体何を考えているのですか‼」
季翠の怒りは当然だった。
季翠と会うことが、彼女の身に危険を及ぼすかもしれないのに。
叔黎の方はどうでもいい。
その覚悟もなしにここに来たとは思わないし、この口の達者な男ならどうとでも言い逃れができるだろう。
季翠の苛烈な眼差しに、叔黎はばつが悪そうに目を逸らした。
彼とて、玉翡が今日この場に来ることは本意ではなかった。
「――――翠様、」
「姫君の前で大声を出されるなど、感心いたしませんよ」
劉夫人の厳しい声に、はっと我に返る。
「っすみません……」
辛うじて椅子に座り直すが、内心苛立ちが抑えきれなかった。
せめてもの抵抗で、目の前の男に眼を飛ばす。
そこに柔らかな声が、とりなしの言葉を挟んだ。
「季翠様、どうか叔黎様をお怒りにならないでください」
玉翡だ。
「元々私が叔黎様にご相談したのです、お母様が戻って来られないと。叔黎様は、私の願いをお聞き入れくださっただけなのです」
彼女は発端は無力な己なのだと、叔黎を庇った。
しかし今回ばかりは、それをぴしゃりと跳ね除ける。
「貴女は私と会うことがどれほど危険なことか分かっておられないのです……っ」
季翠には、何の力もない。
虎雄に言われた通り、おめおめと皇宮から逃げ出したのが何よりの証拠だ。
季翠には、姉や兄を守ることはおろか、他人を守ることもできない。
今日のせいで彼女が近衛に狙われたとしても、何もできないのだ。
「その点に関しては、御安心を」
今貴様が口を開くのかと言わんばかりの顔を季翠が向けた為、叔黎は顔を引き攣らせた。
が、必死に弁明を開始する。
「葵姫は今、我が邸に滞在されております。仮にも北を任される家の邸で、未来の妃殿下に危害を加えるようなことはされないのでは……」
母親同様玉翡も皇宮への御召しを受けたが、彼女は長旅で体調を崩し、一先ず玄家邸に留まることとなったのだという。
葵家は帝都に自邸がないからだ。
しかしそれから再度の御召しはなかったが、同時に母の消息も分からなくなった。
本当かと顔を向けた季翠の気配を察したのか、玉翡は大きく頷いて見せた。
「今は、玄家邸に滞在させていただいております」
……なるほど、そういうことか。
玉翡が共にいるから、叔黎は蒼鈴達の近況を知っていたのだ。
彼女の元に届いた文を見たのか、内容を聞いたのだろう。
しかし。
「入内前の姫君と同じ邸に、ですか……」
季翠が父親だったら、まず一緒の空間にいさせたくない人選なのだが。
じっとりとした視線の意味を的確に受け取ったのか、叔黎は顔を真っ赤にして反論してくる。
「当然別棟です‼私が葵姫に不埒な真似をするわけがないでしょうっ‼」
……どの口が言うのだろうか、この男は。
とはいえ、いつも余裕ぶった色男の取り乱した様はなかなか見物だ。
「(だが……)」
叔黎の先ほどの言葉は、この入内が玉翡を害する目的でないという前提での話だ。
もしもだ。
もしもこの入内が、文字通りの入内の意味ではないことを目的としていたら、危害を加えられないという保証はどこにもない。
そもそも、本当に鶯俊に入内させる気があるのかすら甚だ疑問だ。
現に今、葵夫人は行方知れずに近い状態になっている。
この入内が隠されたものであり、画策した相手や目的が分からない以上、楽観視することはできない。
思わず行儀悪く舌を打ちそうになった。
やはりあの老獪な官吏は、こちらに押し付けてきたのだ。
劉宰相は一応恩人であるし、話に聞く限り為政者としても人としても、尊敬に値すべき人物であると思う。
が。
どうにも関わりたくないという意志を感じるのは、気のせいだろうか。
鶯俊のことといい、皇宮脱出時の物言いといい、一定以上関わりたくないという意思をひしひしと感じる。
「(……どうする)」
彼らに手を貸すべきか。
いや、追われている身の季翠が葵夫人をどうこうするなど到底不可能だ。
それに……。
「(昔、伯大将軍に言われた……)」
――――とある人間を助けることによって起こり得る、すべての可能性に対して己で責任を持てないのなら、最初から助けない方が余程良い、と。
他者に情けをかけることは、必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。
季翠がかつて帝都に来る道中、出会った賊を殺そうとしたのも、その教えがあったからだ。
助けると言うのは、その人物がその後引き起こすかもしれない諸々の事柄に対処できる者にだけ、許された行為なのだと。
葵夫人を助けることが、後々どんな事態を引き起こすか分からない以上、下手に安請け合いはできない。
しかし……。
玉翡と叔黎の顔を交互に見る。
二人の表情は、片方は見えていないだろうに、実によく似た懇願のものだった。
…………。
「……助けると、約束はできません」
「っ皇女……!「ですが、」」
「夫人が今どういう状況にあるのか、探ることくらいはできるかもしれません」
我ながら狡い言い方だった。
季翠の言葉に、叔黎は目を見開き、玉翡は胸に手を添え息を吐いた。
ひとまず安堵したようだ。
苦肉の策だ。
どちらにせよ季翠が知りたい二十年前のことを明らかにするには、遅かれ早かれ葵夫人には事情を聞く必要がある。
彼女が乳母子の姉と同一人物であろうと、そうでなかろうと、だ。
葵夫人がすでに殺されているかもしれない可能性は、玉翡の手前口には出さない。
流石にないだろうが、急がねばそれも手遅れになるかもしれない。
善は急げだ。
「話は以上ですね。急いだ方が良さそうなので、今日はこれまでとしましょう」
季翠のこの言葉で、本日の面会はお開きとなった。
二人は深く礼をとる。
劉夫人が支え、玉翡が先に室を出て行く。
室を出る直前、彼女は再度振り返ると礼を口にした。
「季翠様……本当にありがとうございます」
久方振りに正面からしっかり見た、彼女の顔。
無言で凝視してしまったのは、無意識だった。
「季翠様……?」
何も言わない季翠に不思議そうに首を傾げる彼女の問いかけに、応えるのも忘れた。
初対面の時は何も思わなかったのに。
久しぶりに会ったからだろうか。
何か、既視感を覚えた。
「(誰かに似ている……?)」
この雰囲気、どこかで感じたような気がしてならなかった。
似たような雰囲気を持つ人間が、他にも誰がいたような……。
だが、その誰かが思い出せない。
とても気持ちの悪い感覚だった。
「……皇女?」
「……いえ、失礼しました」
叔黎ももう一度礼をとると、玉翡に続く。
それを慌てて引き留める。
「叔黎殿、貴殿には少し頼みたいことがあります」
”とある人間を助けることによって起こり得る、すべての可能性に対して己で責任を持てないのなら、最初から助けない方が余程良い”。
そう、季翠はこのことを知っていたはずだった。
しかし彼女はすでに、これを一度破ってしまっていることには、気付いていなかった。




