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二日酔いの頭痛それは……

作者: 庚午澪

 二日酔いの頭痛で目を覚ます。

 じんわりと夏の暑さが肌に触れ、セミの鳴き声が遠くから聞こえた。

 網戸の状態の窓から入る外光から、ギリギリ朝の内で間違いないだろうと予想がつく。

 ゆっくりと歳を感じずにはいられない身体を起こす。

「よっこらしょ……と」

 膝に手をついて立ち上がるかけ声も板についたもので、腰に手をあてて軽く反らす。余り反らないけれど、気分の問題だ。

「うう……っ、昨日飲み過ぎたか」

 言葉にするが、反省や後悔は無い。これも一連の動作の一環だ。

 二日酔いは逆にアルコールを飲んだという満足感を与えもするが、今はそんな暇は無く頭が痛い。

 酩酊感は無いが起き抜けなので、数歩覚束ない足取りで居間に向かう。

 昨日の昼、小学校の夏休みの自由研究で調べ物があるから図書館に行きたいと孫娘が言っていたなと頭痛に顔をしかめ、ぼんやり思い出す。

 小さな庭に沿って床の軋む廊下を歩き、居間に着くと三人共に朝食中だった。

 テレビがありテーブルがあり、同居の娘とその旦那、眼に入れても痛くない孫娘の全員が朝食に着いている。

 そんな孫娘を娘は子役にする計画を立てていた。子役になるには遅すぎる気はするが、中学生まで子役と言う場合もあるらしいので判断は出来ないが。

 ともかく二日酔いという以外は、普段と変わらない様子で家族の前に顔を出したのだが、違和感を覚えて渇いた喉を我慢し声をかけた。

「おはよう……」

 挨拶をしたにも関わらず誰も振り向かないし、目線ですらこちらに向かない。

 見えていないかの様な無反応という反応を前に、違和感を覚えつつも胸のザワつきを抑えて娘に頼む。

「……水をくれ、喉が渇いた」

 これも二日酔いの朝の定番のセリフだったのだが、いつも小言を口にしながら用意してくれるはずの娘が反応しなかった。

 そう、覚えた違和感は朝一番に挨拶して来る小学生の孫娘が何も言わなかった事だった。昨日までなら孫娘の後には旦那か娘の挨拶が来るけれど、それも今日は無い。

 娘は二日酔いに怒り呆れて無視という線もあるが、性格が穏やかで少し真面目な旦那が義父に対して挨拶をしないなど考えられない。

「夏休みの宿題はどう?」

「うん、大丈夫」

「夏休み中に終わりそうかい?」

「うん、木曜日に一度学校がある日までには終わると思う。明日も友達のモモちゃんと図書館で宿題する約束してるから」

「そうなの? さすがそこは私に似ないで、お父さんに似ただけはあるわね」

 まるで自分が居ないかの様な三人の会話。

 不気味な物を感じながらも一旦台所まで行き、水を一杯あおる様に飲み皆の所に戻る。

 まだ会話が続いており、夫婦と娘が向かい合う長方形のテーブルの短辺の定位置に腰を下ろす。

 座布団にあぐらをかいて座り、もう一つの違和感たる自分の前のテーブルを見下ろす。

「オレの朝食が無い……」

 極力家族全員で食べる様にと亡くなった妻の決まり事が続く食卓で、一人だけ用意されていない事など今までは無かった。

 娘はちゃんと母親の言いつけを守っており、その旦那もそろっての食卓に賛成で、極力残業が無いように仕事から帰って来る。

 守らないのは知り合いと飲みに出かけてしまう自分くらいだ。

 そんな自分の事は棚に置くとして、頭痛で目を覚ましてからの違和感は、まだ夢の中である事を疑わせた。

「夢か? いやいや、でも頭痛とか、さっき飲んだ水とか、いつもと同じでそこは違和感はなかったぞ。いったいこれは、どういう事だ?」

 白昼夢も疑うがそんな繊細な性格はしていない。

 ひとり言を呟いても三人からは一向に聞こえないかの様な無反応しか返って来なかった。

 状況がまったく見えて来ない。意識はハッキリしているし、夢の中の様な曖昧さは感じ取れず、どこまでいっても現実感しかない。

 透明人間なり見えないにしても、自分の朝食が用意されていないのは不可解極まりない。

 どころか不気味でもある。

 余りにも起床が遅い時は朝食を冷蔵庫にしまうが、まだテーブルに並んでいてもおかしくない時刻だった。

 混乱する余り諦め、状況把握の後回しを検討に入れた所で、シンクに使った食器を運んだ孫娘が戻って来る。

