第六話
小高い丘の上に領主館はある。ロの字型をした古風な石造りの建物は城塞としても立てこもれるように周囲に堀をめぐらしていた。跳ね橋の前には門番が二人立っていたが、シャルローゼたちの姿を見て慌てて槍を構えた。
「シャルローゼです。ここをおあけなさい!!」
狼狽した城兵たちがはね橋を上げようとするところを一気に渡って領主館に到着した一行は、クロードの姿を探し求めた。領主館にも備えがあったとみえて、居合わせた兵たちは問答無用で襲い掛かってきた。カノンはこの時初めてオニキスの強さを目の当たりにすることになった。
幅広の剣を軽々と振り回し、無駄のない動きで相手の動きを封じていく。全て峰うちであり、昏倒した相手を隅に蹴り飛ばして別の相手に備える余裕ぶりだ。
「駐留しているルロンド王家の部隊に気づかれる前に、片を付けなくては」
ルロンド王家の部隊はブロアの街の郊外にある港を見下ろせる高台に砦を構えている。そこは軍港でもあって軍艦も停泊しているので有事の際に動かせる戦力は大きい。介入されてしまえば、大騒ぎになるし、少なくないけが人が出る。
シャルローゼに続いて、カノンは剣戟の入り乱れる領主館を疾走した。次々に扉をあけ放つシャルローゼの周りを残った数人の部下たちが固める。
「もしや――」
シャルローゼは身をひるがえして領主館の東に駆けだした。
「どこに行かれますか?」
「地下牢があるのですわ!」
カノンの問いかけにシャルローゼが叫ぶ。東側の廊下の端に小部屋があり、そこには数人の城兵たちがいた。それをなぎ倒すようにシャルローゼがたたき伏せる。そして床の絨毯をめくりあげると、床板の一点を剣の柄を使ってこじ開けた。
ギイッというきしんだ音と共に、床板が持ち上がる。すばやくたいまつを用意した部下の一人が先頭に立とうとするのをシャルローゼは制し、自身で降りていった。カノンたちも続く。薄暗い地下への道は暗く湿った石段によって導かれてゆく。人2人が並んで通れるほどのらせん状の石段をひたすら降りていくと、地下の大広間に降りてきた。
「御父様!!」
シャルローゼが叫んだのと剣が振り下ろされるのとが同時だった。シャルローゼは短剣を取り出すと、素早く相手に向かって投げた。
鋭い音と火花が散り、剣は床に転がって派手な音を立てた。
「ようやっときおったか、シャルローゼ」
クロードは足元の小さく丸まっている物に一瞥をなげ、シャルローゼを見た。カノンの視線はクロードよりもその傍らに佇んでいる影に向けられた。フードのような物を被っているが、正体はすぐに分かった。
「御父様お待ちになって!どうして私の子を殺そうというの?」
「ドナウディア家の家訓は何か?!」
鋭く跳ね返ってきたクロードの声が大広間に反響する。
「・・・常に堂々とあれ、ですわ」
「そうだ。それをお前は破りおったな。よりにもよって大事な縁談の前に。まだ儂に面と向かって言えば考えんでもなかったものを。こ奴があの血筋を引いていること、それがナッサウ家に知れればどのようなことになるか、わからぬお前でもないであろう」
「だからといって子には何の罪もありません!!」
「そうかな。生まれてくることそのものが罪だという事もある」
カノンが鋭い音を立てて息を吸い、身じろぎしたので、シャルローゼが驚いた顔をした。
「そちらは先日の魔法屋のお嬢様かな。随分と手を煩わせてしまったようじゃが、ま、こういうことになった」
「待ってください」
カノンは息を整えようと呼吸に意識を向けながら声をかけた。
「ならば敢えて問います。何故妊娠が分かった時、脱胎を試みなかったのですか?」
「儂が気が付いたときには既にその時分を越えていた。降ろすには相応の危険が伴った。当主が不可解な死に方をすればドナウディア家の存続にかかわる」
「・・・そうですか」
シャルローゼの右隣に立っていたカノンは一歩前に踏み出した。クロードより先に影が身じろぎした。
「私にはわかりません。家柄や矜持などというものは難しくてよくわかりません。けれど、目の前で子供が殺されるのを見ることはできません」
「では、手向かうという事かな、ストレ・カノン」
中性的な、凛とした声がした。影として佇んでいたフードが動き始めた。フードを下ろしたその姿はカノンが警戒していた通りの存在だった。輝く金髪が肩まで波打ち、オーラが黒い大広間に降り注ぐ。
「ストレ・カノン、評判は聞いているよ。我が名はシリル・ヴェスタ。魔調律師クラス・ダイヤ。クロード卿の護衛として、そしてその子をさらう駒として少々力を貸すことになっている」
「クラス・ダイヤ、アルテシオン幹部級!?」
