承 てらおかさん、修行する。
前回のあらすじ
熊殺先生の道場にちっさなおんなの子が入門したんですって。
承 てらおかさん、修行する。
ある片田舎の地方都市の外周には、古びた道場がある。
道場の住人は、ちょっとまえから二人になった。
一人は先住民にして道場主、一般人を自称する怪人、熊殺・鉄拳。
そしてもう一人が、自称0歳児こと無事弟子入りを果たしたてらおかつきこ。
奇妙なまでの巨大な存在感。生年不明。住所不明。家族構成不明の謎の美少女であるが――
(おそらくは人外)
だと、熊殺は半ば確信していた。非道い師匠である。こんなにかわいいのに。
それはそれとして、修行の話をしよう。
結論から言うと、てらおかさんはポンコツだった。
体力がない。体作りも出来ていない。走ればこけるし、歩いてもこける。危機感というものがないのか、投射物に対する反応もぼろぼろだった。
【だった】 過去形である。
てらおかつきこは、熊殺しが確信していたように、確かに怪物だったのだ。……こんなにかわいいのに。
道場内。
師弟が組み手を行っていた。向かい合い、互いに機を探し合う。共に簡素ながら、耐久性の高い胴着姿。デザインは同じながら、サイズ差はまるで大人と子供といっていい。だが、双方の目に、お互いを脅威として見る緊張がある。
まばたき。至近距離。視界を埋める巨大な拳。
弾いた。
一転。続けざまの攻勢が静寂を砕く。
一方は所狭しと飛び回り、隙を見て襲いかかる。対する側は巌のように位置を固定し、相手を迎え撃ち続けている。
師が受けてとなり、弟子が攻め手となっている――?
否だ。
攻め手が熊殺で、受け手がてらおかさんであった。
両者の体重差は約5倍。質量、筋力、持久力。そうした能力差が伴う数値である。
少女の真新しい胴着と、長い白髪は高い位置に結ったポニーテールが攻防に遭わせて躍動する。
――怪物扱いもさもありなん。その「差」をもってして、簡単に打ち崩されない技量を、この華奢な少女姿は修めようとしている。
対して。
規格外の体躯を持つ熊殺が軽快に跳ね回り襲いかかる様はまさしく「怪人」だ。実は人間か怪しいかもしれない。
防衛する少女と時として交差し、打撃を交わし、また離脱し、交差を狙う。歪な衛星軌道のような変則組み手であった。
(それこそ、最初の一週間は、彼女も絵に描いたようなポンコツだったのだが)
熊殺が、てらおかさんの鉄壁の防御に攻め込みながら、ふと思い出す。
何も出来なかった彼女だが、ほんの一週間もした頃には、砂漠に水を注ぐような勢いで彼の術理を吸収した。
その速度ときたら、怪人熊殺をして、
(やはり、人外)
と改めて確信させるほど。非道くないだろうかこの師匠。こんなにかわいいのに。
とまれ、今ではこうして、
(本気で攻めても、攻め切れん)
ふと、道場の片隅の古いラジオから雑音が響く。
――珍しい流星のニュース。
「ッ!」
鉄壁だった防御が、ぶれた。本人も意図しない、すぐに取り戻せるような、微かな隙。
刹那
巨大な拳が、それを徹底的に粉砕し、打ち崩し――致命的な接触の一瞬前に、ぴたり、と制止した。
一拍遅れて、見た目通りの軽い着地音とともに少女の腰が地面に落ちる。
「は、はううう…」
ばしゅうっ 動きを止めた熊殺の胴着の隙間、そこかしこから圧力を伴う湯気が飛び出す。その体勢は最後の一撃を止めたまま、少女にのしかかるよう。
対して腰を落としてしまった少女は、少し汗ばみ、激しい動作に伴って少し着こなしが崩れている。無表情ではあるが緊張した面持ちであり――
――つまり一見して、事案であった。
「てらおか」
「は、はいッ」
「今日はこれで終いだ。今日はおまえが晩飯の当番だろう」
「えっ……あの、師匠? えっと……」
「俺は買い出しがある。先に行く」
「あ、はい!」
道場を出る。簡単に汗を落とし、街に出た。
熊殺は猿のように飛び回っていた超重量級の体躯を、心なしか疲れたように動かしながら、先程の組み手を検証する。
彼女はもう、彼の流派の術理・戦術についてはほぼ完璧、といっていいレベルで習得していた。
その習得速度に、思うところもないではない。
(俺は、四半世紀は懸けたのだが……)
ないが、まあ、今はそれはいいのだ。
(あの、隙は、なんだったのか)
ほぼ完璧、といってもよい技術を持ちながら、あの一瞬に見せた精神のぶれは――
熊殺にとってはある種、見慣れたモノであるように思えた。
(だが――)
何によって、それが引き起こされたのか。
熊殺には、それがあの少女にはひどく縁遠いものに思えるのだが――
買い出しの間中考えたものの、この時の熊殺にはとんとわからなかった。
なお、悩みながら歩き回ったせいで、その凶暴な顔面と発生した威圧感により無辜のお子様十数人に尊厳的な意味でダメージを与えてしまった件については、大変遺憾に思う、とのこと。
◇
買い出しも終わり、道場に戻った。
道場内へと視線を通せば、彼女、てらおかさんがまだ拳を振るっていた。
正拳突き。最初期に教えた、効率のよい殴り方。その型を最初からなぞるように、繰り返している。
声をかけようとした熊殺だが――
その時ふと、道場の屋根越しに、特別おかしなものが視界に映り込んだ。
(――月とは)
真昼の月が
(――あんな軽快にピストン運動をするものだったろうか)
宙を滑った
