第四話
塔に行きつくには思ったよりも時間がかかった。街の路地が迷路のようになっていてあちこち行き止まりになっており、また、いちいち顔を上げて塔の位置を確かめなくてはならなかったせいだった。
おまけに絶えず降りしきる雨である。黒イルカは不平を二、三度上げたが、思ったよりもダンマリとしていた。
二人はようやく塔の近くにたどり着いた。
「塔、ですね。何やら物悲しい雰囲気ですが」
カノンたちは黒々とした門扉を見上げていた。開閉式ではなく、上下に動く太い鉄柵が牢屋を思わせる。開け放たれているが、堀がめぐらされており、さらには堀に沿って四方を口の字型の建物があり、その中庭の中心に塔が立てられていたのだ。どうしてこんなにも警備されているのだろうかと思った。
人影はいない。
降りしきる雨音と雷鳴の音だけだった。正確には門扉を守る石像は数体あったが。
「これ・・・・やっぱり人間?」
「だと思います」
塔は雷鳴に包まれ細い黒々とした姿を虚空に伸ばしている。外に階段らしいものはないので、内部を登っていくのだろう。
「行きますよ」
「え、行くの・・・・・本当に行くの?・・・・わかったわかりましたよぅ」
二人は中庭に足を踏み入れる。短い草が生い茂っている。この世界に踏み入れて初めて見る黒以外の色・・・・緑の草だった。
「おかしいですね・・・なぜこの場所だけ色があるのでしょうか」
「草だからじゃない?」
「いいえ、これまで通ってきた街にも色はあってしかるべきでした。けれど街は一面の黒でした。なのにここには――」
不意に背後で荒々しい音がした。二人が振り向くと鉄柵が急激に落下し、重々しい地響きを立てて地面に激突するところだった。黒々とした鉄柵が二人を阻むようにがっちり地面に食い込んでいる。
「あああ、ああああああああれっれれれれれれれれ!?!?!?」
「落ち着いてください、タフィ・ローズ」
「落ち着いてって!?どこが!!閉じ込められちゃったじゃないかぁ!!」
「ええ」
この世界で初めて自分たち以外――たとえ物であっても――に動く姿を目の当たりにした瞬間が、まさか自分たちが閉じ込められる場面だったとは。
二人は顔を上げた。塔の上からなにやら何とも言えない気配がこちらを見下ろしているような気がしたからだ。
冷たい風が吹きつけてきてカノンは身を震わせた。体のどこかが違和感を覚えさせている。これ以上進んではいけないと何かが訴えかけてきている。
「仕方ありませんね。塔を登っていけるところまで行きましょうか」
本能で感じ取った警告を押し殺して、カノンは黒イルカに話しかけた。
「行くの?」
「ええ」
「どうしても?」
「ええ」
「・・・・・・ここで待っていては――」
「待つのもいいですが、外から知らぬ者がやってきても知りませんよ」
「いいい行くよ行くよ!!・・・・うう」
フフ・・・・
「今何か言った?」
「いいえ」
カノンの返答に黒イルカは身を震わせたが、それ以上何も言わなかった。二人は塔の下までやってきた。両開きの扉などはないかどうかぐるりと一周してみたが、見たところ入り口らしいものはない。思っていたよりも小さな塔だった。
しばらく思案したカノンは、ふと塔の左脇にこんもりとした茂みのような物を見つけた。そこに入ってみると、勝手口のような狭い入り口があった。小さなドアが付いている。それに手をかけると案外簡単に開いた。
「開いた・・・・!」
扉はカノンの背丈の半分程くらいで、身をくぐらせるようにして中に入らなくてはならなかったが、入ってみると中は広かった。台所のようだ。
小さなたいまつが壁に取り付けられ、ひっそりと炎を上げている。それをじっと見つめたカノンは台所を見まわした。
「まるでここだけ今の今まで動いていたようですね。どこかしら・・・・人の気配があります」
「おっかないこといわないでよう」
黒イルカの泣き言に耳を貸さず、カノンはなおも部屋を調べる。奥にもう一つドアがあり、それは普通の背丈の人間でも通れそうな大きさだった。
ドアを開けると、そこは一面石造りの井戸のような部屋だった。壁際に螺旋階段があり、渦を巻いてずっと上まで登っている。ところどころにたいまつがあったが、それは青白い炎を上げていた。
「・・・・・・・・」
カノンは思案していたが、いったん台所に戻ると、先ほどのたいまつの前で何かを念じた。淡いオーラの文様がたいまつの前で漂い、そして消えた。
「これでよし」
「何をしたの?」
「何でもないとは思いますが、万が一に備えてです」
カノンは先ほどの螺旋階段のところに戻った。ようやく人一人が通れるくらいの階段が手すりも何もなしに上まで続いている。
カノンはためらいなく最初の段に足をかけて登っていった。黒イルカはおっかなびっくりフワフワとついていく。
暫く二人とも黙ったまま歩いていく。周りの景色にかすかな変化があった。青白いたいまつはだんだんとその色を禍々しい紫色に変えていった。そして――。
「おっかしいよ、この塔、外から見ただけだとそんなに高くないのに、今結構な高さまで登ってきたよね、僕たち」
「やはり・・・・」
カノンは上を睨んだ。その時、黒イルカがものすごい悲鳴を上げた。悲鳴が反響しながら塔中に響き渡っていく。さすがのカノンも驚いたらしく、
「な、なんですか急に!?」
「ななな何かが、何かが僕の背中に!!」