「今日おばあちゃんたちに挨拶した?」

 母親に問われ、首を横に振った孫娘は踵を返し、仏壇の置かれた別間に小走りで向かう。

 孫娘は毎日かかさず仏壇で手を合わす素直な子で、とりあえず自分も妻に挨拶するために後ろをついて行く。

 完全に状況の解明を諦めたので。

 小走りから座布団の上に正座し、孫娘は遺影写真に話しかける。

「おばあちゃん、おはよう。今日も良い天気だよ」

 線香に火を点して灰に立て、口の高さで手を合わす。

「おじいちゃんも、おはよう」

「おう、おはよう」

 つい今までの違和感を忘れて普段の様に挨拶を返してしまったが、孫娘は目を伏せて仏壇に手を合わしたまま、隣に立つこちらを見る様子も無い。

 悩んでも仕方ないので習って手を合わし、亡くなっている妻におはようと声をかける。

 そして改めて仏壇に目を向けると妻の遺影の隣に置かれた自分の遺影に呼吸が止まりそうなほど驚く。

 もしかしてと心の隅に可能性としてありはしたが、まざまざと見せつけられてしまうと目を丸くせざるを得なかった。

 いっとき言葉を失っていると、孫娘が後ろの居間に振り返った。そしてテーブルに座り、テレビで今朝のニュースを見ている両親に問いかける。

「おじいちゃんもお盆だから帰って来る?」

 お盆……最後の記憶では、お盆はまだ先だったはずだ。

 まだまだボケてられる歳ではないし、三日前の朝食だってハッキリ思い出せる。

「お義父さん、が亡くなったのはついこないだ……四十九日過ぎてないから、まだ天国には行ってないだろうし、どうだろ?」

 娘の質問に父親は軽く考える仕草を見せる。

「まだ、ここら辺にいるんじゃないの? たまに居るような気がするもの」

 母親の方はさして考えもせず、きっぱり言い切ってみせた。

「そっか」

 あっさりした孫娘の返事。

 親子三人のやり取りを見た後、過ぎた日付にバツが書き込まれたカレンダーに目をやった。

 確かにもうお盆に入っており、もうそんな時期かと唸る。

 余り季節の行事に興味が無いせいか、今は娘や孫娘に言われて気づかされるが、昔はもっぱら妻に教えられて季節を感じる日々だった。

 ちなみに四十九日までは現世とあの世で魂が彷徨うと話を聞いた覚えがある。

 それで死んでから意識が覚醒するまでの日にちにズレが生じているのは、魂が彷徨っていたと見れば理屈上筋が通らないでもない。

「まさか、お義父さんがあんな簡単に亡くなるなんて」

 離れた位置から仏壇の方に目を移す娘の旦那。眉間を寄せて複雑そうな表情を浮かべる。

「良いのよ。娘からお酒やめる様に口を酸っぱくして言っても聞かない人だったんだから。泥酔して物の角に頭をぶつけて、それで命落とすくらい自業自得よ」

 軽く呆れを含んだ口調で、コーヒーを一口含んだ。

「マヌケな死に方過ぎて近所には急死としか言えないのは困るけど、正直父さんらしい死因だわ」

 相変わらず娘は父親の自分に似て歯に衣着せない物言いだった。

 耳が痛ーー今は二日酔いの頭痛が勝っていてそれどころではないけれど。

 そして娘夫婦の会話を聞くに、頭が痛いのは二日酔いでなく、致命傷となった頭部の打撲による痛みらしい。

 亡くなった妻の遺品、仏壇に飾ってある手鏡 に手を伸ばし自分の顔を映す。

「なんてこった、ハンサムな顔に傷が……」

 額には角に思いっきりぶつけた跡が、くっきり皮が剥けて皮膚の下が覗き、傷口に沿って血が変色して残っていた。

 血は出ていないものの触れると痛みが走るし、打った辺りを中心としてズキズキする気がした。

 そして何よりも痛々しい。

「帰って来ていきなり、足がもつれて倒れたんだから。自画自賛のハンサムな顔くらいどーなっても構わないわ。ま、どうせハンサムって言って頷くの母さんだけだったしね」

 言って娘は朝刊をテーブルの端に寄せる。

『貴方の事をハンサムだなんて思うのはワタシくらいですよ』と、若い頃の付き合い始めてから、妻はそう言って微笑んでいた。

「はははっ……」と、今の言葉に苦笑いを浮かべる娘の旦那。

 ちなみに友達から二枚目ではないと否定され、帰宅してから愚痴を漏らした時には『二枚目では、ないかも知れませんけど。ワタシにとって貴方は一枚目ですよ』と妻は自分で言っておいて照れていた。

