第七話
眼を開けた――。
カノンは自分がどこにいるのか一瞬わからなかった。頭を動かすと、青い空に小鳥がさえずるのが見え、穏やかに吹く風が頬を撫でていく。
「ここは・・・・・?」
「カノン、気が付いたよ!!」
黒イルカの声がする。体を起こすと、そこは狭い塔の上だった。天井に四方には柱だけ。
「何で壁を作らないのって思うでしょ?ボクは風を感じるのが好きだから」
女性の声がした。体を起こすと、エルフが空を仰ぎながら風に髪をなびかせて立っていた。薄い緑色の衣装をまとい、それが風に吹かれて音なき音を立てている。綺麗な鈴の音のような音。カノンはそう思った。
「それ以上に皆の声を聴くのが大好きだから」
「・・・・・・?」
「下を見てごらん」
エルフの隣に来て眼下を見ると、その様相は一変していた。人々が動き出している。荷車が行き交い、喧騒があちこちでざわめき、怒鳴り声、陽気な歌い声、物売りの声等がいっしょくたにカノンの耳に入ってきた。
「これは・・・・!?」
「戻ったんだよ。世界が元に戻ったんだよ」
黒イルカが興奮したように声を上げる。
「カノン、だっけ。ボクたちを助けてくれて本当にありがとう」
そんなことは、と言いかけたカノンはエルフの次の言葉に耳を疑った。
「この世界はね、確かに創り手から見捨てられたかもしれないけれど、大丈夫。単にその気にならなかっただけなんだよね」
「その気に?」
「簡単に言うと、不貞腐れてずっと引きこもっていたニートって感じ。ぶっちゃけていうと、この世界、もう創り手がいなくてもそれなりにやっていけるレベルなんだよ」
エルフの言葉を理解するのにしばらく時間がかかった。
「つまりは、その、あなたたちは自分からあんな状態になったのですか?」
「まぁ、そんな単純な話ではないけれど、おおざっぱに言うとそんな感じかな」
「・・・・・・・・」
「まぁ、でも、ホラ、いきなり親に捨てられるのはイヤじゃない?ね?みんなそんな気持ちになっちゃって、あんなになったわけ」
「・・・・・・・・」
「あ、でもでも、皆感謝しているんだよ。君が来なかったら、ボクも含めてずっとずうっと引きこもりニートだったわけだし」
「みんな、ですか?」
「カノンが寝ている間にみんな集まってきて騒いでたんだよ。エルヴィンが追い払ったから今僕たちだけだけれど」
黒イルカが説明する。
「まだ名前を名乗っていなかったね。あらためまして、ボクの名前はエルヴィン・リーヴェ」
「カノン・エルク・シルレーン・アーガイルと申します」
カノンは頭を下げた。エルヴィンは笑って手を振った。
「いいよ、そんな堅苦しい真似は」
「ですが――」
「そんなことよりも、この子が伝言があるみたいだよ。君のもう一人のお仲間から言伝を受け取っていたみたいだけれど」
「あ!そうそう、エフェリーツェから伝言預かっていたんだよ」
黒イルカが声を上げる。
「エフェリーツェさんから?」
「エフェリーツェならちょっとだけ戻ってきてすぐにいなくなったよ。『もう私の手を借りなくても大丈夫だろう、とりあえず』って言ってた」
いつの間にかエフェリーツェがいなくなったことにカノンは少し残念そうな気持を覚えていた。もっと話をしてみたかったのに。
それに、一つ気になることも残っており、それを尋ねてみたかったのだが。この世界がまだ漆黒の闇と雨に包まれていた時、黒イルカが3人動く反応があると言った。一人はエフェリーツェ、もう一人はエルフのエルヴィン、では3人目は誰なのだろう。だが、今のところそれを確かめるすべはない。それよりも――。
「とりあえず、この世界は――」
「大丈夫」
エルヴィンがうなずいた。
「世界の基盤がしっかりしていれば、たとえ、創り手が離れてしまっても世界は進んでいくよ」
「基盤、ですか?」
「そう。創り手は最初この世界を想像する時、世界を発展させる時、創り手は思いを込める。どんな世界にしたいのか、どんな人を誕生させたいのか、創り手が離れてしまっても、その思いはいまもこの世界にしっかり残っている。だからボクたちは動くことができる。だから――」
エルヴィンはにっこりした。
「大丈夫だよ。カノン」
創り手がいなくなろうとも、存在意義は揺らがない。そのことが何故かカノンにはとても羨ましく思えた。自分にはまだない。胸を張って私の私である所以はここにあるのです、という事は言えそうもない。見つけられるのだろうか。
首を振った。そんなことを考えてみても答えは見つかりそうもない。
「そうですか、では、私たちも帰り――」
ますか、タフィ・ローズ、と言おうとしてカノンは言葉を失った。
「・・・・・私たち、どうやって帰ればいいのでしょう?」
「ええ!?」
黒イルカがのけぞった。肝心要の「元の世界に帰る方法」を聞いていなかったのだ。顔色が見る見るうちに青ざめていくのが分かった。
クラス昇格試験・完




