第十一話 鏡合わせ
—―――情報が混ざって、こんがらがっている。
宰相邸から帰ってきてからというもの、季翠は一人悶々と考えていた。
「(私は……乳母子である兄上と、本物の皇子である碧明殿が取り替えられたのだと、思っていた)」
ばあやには悪いが、やはり怪しいのは蒼旺だ。
劉夫人は蒼旺がそんなことをするはずがないと必死に否定していたが、たかが乳母と皇太弟では、どちらが犯行に及びやすいかなど一目瞭然だ。
それに乳母の処刑前の様子からして、罪を擦りつけられたというのも考えられる。
それに……。
季翠が園遊会の際に見た、忘れられないもの。
それは。
――――――――碧明の素顔だった。
覆面の下にあった彼の顔は、話に聞いていた火傷跡など、どこにもなかった。
その代わり、”碧麗に瓜二つの顔”が、そこにはあったのだ。
だから、季翠は問答無用で彼が本物の兄――皇子だと思った。
それを条件反射で導き出せるほど、彼らの姿はまるで鏡合わせのようだったのだ。
しかし劉夫人の言ったことが本当なら、鷺舂という乳母の娘は、確かに”一人の赤子”を連れて皇宮を去ったのだという。
そうなると。
「(……鶯俊兄上が乳母子だとすると、彼女が連れて行ったという赤子は一体誰だという話になる)」
碧明碧麗の双子が、皇子皇女。
鶯俊が、乳母子。
だとしたら残るは、一人。
その赤子は、蒼旺の息子だということになるが……。
そうなると必然的に、乳母子と取り替えられたのは皇子ではなく。
実際は皇太弟の子の方だった、ということになる。
それならばなぜ、現に今取り替えられたと言われているのが、乳母子と皇子ということになっているのか。
季翠は、碧明の素顔に気を取られて矛盾に気付いていなかった。
そもそもな話、乳母子と取り替えられたはずの皇子が、なぜ皇太弟の子の立場に収まっているのかという話なのだ。
そして、なぜ今だ皇后は廃位されていないのか。
蒼旺の目的が帝位にしろ皇后の排除にしろ、取り替えた張本人で手元に本物を隠しているのなら、もっと早くに鶯俊が偽物の皇子だと宣言し、彼女を排除にかかっているはずではないのか。
罪はいくらでも、死んだ乳母に擦り付けることができるはずだ。
「(彼には兄上が偽物だという確信があったはずなのに)」
なぜそうしなかった……?
そもそも。
—―――蒼旺が犯人だと聞いてから、季翠はずっと気になっていることがあった。
それは。
「(あの人は、後悔しているようだった……)」
季翠の脳裏に、蒼旺の最期の姿が浮かび上がる。
幼子のように泣いていた、酷く窶れた男……。
あにさま、あにさまと。
まるで幼子のように兄を求めていた、哀れな男。
……劉夫人が語った通りだったの、かもしれない。
なぜあんなになるまで、隠し通すことを望んだのだろうか。
どうしてそうまでして……。
「(元の地位に戻そうとは、思わなかったのだろうか)」
ごめんなさいと謝るくらいだったのだから、彼は後悔していたのだ。
だと言うのに、二十年もの長い間隠し通すことを選んだ。
とっとと告白すればよかっただろうに。
—―――碧明こそが、真の皇子であると。
極刑は免れぬだろうが、少なくとも姪に殺されるなどという悲惨な最期を迎えなくても済んだかもしれないのに。
皇女である碧麗とあれほど瓜二つなのだ。
それだけでも、血筋の正統性の裏付けになるはずだろう。
それなのに、そうしなかった。
なぜだ。
それとも碧明は、皇子ではないとでも言うのか。
鷺舂が連れて行った赤子の方が、本物の皇子だと?
「(姉上と碧明殿は、単なるよく似た従姉弟同士なだけなのだろうか)」
あれが、単なる従姉弟……?