「きっと父さんの事よ、あっち行っても母さんにお酒の飲み過ぎですって怒られてるに違いないもの」

 先に亡くなった妻に会えるなら……そう考えれば悪くはない。

 何せ美人薄命という言葉を妻に教えられるなんて思っても見なかったので、正直会えるのは嬉しい。

 けれどもハンサムな自分と美人の妻の孫娘の成長を見守れないのは残念であり、大人になって綺麗な花嫁姿が見られないのは心残りだ。

 美人に成長するのは疑いようが無いからだ。

 それでもあえて懸念があるとすれば、妻も娘も胸が控え目だった事が不安だろうか。

 孫娘の胸が心配などと言ったら、亡くなっている妻に叱られるだろう。それでもかわいい孫娘には、少しでも魅力が増して欲しいと願ってしまう。

 過去に美人だけれど妻も娘も胸が小さい事を気にする父親に、娘が小ぶりな胸を張った。

『父さん大丈夫よ。この人の家系は大きい傾向にあるわ』

 自信たっぷりのその発言に、聞いていた彼女の旦那が不安をのぞかせた。

『ボクを選んでくれたのって……もしかして、それが理由? じゃない……よね?』

『胸の大きい遺伝子が欲しかったのも正直あるけど、もちろん貴方に惹かれたからに決まってるじゃない。自信持ちなさいよ』

『あぁ、ありがと?』

『なんか、すまないな。娘がオレに似てしまって』

 戸惑いを見せる旦那に申し訳ない。

『い、いいえ。そんな……それよりそういう話ですから、心配しなくても希望はありますよ。お義父さん』

 今どきの穏やかで優しいだけの弱そうな男だが、娘が家に連れて来た時にお前には渡さないと自信のあった酒の飲み比べを持ちかけたけれど、まさか彼が勝つとは中々に侮れない所がある。

