第十五話 哀しき恋のお話
「遠路はるばる御苦労だった」
「勿体なき御言葉にございます」
鶯俊の皇子らしい労いの言葉に、叔黎は恭しく返事をした。
「玄当主からの文に、弟を配下に加えて欲しいとあった」
「は。叶いますならば、殿下の側近の一人に、この叔黎を加えていただきたくお願い申し上げます」
そう。
玄家は、このいつの間にか始まっていた帝位争奪戦において、鶯俊につくことを決めたのだ。
帝都におわす皇帝の言は、玄家の元にも伝えられていた。
――――皇帝の印たる玉璽の欠片と共に。
恐らく他の家々も同様だろう。
兄から玉璽を鶯俊に届けるよう託された叔黎は、彼の配下としてそのまま帝都に残るようにと命じられた。
叔黎の悠々自適なお坊ちゃん生活も、これで年貢の納め時ということだ。
しかし、致し方ないことだった。
異母妹が妃として入内しているとはいえ、玄家は中央にまったくと言っていいほど伝手がない。
他の伯家、雀家、清家の三家と違い、我が玄家は今まで北から出ることはなかった。
しかし今後のことを考えると、このままではいろいろと都合が悪い。
もちろん家のことだけでなく、兄の仲黎は個人的に、鶯俊の力になりたいとも考えているのだろうが。
「我が兄・玄家当主は、鶯俊殿下を清家と共にお支えしようと考えております」
ちらりと、鶯俊の背後に目を遣る。
視線の先にいるのは群青色を纏った青年武官。
彼が清家の者だろう。
ふいと、顔を背けられる。
思わず苦笑する。
「(さっそく嫌われたようだ)」
「玄家の助力、有難く受け取ろう」
鶯俊の表情には、どこか安堵した様子が見受けられた。
友人が公に味方だと示してくれたことは、多少なりとも心強いのだろう。
無事に承諾されたところで、今後彼の側近として仕えていくにあたって、叔黎にとって避けて通れぬ話題を口にしなければならない。
すう……と息を吸う。
「…………この度は新たなお妃様の入内、心よりお慶び申し上げます」
断腸の思いで口にした。
……叔黎はよりにもよって。
これから仕えていく主の、その「新たな妃」を、愛してしまった。
――――今思うと運命的な出会いだったと、叔黎は思っている。
玉翡と出会ったのは、彼にとってよくあること――女人関係のいざこざ――のさなかだった。
実は皇女に接触するという別の目的も含まれていたのだが、何にせよ、彼女とは本当に偶々出会った。
暴漢に対して少しも臆することなく、背筋を綺麗に伸ばして毅然とした態度で話していた彼女。
長兄が起こした謀反で城を追われながらも、叔黎や玄家に情けをかけてくれた彼女。
叔黎は、女人が須らく好きだ。
しかし、こんなにも胸がどうしようもなく騒めき締め付けられ、自分の感情や行動を制御できないことは初めてだった。
馬鹿の一つ覚えのように、玄武城に押しかけ彼女に会いに行った。
当然彼女の兄からはいい顔をされなかった。
加えて、玄家の一員として先の騒動の後始末に奔走しなければならない状況でもあった。
それでも、無理を押して会いに行った。
彼女に、玉翡に、会いたかったから。
その姿を見たかったから、声を聞きたかったから、言葉を交わしたかったから。
玉翡という一人の人間に、叔黎は惹かれたのだ。
何度その目に、己を映してほしいと願っただろう。
しかし逆に、彼女の目が見えなくてよかったと思うこともあった。
みっともなく赤くなった顔を、見られなくて済むからだ。
しかしそれと同時に。
目が見えぬ人間を差別する意味はないが、彼女は見えないからこそ、叔黎のこんな恥ずかしい内面のすべてを実は知っているのではないかと不安になることもあった。
そんな風に彼女のことで一喜一憂した。
――――それぐらい、焦がれていた。
兄も当然それに気付いていた。
その為今回の帝都入り、本当は別の者に任せても良いと言ってくれていた。
しかし、叔黎がそれを断ったのだ。
たとえこの先指一本触れることが叶わぬとしても、その身を陰ながら見守ることができればという、何とも健気な想いからだった。
夫となる鶯俊を守ることは、ひいてはその妃となる玉翡を守ることにも繋がる。
何とも不純な動機だと思う。
しかしそんな叔黎の複雑な胸中に対し、鶯俊の反応はまさかのものであった。
「……何のことだ?」
は?
再度口を開きかけた叔黎を、美声が遮った。
「――――三公子殿」
「配下に加わるにしても、帝都に到着されてまだ間もない。しばらく休息なされると良いでしょう」
声の主は、鶯俊のすぐ傍に立っている文官らしき姿の青年。
顔全体を覆う覆面をつけている。
見るからに怪しい人物だが、皇宮ではこんな装いが許されているのだろうか。
しかし。
――――遮られた、明らかに。
「(……どういうことなんだ?)」
反応を見る限り、鶯俊は恐らく、何も知らない。
とぼけている可能性を思わなかったわけではないが、叔黎相手にそれをする意味が分からない。
隠すも何も、共に帝都入りしたのだから今更だ。
……しかし、それ以上口を開かない方がいいと判断した。
「(下手なことは言わない方がいいかもしれない……)」
どうにも、きな臭い。
誰かが裏で動いている————。
*
遠くに衣擦れと、何かがかちゃかちゃ鳴る音がする。
これは……。
「(鎧の……)」
彼女は今だ覚醒しない意識の中、この音は兵士が防具を整える時にたてる音だと思い当たった。
数多の兵を率いる将軍を夫に持つ彼女にとって、その音は日常の中で馴染みがあるものであった。
……彼女自身は今だかつて、夫の身支度を手伝ったことはなかったけれど。
焦点が定まらない視界の中に、身支度をしている男の背中が見える。
鍛えられている武人のそれなのに、どこか今にも崩れ落ちてしまいそうな脆さが感じられる背中だった。
装備を着け終わり、最後に帯剣した男が振り返る。
一気に身を強張らせた鷺舂に構わず、男は寝台に広がった彼女の髪を一房、敷布から掬い上げた。
「暫く留守にします。何かあれば、外に控えている者に」
そう言って長い括り髪を翻して、室を後にした。
彼女――鷺舂はその後姿を、呆然と見送るのみだった。
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