第五話
「皇帝陛下が未完成の世界の住人であることは知っています。しかし、そのレベルについては私は知りませんでした。ですが、ここ数日過ごしてきてはっきり分かったことがあります」
カノンは皆を前にして話し出した。魔法屋シュトライトのラウンジは少々狭いので、ラウンジの外にある森でピクニックである。初めて入った者が大多数であり「あの店の外にこんな広い森があるなんて」などと物珍しそうに眺めていた。
「ヘルティアの建国者にして天使族の長、神の祝福を受けた幼子、魔界の親征者、神聖皇帝ヘレメル・メルへレというのは、まさに『物語』として設定された人格だったのです」
「物語、だぁ!?」
ジュンが素っ頓狂な声を上げた。
「彼女の首元を見てください」
一同がヘレメル・メルへレの首元を見る。彼女はむしろ誇るようにそれを広げる。一見祭文のように見えるそれは、ある名前が記されてあった。
「ア・ム・ラ・ヒ・ル・・・これが物語の作者ってわけかい?」
ヨッシ親父が尋ねる。
「はい。そしてこの『物語』はさほど進展しないうちに未完成になってしまったのでしょう。ですから、ヘレメル・メルへレには欠落しているものが多かったのです」
「だから食事のマナーもロクにできていなかったのですねぇ」
「む~~じゃからそれをいうなと言うておるのに」
ヘレメル・メルへレがナネットに口をとがらせる。
「でも、通常『未完成の世界』から転移する者はすべて管理下に置かれると聞きます。何故ヘレメル・メルへレだけが突如この街の郊外に転移したのでしょう?」
ルスティ・クローディアがカノン御手製のパンケーキを食べながら、疑問をぶつける。パンケーキをヘレメル・メルへレに食べられたと知って、一時はかなり恨んだ眼を彼女にぶつけていたのだが。
「それはわかりません」
カノンは首を振った。それこそが最大の疑問であり、最大の問題である。
「俺もだぞ」
ジュンが口をはさんだ。
「俺も異世界からやってきたが、管理下に置かれた覚えなんてこれっぽっちもないね。というか、下手したら俺も世界終焉起こしてたかもしれないってこと?」
『あなたの場合は、ただの一般人ですからそれほど心配はしていませんでしたわ。なまじヘレメル・メルへレのように御大層な肩書がついている者のほうが危ないのです』
「あっそ・・・・」
『それに、あなたは現在シャルローゼの管理下にあるのですからよいのですわ。彼女にはそれだけの権限があります』
「ふうん・・・・」
ジュンはどことなく不満そうに視線を森の奥にそらした。ただの一般人と言われたことが不服だったのだろう。
カノンはどこかおかしそうに彼の表情を見守っていた。
「では、では、妾はこれからどうなるのじゃ?」
ヘレメル・メルへレが不安そうな顔をして皆を見まわした。
「順当にいきゃぁ、まずはコードとやらを付番されて、領主様の管理下に置かれるんだろうなァ」
カリオストロが言う。その隣でヨッシ親父が、
「まぁ、ヘルティアの建国者にして天使族の長、神の祝福を受けた幼子、魔界の親征者、神聖皇帝ヘレメル・メルへレなんて舌噛みそうな御大層な肩書ぶら下げてるんじゃぁ、ロクに歩けもしねえよなァ」
「そんなの嫌じゃ!得体も知れない遭ったことのないもの共に皇帝の体を触らせるというのか!?」
「別にそんなことはしねえだろうが――」
「うう・・・!!考えるだけでおぞましいのじゃ~~・・・・!!」
ヘレメル・メルヘレは頭を抱えた。
『どうですかしら、ヘレメル・メルへレ。一度シャルローゼに会ってみませんこと?』
「ふへ?」
ヘレメル・メルへレが頭を上げる。
「私も賛成です。ヘレメル・メルへレさんはまだシャルローゼ様にお会いになったことがないので不安でしょうが、彼女は信頼できる方です。私がついていきますよ」
ルスティ・クローディアが4つ目のパンケーキに取り掛かりながら言う。今度はシロップをたっぷり付けたものをかじりにかかっている。
「じゃが、のう・・・・」
ヘレメル・メルへレはちらりちらりとカノンを見る。それを見て取ったカノンはそっと手をヘレメル・メルへレの手に重ねた。冷たくてひんやりしてすべすべしている手だ。
おそらく、とカノンは思う。
何が原因で未完成の世界となったのかわからないが、おそらくヘレメル・メルへレを想像した作者は彼女を愛していたのだろう、と。
「行ってみませんか?」
「カノン?」
「ルスティ・クローディア、そして私が一緒についていきます。悪いようにはしません。私が責任をもってあなたのことを守ります」
「カノン・・・・」
「友達ですからね」
カノンは微笑んだ。それを見たヘレメル・メルへレがまた顔をくしゃくしゃにして泣き出しそうになる。
「それに、あなたにはまだまだ教えたいことが山のようにありますから。食事のマナー、礼儀作法、それに色々」
「う・・・・・」
ヘレメル・メルヘレの顔が苦い薬草茶を飲み込んだような顔つきになる。その横で、ナネットが「お嬢様の親切も大概にして欲しいのですがねぇ」などとぶつくさ言っている。
「まぁ、少しの辛抱です。そのうち呼吸をするのと同じくらいに自然にできますよ」
「本当か?本当にそうなるのか?」
「はい」
カノンはにこりとうなずいた。今は無理でも、ヘレメル・メルヘレの努力があれば、きっとできるだろう。自分もそうだったのだから。
そう、自分も――。
「なぁ」
「はい?」
店への帰り道、森の道中を並んで歩いていたジュンがカノンに話しかけた。
「ヘレメル・メルヘレはカノンの友達なんだよな?」
「ええ」
「んじゃ俺は?」
「もちろんあなたもですよ。あ、ごめんなさい。はっきり友達だって言ったことはなかったですね」
さらりと返すカノンにどこかジュンは当てが外れたような顔をした。
「そうか。まぁそれならそれでいいや」
「???」
不思議そうな顔をするカノンをよそに、ジュンはそれっきり何も言わずにただ頭の後ろに手を組んで歩き続けた。
「私、受けてみようと思います」
唐突にカノンが言った。
「受ける?」
「クラス・サファイアからもう一歩前に進むために、というよりも、今の自分からもう一歩前に進むために、私、試験を受けてみます」
「そうか、受けるんだな」
「はい」
否とも応とも言わなかった。代わりに――。
「頑張って、全てをぶつけて来いよ」
「はい!」
カノンは笑みを浮かべた。透き通ったすっとした笑みだった。
「んで、試験会場はどこにあるんだ?」
「北の方です。ずっと北の方。私は以前そこに行ったことがあります」
ジュンにはいわなかったが、試験会場の場所はカノンが受けるか否かを悩んでいた要素の一つでもあった。
けれど、もう構わない。
カノンは目の前で皆に囲まれてにぎやかにされている皇帝ヘレメル・メルヘレを見守っていた。相変わらず騒がしいが、それでいて以前とはどこか違う。皇帝ヘレメル・メルヘレもまた自らの生を刻むために歩き出しているのだ。
だから、自分も前に進まなくてはならない。
カノンはそう決意していた。
その後――。
事情を聴いたシャルローゼにより、検査が行われた結果、ヘレメル・メルヘレは未完成の世界からの住人だと認定され、コードを付番されることとなった。ジュン同様にシャルローゼの管理下に置かれるが、実質的な身元引受人はカノンが引き受けることとなった。
ナネットが盛大に毒づきながらヘレメル・メルヘレの世話を始めたのは言うまでもない。




