第十六話 仕組まれた入内
玄叔黎が皇子・鶯俊に謁見してから、数日。
————宰相邸。
劉夫人に案内されて季翠が室に入ると、先客が椅子から立ち上がって礼をとった。
「お久しぶりですね、皇女殿下」
「……一応忍んで来ているのですから、少しは気を配ってくれませんか」
「玄叔黎殿」
渋い顔をした季翠の苦言に、叔黎は相変わらずの爽やかな笑みを浮かべて軽く謝罪をしてきた。
この優男の顔も、随分と懐かしい。
夫人はさっと茶を供すると、静かに下がっていった。
叔黎はそれに輝かんばかりのにこやかな笑顔を向けてから、季翠に向き直る。
老若問わず女人が好きなのだろう。
守備範囲が広すぎるにも程がある。
「劉宰相にお助け願いたいことがありお訪ねしたところ、姫君に取り次いでいただけたのです」
行方不明と伺っていましたが、御無事で何よりです。
そう。
今日季翠が叔黎と、この邸で再会することになったのにはそういう経緯があった。
事の始まりは、伯家邸の季翠の元に、乳母の名で宰相・劉炎からの文が届いたことだった。
――――玄家三公子との面会を願い申し上げたく、と。
その文で、季翠は玄叔黎が帝都に来ていることを知った。
劉宰相は、一応恩人だ。
どういう縁があるのかは知らないが、今は乳母も世話になっている。
叔黎にあっさり季翠のことをばらしたのは若干引っかかるし、正直面倒事には巻き込まれたくないと思ったが、結局こうしてやって来た。
「(この時期に帝都入り……)」
彼の目的が何なのか、それは今後の自分の動きを考える上でも知っておいた方がいいだろう。
しかし、いくら虎雄の元で身の安全が保障されているとはいえ、堂々と帝都にある玄家邸を訪ねるわけにはいかない。
劉炎の差配で、彼の邸にて面会が取り行われることとなった。
……とはいえ、その動きもまた近衛には把握されているのだろうが。
「劉宰相は、私のことを何と?」
「のっぴきならない事情で身を隠されている、とだけ。御安心を、お会いしたことはもちろん口外いたしません」
詮索もする気はありませんと、叔黎は笑みを消し、真剣な眼差しではっきりとそう言った。
「貴女様には妹達を救っていただいた恩がある」
ひとまず、肩の力を少しだけ抜いた。
季翠とて、叔黎と会う危険性を考えなかったわけではない。
しかし、ここは仮にも宰相の邸だ。
叔黎がもし近衛に漏らしていたとしても、いきなり乗り込まれることはないはずだ。
それに先ほどの言葉に、噓偽りは感じられなかった。
場を和ませるように、へらりと叔黎が笑う。
彼はいきなり本題に入るつもりはないようで、共通の知人の近況から話し始めた。
「蒼鈴姫も御心配されているそうです」
「そうですか。……従姉上は、御父君の喪に服して?」
実父が亡くなったのだ。
あの優しい従姉が、心を痛めていやしないか。
「(……その父親を見殺しにした私が、そんなことを思う資格はないのかもしれないが)」
神妙な顔で尋ねた季翠に、しかし叔黎はどこか可笑しそうだった。
「従姉姫におかれましては、健気に御父上の御冥福を祈っておられるそうですよ。しかしご婚約者殿が」
彼は堪えきれないとばかりに、唇の端を震わせた。
叔黎が面白おかしく話したのはこの通りだ。
蒼鈴の婚約者こと、葵家の若君・戰華は、父の喪に服そうと準備する婚約者に憤慨したのだという。
”娘をあばら家に住まわせるような父親の喪に服す必要などない!、と。
「それで、従姉君がお怒りになって大喧嘩をされたそうです」
「はは……」
これには流石に苦笑する。
あの夫婦は相変わらずのようだ。
……まだ夫婦じゃなかったか。
相槌を打ちつつ、少しの疑問も生じた。
叔黎が北陵を出立するまでに、蒼旺が死んだという報せは届いていたのだろうか?
