第五話
「エフェリーツェ!!」
「ラヴィエ。また会えたね」
「・・・・・・・・・」
「どうしてここにいるのかという顔をしているわね」
初めてあった時、エフェリーツェは不安そうでどもりがちだったが、今のエフェリーツェは似ても似つかない。けれど、とカノンは思う。これがエフェリーツェの本当の姿なのだと。
「何も殺したりしないから安心なさいな。試験生徒の一人が重要危険区域に飛んだときいて駆けつけてみれば、よりにもよってあなただったとはね」
「重要危険区域・・・・?」
「そう。クラス・サファイアには少々手の余るところ。あなたがなんでこんなところと空間結合したのかわからないけれど」
「私は試験案内状から発せられた光でここに来たんです」
「ふうん・・・・」
エフェリーツェは動こうとするカノンを制し、さっと懐を探ってきた。ヒヤリとする指先が冷たさを運んできたが、エフェリーツェはすぐに指を離した。ついでと言わんばかりに、右脇腹に触れてきた。
その時初めてカノンは自分の脇腹を見た。そこだけが青く輝く氷のような物で覆われている。
「永遠の結氷・・・・・」
その時激しい恐怖が体を突き抜けてきた。呼吸が止まり、体が震えそうになり、苦痛の声が漏れる。
「落ち着きなさいな。大丈夫、あなたには何も背けたくなるような事はない」
意味不明な励ましだったが、どういうわけか呼吸が戻ってきた。ふと、頬が湿っているのがわかった。自分でも気が付かないうちに涙が流れていたらしい。
「・・・・でも、何故?」
色々問いかけたいことはある。黒イルカにも、エフェリーツェにも、この世界にも、そして、自分自身にも。
「それを食らって生き延びた者はいない」
エフェリーツェが人差し指を立てて宣言するように言った。そしてその人差し指でカノンの頬を撫でた。ヒヤリとした感触を受けてカノンは思わずのけぞった。その拍子に視界の隅に黒イルカが見えた。どういうわけかいつもはしゃべりまくる黒イルカがじっとしている。そのわけは一目でわかった。黒イルカが嫌悪感を隠さないでエフェリーツェを見ているが、さりとてエフェリーツェの力量を無視できないのだろう。
「極例外を除いては。よかったわね、そんな例外になって」
「どういうことですか?」
「あなたヴァンパイアでしょう?しかも選ばれし一族の眼をしている」
カノンは黙り込んだ。自分の出自についてあれこれ言われたくはなかった。それが、どうしたのですか、と平静を保って言おうとしたカノンは気が付いた。
何とも言えないうっとりした吐息を吐きだしたエフェリーツェの瞳はどんな赤ワインにも劣らない血の色をしていた。
「そう・・・・私もそうだから」
「あなたが?ですが――」
「私も知らない。何故こんなことになったのか、知るところではないし、知ろうとも思わない。とにかく私たちは似た者同士。仲良くしてちょうだいな」
「あなたがあなたのお兄様を殺そうとするような人であってもですか?御父様がゴーレム騒動を巻き起こしたのもあなたの動きや力があったからでは?」
「そのことは言わないで」
ぴしゃんとエフェリーツェはカノンを遮った。
「あなたはあなたの見聞した視点からでしか兄や父を判断していないでしょう?そして私のことも。全てを見聞きしてもいないのに軽々しく人を評さないで」
顔を背けるようにして言葉を並べ立てたエフェリーツェの横顔を見たカノンはそれ以上何も言おうとはしなかった。
「すみませんでした。あなたには命を救ってもらった恩があります。それをまずは謝すべきでした」
「素直でよろしい」
エフェリーツェは微笑した。満足した猫が喉を鳴らすように。
「さて、と」
エフェリーツェはカノンを見た。そして立ち上がって歩き出しながら言葉を発した。
「そろそろ現状に戻らなくては、ね。あなたに残された選択肢は少ない」
エフェリーツェは歩き回りながら言葉を続ける。