シャルローゼが身じろぎする。ならば、あのファムの首飾りに呪をかけたのもこの人物だろう。強力な術の遣い手だ。
「ええ、そうです」
カノンは息を吐いて決心した。相手は引き下がらないことはわかっていた。ならば――。
「シャルローゼ殿、御下がりください」
「でも、あなたは――」
「大丈夫です」
カノンは背筋を伸ばして相手を正面から見つめる。
「ストレ・シリル、魔調律師クラス・サファイアのカノン・エルク・シルレーン・アーガイル、手合わせ願います」
「ほう・・・・・」
シリルが眼を細める。
「四つの名か。これは珍しい。しかも二つ名がエルクとは」
シリルは満足そうな笑みを浮かべた。どこか清々しそうだ。
「アルテシオン幹部級と聞いても立ち向かうその姿勢は良し。けれど、あまり正面ばかり見ていると――」
カノンが右手を一振りし、襲い掛かってくる黒い影を打ち払う。黒い影は消え、すうっとシリルの手元に戻ってくる。
「光と闇、相反するオーラを調律してこそクラス・ダイヤ。その力、見切れるかな?」
シリルが無造作に左手の指を一つ鳴らすと、次々と光と闇の光弾がシリルの周囲に展開するが、それだけではなく、カノンの数メートル周囲にも展開する。
「・・・・・・・」
カノンが右の人差し指と親指を立て、立てたまま腕を一振りすると、次々と光り輝く光弾が出てきた。シリルの光弾が直径1センチ程度なら、カノンの光弾は直径5センチほどである。
次にカノンは左手を振った。黒イルカが宙に現れ、そしてぎょっとなった顔をする。
「え、まさかこれ・・・・・」
「ほう、そのイルカ!覚えているよ。随分とこちらの精霊をてこずらせてくれたね」
シリルも右手を振ると、紅蓮の炎を纏った小さな赤竜がシリルの左横の宙に出現した。ずんぐりした胴体にむっちりした手足が生えており、それを寝起きの幼児がやるように力強く伸ばす。
「りゅ!」
「ほら、あの時の相手だ。また再戦したいって」
「りゅ?・・・りゅう!!」
「ちょ、待って待って待って!!僕一言もそんなこと言ってないし!!カノンが勝手に呼び出しただけで――」
「りゅりゅう!!」
赤竜はどこか嬉しそうに泣くと、黒イルカに突進した。
「あ~~もう!!カノンの馬鹿~~!!」
黒イルカが悲鳴を上げ、とっさに展開したウォーターシールドで赤竜が吹いた炎を受け止める。
シリルは無造作に指を鳴らし、2体の精霊の周りにフィールドを作り上げた。
「そちらはそちら、こちらはこちら」
うなずいたカノンは身構える。
(この世界にあまねく精霊たちよ、我に力を与えたまえ)
既に周囲を展開し終わっていたシリルの光弾が勢いよくカノンめがけて突進した。数百の光弾が次々とカノンに命中する。
シリルは左手を前に振った。周りに残っていた光弾も一気に飛翔してカノンを襲う。
あたりに何とも言えないにおいが立ち込めた。数百の香をブレンドしたような異臭だ。
シャルローゼが声を上げた。クロードも絶句したようにカノンが立っていた場所を見る。
ぽっかりと大穴が開いていた。深淵の深さがどれほどかわからないほどに。
(我、汝らの力を受け止めん。その理、その意義を解し、我の力となり、もって我に仇成す者を打倒さん・・・・!!)
シリルがはっと背後を振り向く。
(高軌道高速光弾魔砲)
シリルの背後に回っていたカノンが交差させていた両の腕を、手のひらを重ね合わせシリルに向ける。
「ティレイル!!!」
光り輝く一条の光線にらせん状の光が纏いついたものがシリルに放たれた。
(早い!!)
光はシャルローゼの右、広間に続く階段の壁をうちぬいた。そのまま壁をどこまでもえぐり続け、光は走り抜けていく。
「見事」
ローブの左腕を抑えたシリルが苦悶に顔をしかめながら言った。腕は付け根からもぎ取られていた。
「自身に精巧に似せたシャドウを作り出し、影の道を通って背後に回った、か」
「・・・・・・・・」
カノンは魔法の残滓を払い落とすように手を下ろした。
「卿、もうよいでしょう。ご覧のとおり私の腕は使用不可能となりました。これ以上は戦えません」
「ふむ・・・・・」
クロードはシリルを見ていたが、今度はその視線をカノンに移し、またシリルを見た。
「では、どうかね?ストレ・シリル」
「ええ、もうよいでしょう。彼女は合格です」
「?」
意外な言葉に眼を見開くカノンをしり目に、シリルは右手を左腕のあった場所になぞらえる。光が出現し、再生された腕が伸ばされた。
「いや、だまして申し訳なかった。ストレ・カノン」
「??」
何がどうなっているのかとカノンは周りを見る。シャルローゼもカノンを見ていた。そしてすまなそうに言った。
「ごめんなさい、カノン。またあなたをだましてしまいましたわ」