それとも彼は個人的に、葵戰華や蒼鈴と文を交わし合うほどの仲になっているのだろうか。
少し気になったが、雑談はここまでにする。
「で?貴殿は何用で帝都にまで参られたのですか」
この移動に厳しい冬の真っただ中に。
季翠の問いに、叔黎は待っていましたとばかりに瞳を一瞬煌かせた。
「今回私が帝都入りしたのは、皇子殿下に届け物があったからなんですよ」
「届け物……、ですか」
この時期に届け物など、心当たりは一つしかしない。
「――――玉璽ですか」
「流石皇女、御名答」
と、嬉しくない賛辞が返ってくるが無視をする。
「やはり御存知でいらっしゃいましたか」
「そちらこそ」
「兄の元に密書が届きましたので。しかし、皇宮ではどうやら箝口令が敷かれているようですね」
そう。
事実上の譲位と、帝位争奪戦の開始とも言える皇帝の宣言。
この発言が宮中を震撼させたのは事実だが、実のところ緑龍帝の言を聞いたのは、首脳陣の高官達のみだった。
彼らは現状揃って口を噤み、一様に不気味なほど静観の姿勢を保っている。
清辰淵にいたっては、床に伏せっているという話も聞いた。
最も季翠が知る限り、約一名は確実に玉璽を手に入れる為に暗躍しているが。
しかしなるほど、皇帝は北にも玉璽を飛ばしていたのか。
「(玄家だけに送ったとは考えにくい……)」
玄家に送り、そして一つは一時期季翠の元に届いた。
虎雄がそれを知っていたことから察するに。
東西南北の四家にそれぞれ一つずつ渡った、と言ったところだろうか。
季翠の元に一時期あり今は烏竜に奪われたもの、あれが恐らく伯家に渡ったものだろう。
そして今回、叔黎が鶯俊に渡したというもの。
現時点で季翠が把握できるのはこの二つだが、そうなると残りの二つは雀家と清家の元にあると考えられる。
水面下ではしっかり各家も動いていた、いや動いているということか。
「ちなみに葵姫には、妹への届け物と言っていますので話を合わせてくださいますよう」
続いた叔黎の言葉に、目を瞬かせる。
なぜ、ここで玉翡が出てくるのだ。
その疑問に、叔黎がすぐに答える。
「葵姫も入内の為に帝都に行かれるとのことで、御一緒したのです」
「玉翡殿の入内?」
何だ、それは。
まったくの初耳なことに、季翠は聞き直した。
「やはり、こちらは御存知ではありませんでしたか」
「やはり?」
まるで季翠の反応を予想していたかのような言い方だ。
叔黎は滑らかに事の次第を説明し始める。
何でも北陵が玄武城に、先の騒動で後宮から出ることになった二人の妃の後釜に、玄武将軍の息女――つまり玉翡だ――を入宮させよとの使者がやって来たのだと言う。
妙だ。
と、直感で感じた。
「(あまりにも早過ぎる)」
妃が二人里下がりをすることになったとはいえ、次の妃を迎えるにはいくら何でも早過ぎる。
叔黎が今帝都にいることからざっと逆算すると、確実に蒼旺が死ぬ前に、北陵に向けて使者は出発してると考えられる。
下手をしたら妃の里下がりが決まるか決まらないかの時点で、すでに帝都を発っていたことになる。
いくら何でもそれは性急過ぎるのではないのか。
それに何より。
見かけによらず情報網を駆使している虎雄の邸にいる季翠の耳に、それが届かないということはまず有り得ない。
……ということはつまり、その入内は意図的に隠されたものである可能性が高い。
「妙だと思いますか」
思考を読んだかのように叔黎が問いかけてくる。
「ええ……まあ」
「失礼ですが、これは本当に公の命なのでしょうか?」
「違うでしょうね」
「は?」
間髪入れずに叔黎から否定が入る。
「根拠は」
「他でもない鶯俊殿下が、知らないと仰られたのです」
「っ兄上が?」
これには、少し声を上げてしまった。
入内を受け入れる側の鶯俊その人が、知らない。
「それは……」
それはつまり、どういうことだ。
「こう言ってはなんですが、葵家はそこまで重要な立ち位置の家ではありません」
叔黎の言葉に、季翠も同意する。
「……玄武将軍は、世襲制の役職ではない。それは他の大将軍以下の将軍位にも言えることですが、実際は玄家を除いた東西南を治める三家でその地位を奪い合っているのが現状です」
しかし葵家は違う。
所詮は現当主・葵戰毅の一代で興った家だ。
彼の出自自体、帝国ではない。