「今、あなたは重要危険区域に来ている。そしてそれは試験運営側が予期していなかった事態。たまたまここに来ていた私が救援の為に派遣された。脱出の術はこの世界のバグを除去することただそれのみ。そうすればこの世界は元の歩みを続けることになる」
「・・・・・・・・」
「そのバグの要因は10中、8、9先ほどあなたたちが戦った相手だと思われる。戦ったからわかるでしょうけれど、相手は強い。純粋に強い。正直私でも手に負えるか不明。ましてあなただけではどうにもならない相手」
「・・・・・・・・」
「どうする?不本意ながら私に協力してここを脱出するか。それとも一人で立ち向かって勝算ゼロに近い挑戦を続けるか」
「・・・・・・・・」
カノンは考えた。今もう一度挑戦しても勝てる見込みはゼロに近い。それもケガをした状態で、挑むことになるし、何よりも永遠の結氷に対する治療法をカノンは見いだせていない。今のところエフェリーツェの治癒術だけがこの症状を抑え込んでくれている。
何よりも・・・あの恐怖に勝てるとは思えなかった。何故感じるのだろう。何がそうさせるのだろう。こんなことはこれまでにはなかったのに。
「協力します、いえ、させてください」
「そう・・・あなたは賢明だわ」
エフェリーツェは嬉しそうに歩み寄ると、カノンの頬に口づけした。まるでヴァンパイアが生贄に対する最後の憐れみを注ぐように。カノンはぞっとなった。何かどす黒い熱をそこだけが放つような気がしたのだ。
「うえ~・・・・女の子が女の子にキスゥ?」
「おやおや、それがどうかした?」
エフェリーツェが両手で腕を抱くようにしながら黒イルカを見上げた。そしてニタリと笑みを浮かべた。黒イルカの鳥肌が全身にたったのがはっきりと見えた。
「少々お子ちゃまには刺激が強すぎたというわけかしら?」
「お、おおおおおおお子ちゃまだってぇ~~!?」
「生まれて数十年もたっていない精霊はまあ赤ん坊みたいなものだからね。クラス・サファイアがよくもまぁそんな精霊を使役する気になったもんだわ」
「なっ!?ななななななな―――」
「ストレ・フェリーチェ。タフィ・ローズのことは悪く言わないでください。私は頼りにしているのですから」
ブルブル怒りに体を震わせている黒イルカをなだめながら、カノンは静かにそう言った。エフェリーツェはちょっとの間、カノンと黒イルカとを見比べていたが、
「ま、この状況下協力するしかないでしょうからせいぜい仲良くしてちょうだいな」
とだけ言った。そして真面目な顔になってカノンの傷を改めた。そして難しい顔になった。
「やはり・・・・根本的な治療は脱出してからになりそうか」
「難しいですか?」
「別に。ただ決定的に直すことがこの状況ではできない。ただでさえ私たちのオーラはこの世界では異質な物。供給ができにくく、放出も難しい。それだけ」
それだけ、とエフェリーツェは言ったが、どうもそれだけではないような気がした。それにカノンは気が付いたことがある。
永遠の結氷はカノンの世界における祭文術であるのに、何故この世界の者がそれを使用できるのだろうか。永遠の結氷について何か知っていたような気がしていたが、それは頭の片隅に引っかかっているものの、出てこない。この祭文術のことを考えるだけで体が震え、拒絶反応を示すのだ。
「バグといいましたが」
さりげなくエフェリーツェの手を自分の腕から離しながらカノンは話題を変えた。傷を確かめていた手がいつのまにやら自分の腕を触っているのは気持ちがいいものではない。
「その要因を除くにはやはり倒すしかないのですか?」
「え?それは少し違うかな。バグには一つとして同じものはない。解決方法も千差万別。だから必ずしも戦いになるとは限らない」
腕から手を離されたエフェリーツェは一瞬渋い顔になったが、それ以上手を伸ばそうとはしなかった。
「そうですか」
「何か思いついた顔ね」
「ええ、まぁ、確証はありませんけれど」
そう言いながら、カノンは少し考え込んでいたが、やがて言った。
「もう少しこのあたりを探索したいのですが、よろしいですか?」