 しかし、彼の家系が娘の言う通りなのか、両家そろった結婚式を思い出そうとするが、胸になど注目していなかったので普通に顔しか思い出せない。

 というより問題を起こさない様、妻に早めに酔い潰されて覚えていなかった。

 代わりに穏やかな彼の大胸筋を見ても意味はないので、彼が否定しなかった娘の言葉を信じる事にした。

 過去の出来事を振り返っていたら、再び孫娘が両親に疑問を口にして相談した。

「じゃあ、お墓参りの時じゃなくて、おじいちゃんへの手紙は今読んだ方がいい?」

「そうだね。この家のどこかで、聞いていてくれるかもしれないからね」

 微笑み答えた父親に真っ直ぐな瞳の孫娘は頷き返した。

 仏壇へ拝みに行った時点で、すでに手に持っていたらしい便せんを取り出す。

 隣から覗くと動物のキャラクターがプリントされた、かわいらしい便せんを開き、孫娘は仏壇の前で手紙を音読する。

 字を書き始めた頃、彼女の書く字が読めないと言ってしまったのが音読の原因だろうか? どうせ読めないからと音読を始めたのかと思うと申し訳ない気持ちになってしまう。

「おじいちゃん、お元気ですか? おじいちゃんがいなくなってさみしいです。もっとお喋りしたかったし、たくさん遊びたかったなーー」

 近くに座り、手紙を聞いて小さく頷く。

「あぁ、ごめんな。オレもまだお話ししたかったし、遊びたかったよ。何より綺麗な花嫁衣装姿が見たかったよ」

「ーーそんな大好きなおじいちゃんだけど、お酒臭いおじいちゃんは嫌いです」

「そうか……ごめんな。お酒をやめる事は出来ない、けれど……」

《おい、こら。泥酔して倒れてんだぞ。そこは禁酒宣言する所だろ!》

《抑えて抑えて》

「……向こうにいる母さんに怒られない程度に、お酒は控える事にするよ」

 目を伏せて心残りを胸に、アルコールは控えると約束する。

 すると嬉しそうな声が。

「嬉しいわ。禁酒じゃないのは残念だけど、お酒を控えてくれるんでしょ。父さん」

 声の方に顔を向けると言質は取ったと録音中のスマホ画面を示す娘が目に映る。

「な、な、何なんだ?」

「いや、だから、お酒を控えてくれるんでしょ? 父さん」

「……オレは、生きているのか?」

「もちろんじゃない。こうして娘と喋っている訳だし、当然じゃないの」

「だましたのか?」

 大人の娘夫婦ならいざ知らず、孫娘に目を向けて本当に子役を目指せるのでは? と身内贔屓にも思ってしまう。

 騙された手前、その演技力に嘆息する。ウチの孫娘は天才か! と。

 それによくよく仏壇を見れば、盆提灯をはじめとした盆飾りが用意されていない事から、お盆ではないと導き出せる。

「だましたも何も、懲りもせず昨日へべれけで帰って来たからでしょ」

「頭が痛いのは? 傷は……?」

 父親が頭を打ったというのに病院にも連れて行かないのか? この娘は、と反感を含んだ視線を送る。

「前のハロウィンで仮装に使った特殊メイクのシール。孫にかわいいゾンビだなって褒めてた時のヤツよ」

「………………」

 返って来た答えに言葉を失う。

 我が娘のやり口に軽い衝撃を受ける中、そこに孫が抱きついて来て顔を上げる。

「おじいちゃん、お酒やめるの?」

「やめないよ。飲む量を少し減らすだけだよ」

「やめないの?」

「うん、お酒はおじいちゃんのガソリンだからね。飲まないと死んじゃうんだ」

 そのガソリンで死にかけている訳だけど、という娘の小言は聞こえなかったことにして聞き流す。

「孫の前なんだから胸張って、お酒をやめるくらいの見栄は張れない訳?」

「譲れない、大事な事だからな」

「お酒でしょ、格好つけて言う事?」

「ハンサムだろ」

 全く噛み合わないやり取りを前に、ため息交じりの娘に言い返す。

「禁酒させるなら、まず自分の旦那が先だろ」

「彼は仕方ないの。前時代的だとは思うけど、飲みニケーションも必要な時はあるでしょ。子供じゃないんだから分かるでしょ、言わせないで」

 子供みたいな話のそらし方をするなと怒られる。

「そうは言うがな、結婚の報告をしに来た時なんか飲み比べはオレが負けたんだぞ」

「それは父さんが出した結婚を認める条件が、お酒の飲み比べ対決だったからでしょ。しかも一方的に勝負を持ちかけたりして」

 親子の会話を見ていた旦那が苦笑いを浮かべた。

「あれだけ飲めたのも、認めてもらうために必死でしたから。それに勝負の後、人生で一番酷い二日酔いでしたよ」

「二日酔い!? 今の聞いたか? オレは二日酔いどころか、しばらく荒波の漁船に乗っているみたいに酷かったぞ。それをオレに勝った彼は二日酔いだぞ、化け物か? 酒吞童子か? ヤマタノオロチか?」

「はいはい、子供じゃないんだから話をそらさない。彼はお酒好きじゃなくて、アルコールに強いだけだから」

 ハンサムな自分と美人の妻から産まれた娘が怒ると恐ろしいのは、優秀な遺伝子の弊害だろうか。

「泥酔した父さんを旦那に運んでもらったり大変だったんだからね。人に迷惑かけるとか反省してよ」

「オレは親だぞ。そんな言い方が許されると思ってるのか!」

「関係ないでしょ、いい大人が反省もできないの? 父さん」

 逆ギレなんかでは眉一つ動かさない娘を前に反論に一旦詰まる。

「……誰に似たんだか」

 認めるのもシャクで、つい文句が口を吐く。

「はぁ、それは父さんに決まっているでしょ。明らかな劣勢なのに開き直れるメンタルとかさ」

「む、こんな場面で自分の性格に苦しめられるとは流石と言わざるえないか」

「お義父さん、そういう所ですよ。似ているの」

 娘の旦那にも指摘され、孫娘が追い打ちをかけてきた。

「おじいちゃんは好きだけど、お酒臭いのは嫌」

「む……」

 禁酒をその場のノリでも口にしない父に娘が呆れ顔を浮かべる。

「お酒を控える件は約束ね。さっきも言ったけど言質は取ったから」

 そう言った娘から飲酒の目安を告げられる。早速その目安に不満があり、抗議の声を上げた。

「待った! 禁酒するんじゃないんだから、そんなに量を減らす必要は無いだろ! 禁酒ハラスメントだ!」

「何よ、禁酒ハラスメント? って。死にゃしないでしょ。泥酔して階段から転げ落ちた前科があるんだから、むしろ命を落とすリスクを減らせるくらいよ」

「おじいちゃん……」

「ほら、孫に心配されてるし嫌われたくないでしょ」

 眉間にシワを増やし、孫娘を見やりしばし黙考。

「分かった、分かった。だが急に減らされてもリバウンドするだけだからゆっくりな。それにあくまでお前に言い負かされた訳じゃないからな」

 孫娘には勝てないと証明された瞬間ではあったが。

「良かった。じゃあ、さっそく試しに料理にあのお酒使ってみようかな」

 娘の鼻歌交じりに聞こえた不吉な発言に瞬間的に叫び止める。

「ちょっと待て! お酒を控えるからってそういう事じゃないだろ!」




           完

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