子息である戰華は一応仕官しているが、その地位は玄武城に置かれた北方守備隊の一部隊隊長という役職。
近いうちに皇家の縁戚になるとはいえ、戰毅の後別の人物が玄武将軍に任命される可能性は大いにある。
「従姉上が戰華殿に輿入れされる予定であるのに、更に玉翡殿を兄上の妃に迎える必要はない」
むしろ、しない方がいい。
微妙な立ち位置の家にこういうことが偏り過ぎるのは、乱の元になる。
何より、北からはすでに玄家の出である思黎が入内している。
下手をしたら両家の対立を煽るようなものだし、何より北に偏り過ぎている。
季翠は叔黎と顔を見合わせた。
二人の頭の中は、恐らく同じことを考えている。
玄武城に来たという使者――――それは本物の使者ではなかった可能性があるのではないか、と。
「……兄上に、詳しくお聞きしたんですか」
叔黎はゆるゆると首を横に振った。
「いいえ。あからさまに遮られたもので」
遮られた。
穏やかでない話だ。
「誰にですか」
「覆面の麗人です。聞けば、蒼鈴姫の兄君だとか」
よりによって碧明、か。
季翠は、反射的に顔を顰めてしまう。
もしかしたら実兄かもしれないが、季翠からしてみれば姉の姿を騙っていた相手だ。
季翠が彼に対して、いい感情を持たないのは当然の流れだった。
しかしそうなると、少なくとも碧明はこの入内のことを知っているということだろう。
そしてそれを、鶯俊に知られたくなかったと考えるのが自然ではないだろうか。
それが鶯俊を貶める為なのか、何か別の目的があるのかは、現時点では分からないが。
何にせよこの入内は、そのままの意味で受け取るにはどうにもよろしくないように思われる。
「そもそも、玉翡殿は一体どういう経緯で入内されることになったのですか」
この疑問は当然だった。
玉翡の入内話の存在自体は覚えていたが、戰華と蒼鈴の縁談により立ち消えになったと思っていたのだから。
一体、どこから蒸し返されたのか。
しかし続いた話には、更に困惑させられることとなった。
「何でも、妃に欠員が出た場合に……」
「は?」
「え、ちょ、待ってください。え、入内前から、欠員が出た場合の話をしていたと……?」
予想もしていなかった返答に、変な風にどもってしまう。
「そうみたいですね」
まさかの皇子妃選定の会議の時点で、入内話が出ていた?
「一体、誰がそんなことを言い出したんですか」
え~っと、誰だったっけかなと首を捻る叔黎。
「確か……徳妃?の父君だったような……」
「徳妃?」
徳妃。
徳妃の父親。
「なぜ清将軍が……」
季翠の呟きに、叔黎が「そうそうその方です」と場違いな相槌を打ってきた。
「清将軍が、葵将軍に随分と食い下がってこられたのだとか」
「……意味が分かりません」
「清将軍は、娘を徳妃として入内させていたのですよ。そんな人が、他家の姫を入内させるよう進言するなど……」
鶯俊は暗愚な皇子ではない。
後見だからと言って、無条件に清徳妃を寵愛するはずがない。
現に彼の麗辰に対する対応は、冷淡とも言えるほど冷静なものだったはずだ。
それなのに他の家の妃を推すなど、随分な余裕だ。
最も、その清徳妃はすでに後宮からは————。
「…………皇女?」
ふいに黙った季翠に、叔黎が訝しむ。
……いや。
今、考えるのはよそう。
「……貴殿は、よろしいのですか」
今度は叔黎の方が、目を見開いて絶句した。
季翠にこんな質問をされるとは、夢にも思っていなかった顔だった。
確かに今までの季翠なら、叔黎の想いに気付こうが気付くまいが、こんなことは聞かなかっただろう。
だが。
自分と姉だけではない、他者には他者の想いや心がある。
最近になってようやく、それに触れる勇気が持てるようになった気がする。
「……口惜しいとは、思います」
それだけ言うのみだった。
そもそもの面会の本題に入りたいのか、彼は話題転換した。
これ以上、触れられたくなかったのかもしれない。
「……入内のことは、ひとまず置いておきましょう。本題はここからです」
「単刀直入にお願い申し上げます皇女。皇宮から戻って来られない鷺舂様を、どうか連れ戻していただけませんか」
その言葉は、ややしんみりとした季翠の意識を現実に引き戻すのに、十分過ぎる威力を持っていた。
瞳孔が、開くのを感じた。
「————今、なんて言いました?」