道場から漏れ聞こえる少女の気合いと、何故か同調するように、何度も繰り返し動いている。
ピストン運動って言うか、あれ正拳突きの軌道じゃないですかね。
呆然。
あ、変な位置で止まった。
「あ、えっ、し、師匠っ!?」
てらおかさんに先に気づかれてしまった。
「む、今戻った。ところで、てらおか、ちょっと聞きたいのだが――」
「――あああ! し、ししょー! あ、あっち! あっちになんかこーえーと、とりあえずすごいものがーー!」
「ふむ?」
目をそらした瞬間、ちょっと気合いを入れるような声がした。
……特に、何もない。
「あ、ご、ごめんなさい! 気のせいだったみたいですっ!」
「そうか。ところで月が――」
「つ、月が?」
動いて――いない。もちろん、変な位置にある、ということもない。
あるべきものがあるべき位置にあるだけだ。
(疲れているのだろうか……)
熊殺は、とりあえず自分の正気を疑っておくことにした。
そうして、思うところはあったモノの、今見たものは忘れておく。
決して「そっぽ向いて口笛を吹くてらおかさん」という珍しいものを見たせいでどうでもよくなったとか、そういうことではないはずだ。
◇
夕餉の時間である。
食後のお茶まで飲み干して、熊殺はふと、彼女に聞いていなかったことを思い出した。
「てらおか」
「はい、師匠! オカワリですか?」
打てば響くように少女は応える。胴着は脱いで、Tシャツ姿。先程まではここにエプロンを着けていた。
「いや、充分だ。いつも通り旨かった」
「はいっ!」
何でもない風だがー―この男、もはや胃袋を捕まれている。
改めて言うが、てらおかさんはうっかりさんでもあった。どうも弟子入りに際して対価を支払うつもりはあったものの、何が必要なのかわかっていなかったのだという。
(だからといって、「体で払います」はないだろう……俺を、なんだと……)なにかと無防備な少女に対し内心青息吐息の彼であった。
熊殺が提示した対価は――家事であった。掃除。洗濯。料理。そういった雑事を分担してこなすこと。
そしてこれらの習得についても、彼女の覚えは非常に速かった。
この道場は、彼女の弟子入り前後で劇的に清潔になったと言っていい。弟子入り当初はそれこそ、男やもめの一人住まい。当然、整理されてるわけもなく――お察しの通りの状態だったのだが。
(それにしても。「溜めた洗濯物を出して」とか。「色物と道着一緒に洗濯しないで」とか)
(ちょっと、やる気を出し過ぎではないだろうか……)
その惨状を前に、てらおかさんは大いにやる気を出したのだった。世話焼きというか、オカン属性というか……バブミを感じる? 最近の表現ではこう言うのだろうか? 控えめに言っても、生活上の急所を総て押さえられてしまっていた。
特に料理において――最初期のお焦げはともかくとして、最近はもう、熊殺は完全に胃袋を捕まれたと言っても過言ではない。
「いやそうではなく。――てらおか、改めて、ということになるが」
彼は真っ直ぐに彼女を見た。
「君の理由を聞きたい」
何故ならば、
「弟子入りを許した。技は得た。もう、免許皆伝と言ってもいいだろう」
「それで――その技で、何をするつもりなんだ」
真剣な眼差しであった。熊殺も少女が人外でこそあれ、邪悪な存在でないことは、ここまで生活を共にして、よくわかっているつもりではあった。しかし、それでも、これだけは問わなければならなかった。最初に問うべきであったことではあるのだが……
(「これ」が単に血を求めるような性質ならば――)
本来は、自身の教える技など、不要なのだろうと熊殺は推測していた。巨岩を思わせる存在感の少女。おそらくは、ただ本性を顕わすだけで、地球上に抗える個体も、勢力も存在しなくなるのでは――そんな気さえしている。
では、何故、ここにいるのだろう。
てらおかさんは――少しの間迷っていたようだった。
少女は無表情で答える。表情こそいつも通り、ではあるものの。姿勢を正し、目を合わせ――出来る限り真摯に答えようとしていることは見て取れた。ぽつりぽつりと、身のうちに溜め込んでいたものを、こぼすように。
「――師匠は、その。熊殺しをなされたのですよね。身の丈以上の、血の味を覚えた、ケダモノを、正面から」
師である男は失った側の目の縁をなぞりながら、「そうだな」
「クマ相手、では、ないのですが」
ふと、彼女の手に目を落とす。膝に置かれたそれは、無意識にか、しがみつくように服の生地を掴んでいる。
「わたしも、「ソレ」を、自分の力だけで、しなくてはならないコトになったのです――」
要領を得ない言葉であった。しかし、おそらくは
(真実であろう)、と熊殺は思った。
数年前に自分が行ったそれは、生存のために否応なく立ち会った結果だ。
知人を数人喰われた。片目を取られた。それでも立ち向かったのは結局の所――ただ、死にたくなかったからだ。
(何者であれ――己が生のために抗うのなら、)
熊殺はそれを肯定する。
「そこまででいい。了解した。――それで。首尾よく出来そうか、てらおか」
「大丈夫です! 師匠からいただいたこの技があれば、どんな相手だろうと――」
少女は、無表情ながら、ふわりと口元を緩めたようにも見えた。
◇
結論だけ言うと、大丈夫ではなかった。
※新聞配達の学生さんは女子高生なのです。今時の子にしては古風だね。