まるで鏡合わせのような二人。
彼らの間に近しい血縁関係があるのは、明らかだった。
そんな二人が、双子ではないなどということがあるのだろうか。
いや、世の中には似ているいとこなどいくらでも存在すると言われれば、それまでなのだが。
しかしそれはそれで、疑問が出てくる。
「(もし碧明が皇子ではないというのなら、なぜ顔を隠した?)」
あの不自然な覆面姿。
火傷などと嘘をついてまで顔を隠そうとしたのは明らかだ。
碧明が皇子ならば、隠す意味はまだ分かる。
だが真実蒼旺の子なのだとしたら、その必要はどこにもないはずだ。
いや、むしろ隠したら意味がないのではないか。
彼と碧麗が鏡合わせの存在という事実は、それだけで似ていない鶯俊に対する不信感を周囲に与える。
一体なぜ……。
—―――そこでふと、有り得ない可能性が浮かんだ。
「……鏡合わせ?」
卓上に置かれた鏡を見た。
そう。
まるで鏡合わせのように、そっくりな碧麗と碧明。
彼らは、本当によく似ている。
血縁関係を疑いようがないほど。
その片割れの顔を、隠した————。
それはまるで……。
「まるで……」
まるで。
彼らの血縁関係から、隠された”何か”を紐解かれるのを恐れるかのような……。
「っ馬鹿馬鹿しい」
思わず声に出してしまったのは、あまりにも己が考えたことが荒唐無稽なものだったからだ。
有り得ない。
有り得ない。
そう、有り得ない話だ。
ばあやが言っていたではないか。
張翠儀が産んだのは、男児一人だったと。
それにこの妄想が当たっていたとしたら、”一人足りない”のだ。
いない存在を作り上げるなど、それこそ妄想以外の何ものでもないだろう。
忘れよう。
この妄想は、ここで終わりだ。
妄想を物理的に追い出すように、馬鹿みたいに頭を振る。
「(気分が悪い……)」
自分は、何という恐ろしいことを思い浮かべてしまったのか。
*
――――玉璽が二つ、揃った。
烏竜は無意識に、安堵の溜息を吐いた。
額に片手をあて、天井を仰ぐ。
……久方振りに、心の平穏を感じた気がした。
残るは、あと二つ。
一つは、後宮にある。
そしてもう一つは。
「(もうすぐ、帝都に来る)」
大丈夫だ、焦らなくともよい。
万事、うまくいっている。
しかしこれを受け取ってきた副官の様子は、常になく妙だった。
――――伯廉の行動は、すべて殿の為のものでございます。
そんなことを突然言ってきたが、あれは何だったのだろうか。
当たり障りのない返事を返したが……。
最近自分が感情的になっているのが、自分でも分かるほどだ。
伯廉は不安を感じているのかもしれない。
家宰からの帰邸の催促も、もう随分と無視している。
そろそろ帰らねば、皇宮に押しかけてこられるかもしれない。
それは困る、とふ……と乾いた笑いが漏れたのも束の間。
心が緩んだせいか。
邸……と思い浮かべたのにつられ、努めて考えないようにしていた苛立ちが微かに頭をもたげた。
本邸にいるという。
—―――あの娘。
皇宮からどうにかして脱出し、虎雄のところに身を寄せているとの報告が上がってきていた。
虎雄はあの娘を気に入っていないと聞いていたのに、とんだ想定外だ。
まさか邸に上げるとは……。
「(…………は、伯家の敷居すら跨がせるなと言ったくせに)」
十数年前の忌まわしい記憶が蘇る。
目の前で固く閉ざされた門。
あの時味わった絶望を、烏竜は忘れたことなど一度だってない。
「(気分が悪い……)」
結局あの男が見ているのは、人ではなく”血筋”なのだ。
……まあ、いい。
今は何よりも玉璽が最優先だ。
これさえ手に入れれば、後はどうとでもなる。
第二皇女は、後々ゆっくり排除すればいい。
巾着から玉璽をそれぞれ取り出す。
――――妙な違和感があった。
ばっと、それぞれの切り口を確認する。
……断面の様相が、微妙に違う。
震える手で二つを合わせてみる……。
「っ……‼‼」
――――合わない。
辛うじて溶け残った文字の配置からして、この二つが隣り合った部分なのは確実だというのに。
どちらだ。
どちらが偽物だ。
清家からの方か。
いや、運搬には厳重な体制を敷いた。
こちらからも護衛を手配したのだから。
伯廉も、雄辰も、烏竜を裏切ることはない。
であれば、可能性は一人しかいない。
季翠の元に、玉璽を届けるように手配した張本人。
激情のままに季翠から奪った方――偽物の玉璽を机に叩きつける。
凄まじい衝撃で卓上にひびが入った。
「伯大将軍……‼‼‼」
不安、焦り、苛立ち、怒り、嫌悪。
負の感情と悪化の一途を辿る体の不調は、確実に彼の精神を蝕んでいた。