カノンが黒イルカの背中を見た。
「何も乗っていませんよ」
「え?で、でもさ、本当に確かに・・・・ぎゃあっ!!」
黒イルカがまたしても悲鳴を上げる。カノンはじっと見た。水滴のような物が彼の身体に降りかかったのだ。
そのことを話すと、黒イルカはばつが悪そうに宙返りした。
「な、な、なんだよ~、こんなところ、さっきっからこけおどしばっかりじゃないかぁ!!もうだまされないぞ!!」
フフ・・・・・・
「な、何か言った!?」
「いいえ。ですが、静かに」
カノンは相棒を制した。そして注意深くあたりを見まわした。
ドクン・・・ドクン・・・ドクン・・・。何かの鼓動が聞こえる。それは自分の心臓か、相棒のものか、それとも――。
不意に前方に踊り場があるのが見えた。その先にさらに階段があるものの、横合いに廊下があるのが見えた。明らかにおかしい。
「こんなところあった・・・・?」
「いいえ、先ほどまでは。ですが、これは明らかに誘いですね」
「だよね・・・・」
吐息をつきながら黒イルカは身を震わせる。先ほどまでは恐怖の震えだったが、今は曲がりなりにも覚悟を固めた様に見えた。それを見届けると、カノンは言った。
「行きましょうか」
二人が廊下に進み出ると、ボッ、ボッ、と紫色のたいまつが出現した。二人を導くようにまっすぐに。廊下は一本道で、迷うことがない。さほど歩かないうちに両開きの扉の前に立っていた。
開けようかどうか迷っていると、扉はひとりでに開いた。それと同時に後ろからすさまじい突風が吹きつけ、二人は押し出されるようにして中に入っていった。
「・・・・・・!!」
顔を上げたカノンの前に冷たい冷気が吹き付けてきた。まるで命の灯を消されそうなほどの。それを感じ取った瞬間、カノンは総身を震わせた。
ここまで来て初めて違和感の根本に突き当たったのだ。
初めてのはずなのに知っている――。
真正面に大きなガラス窓があり、そこから冷たい青い月が見える。塔に入るまで雨が降っていたのに――。
そして、その月を背にして何かがうずくまっていた。得体のしれない黒い霧のような物に包まれ、顔と思しき位置には赤い光点が二つ見られた。
それはゆっくりと立ち上がった。
黒イルカが情けない悲鳴を上げて下がる。黒い霧は徐々に人型になり二人の前に立ちあがった。何とも言えない咆哮を発したかと思うと、何もない空間から不気味な震動と共に黒い弓のような物を出現させた。
「タフィ・ローズ!!」
カノンが叫ぶのと、弓から黒い矢が連射されるのとが同時だった。黒イルカはそれをかわし、思いっきり炎を噴射して相手に叩き付けた。
『ヴァァァァ・・・・!!』
相手は絞り出すような叫びを上げると、飛び下がって炎を避ける。そこに、
「ティレイル!!!」
無数の光弾が射出され、黒い霧を直撃する。だが、鈍い音がしただけで、大した打撃は与えられなかったらしい。相手は起き上がり、何とも言えない咆哮を発した。それを聞いたカノンははっとなった。
同時に後ろから冷たい恐怖が抱きすくめてきた。恐怖・・・・!!これまでそんなものを感じたことは数えるほどしかなかったのに、ここにきて、何故・・・・!?
「あ、あぁ・・・・・・!!あああ・・・・・・!!!」
おもわず声が絞り出される。この感じ、前にも似たようなことが・・・・・。初めてのはずなのに知っている。思い出したくもないのに、知っている。私はそれを忘れようとしている・・・・。
(永遠の結氷・・・・!!何故この名前に私は怯えているの・・・・・)
「カノン!!前、前!!」
黒イルカが叫んだ。何事かとそちらを見た直後――。
鈍い衝撃を感じ、右脇腹に冷たい何かが走り抜けた。そこから全身の体温が吸い出されるような感覚を覚える。何かが叫んだような声が遠くに聞こえる。
激しい恐怖と共に、視界が歪み始める。叫びだしたいのに声が出ない。視界は一気に暗転していった。むしろそれがありがたかった。
** * * *
パチパチと何かがはぜる音が聞こえる。これは火の音か。暖かなぬくもりが足元に感じられる。カノンは眼を開け、顔を上げた。どこかに横たわっている。床に敷かれた薄い毛布を通じて床のひやりとする感触が伝わってきた。
どこか見覚えのある景色だった。と、同時に誰かがすぐそばに座っているのが見えた。
「カノン!」
目を向けると、黒イルカが声を上げながら宙返りするのが見えた。
「タフィ・ローズ」
「よかった!気が付いたんだね!」
「ここは・・・・」
「あなたが結界を結んだところ。台所、よ」
声がした。すぐそばに膝を抱えるようにして座っていた人間がこちらを見ている。
フードを被った灰色のマントを纏っているにもかかわらず、カノンはその人物が女性であることが分かった。プラチナブロンドのウェーヴした髪がフードから外に出ている。
どこか見覚えがあった。どこかで会ったはず――。
「あっ!!」
電撃が脳裏に走り、総身が汗で濡れるのが分かった。同時に起き上がろうとしたカノンは激しい痛みを脇腹に感じた。
「まぁだまだ。永遠の結氷に対する治癒術が効果を発揮するには時間がかかるからね」
「あ、あ、あなたは・・・・」
こちらを見てニタリとするあの冷たい笑みは、忘れようはずもない。ゴーレム騒動の際に領主館でティアナと刃を交え、負傷しているにもかかわらずに見せた余裕の笑みが目の前にあった。




