第三話
「よろしかったら、一緒に行きますか?」
「ほう?ようやっと妾の供をする気になったか」
「はぁ・・・いえ、このお菓子をあの丘の上の教会に持っていこうと思いまして、その後よろしければ私の家に――」
ぎゅるるるる、と、盛大にお腹の鳴る音がした。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
美少女―ヘレメル・メルへレ―は盛大に顔を赤くしている。
「もしよろしければ、召し上がりますか?」
「よいのか?これはあの教会とやらに持っていくものであろう」
「お腹がおすきでしたら、どうぞ」
カノンは籠を下ろし、中からパンケーキを出した。
「ふむ・・・これは、何という食物じゃな?異な物じゃ。妾の宮廷ではこれを見たことなどないのう」
「パンケーキという物です。そう・・ですね。食器もありませんから」
カノンはかぶりつく真似をした。
「こうやって召し上がってください」
ヘレメル・メルへレは一瞬たじろいだが、不意にパンケーキを奪い取ると、思い切りかぶりついた。
「ううむ・・・・冷めていてなんとも・・・・じゃが、これはこれでまぁ・・・なんじゃ」
とかなんとか言いながら、みるみるうちに平らげていく。
「もう一つありますが、どう――」
カノンの言葉が終わる前にパンケーキはヘレメル・メルへレの手に奪われていた。そんなことが4~5度繰り返され、籠の中にあったパンケーキはきれいさっぱりなくなっていた。
「ふぅ~~~落ち着いたぞ。味はまぁまぁじゃったがな」
「では行きましょうか」
「教会とやらにはいかずともよいのか?」
「あなたが持っていくパンケーキを全部食べてしまいましたから」
「なんじゃ、もっと作っておけばよいものを」
「・・・・・・・・」
こともなげに言い放つヘレメル・メルへレにカノンはかける言葉を探し出せないでいた。
やはりあまり関わりたくない相手だ。自分の家に、とは言ったが、ここは早々にドナウディア家に連れて行き引き渡すことが得策だろうとカノンは思った。
** * * *
「領主様はお留守ですか?」
カノンは愕然となった。聞けば領主はルロンド王国の宮廷に呼び出されて不在、クロード卿はいるにはいるが、船の出航の手筈で忙しいのだそうだ。家宰や家来たちも同様である。領主館にいたのは門番だけというありさまだった。
「では、申し訳ありませんが、カノン・エルク・シルレーン・アーガイルが面会を願っているとクロード卿若しくはシャルローゼ様におつたえいただけませんでしょうか?」
「あぁ、貴女様のお名前はよく存じ上げております。戻りましたらお伝えいたしましょう」
「お願いします」
カノンは頭を上げた。その隣でヘレメル・メルへレは不満顔をしている。
「何じゃ、せっかく妾が来てやったというのに、留守とは・・・・とんでもない無礼者じゃのう」
「領主様はいろいろとお忙しいのです。私の家に行きませんか?狭いところですが――」
「妾は狭いところは嫌じゃ」
カノンはぐっと言葉を飲み込んだ。代わりに、
「いつまでも下着がないのはいかがかと思います」
「む・・・・・」
「お寒いでしょう?」
「う・・・・・」
「夜は結構冷えるのです。風邪をひいても知りませんよ」
「むむ~・・・・・」
仏頂面のヘレメル・メルへレを連れてカノンは丘をおりて街に向かった。
** * * *
カノンはソファーに疲れた体を沈めた。今はナネットが面倒を見てくれているので束の間の休息である。
時折扉の向こうから「このじゃじゃ馬娘!」「皇帝をじゃじゃ馬娘とはおぬし良い度胸じゃのう」「シャンとしな!パジャマを早く着る!アンタパジャマの着方もわからないのかい?」「イタッ!おぬし皇帝に手を上げおったなァ!!」「髪をぬらしたままにするとかぜひくよ!」などという言葉が聞こえてくるが気にしてはいられない。
家に連れてくる途中でだいぶ手間取った。
ヘレメル・メルへレが物珍しそうにあちらこちらにうろちょろし、目を離せばどこかに姿を消し、勝手に店の物を食べては「まずいのう」などと暴言を吐き、露天商といざこざを起こしかけるのをなんとか収め、連れてきたのだ。
「・・・・・・・・」
頭がズキズキする。これは後で薬を煎じて飲まなくてはいけないだろう。
「眠りましたよ、あのじゃじゃ馬娘」
キイとドアが開く音がし、ナネットがやってきた。手には湯気の立つカップの乗ったお盆を持っている。
「ご苦労様でした。ありがとう、ばあや」
「これをお飲みください」
カノンは礼を言ってカップを受け取った。ほのかな甘みと安らかな香りのするローズヒップティーである。一口飲むと、体の緊張がほぐれるのがわかった。
「あのじゃじゃ馬娘はいったい何者なのですか?」
ナネットが苦み走った顔をしている。カノンは事情を説明した。
「皇帝ですって?あの何にも知らない態度だけでかい娘が?夕食の時のあのマナーの悪さ、見たでしょう?全部手づかみで食べて。挙句の果てにスープまで音を立てて飲み干そうとする!いったい皇帝陛下とやらはどんな教育を受けてこられたんですかねぇ?」
「ばあや」
「お嬢さま、それでご領主様はいつお戻りになられるのですか?」
「わかりません」
カノンは吐息を吐いた。一刻も早くあの「じゃじゃ馬娘」から解放されないと神経がもたない。
「いい加減にしなくては、いつまでも客間のベッドを貸すわけにはいきませんからね」
「そうですね」
カノンはうなずいた。ひそやかな夜だった。どこかでニイニイ鳥が鳴き交わしているのが聞こえるほかは静かだった。
「いよいよとなれば、タフィ・ローズに伝令役を依頼します。ティアマトとも懇意ですから、シャルローゼ様に連絡ができるかもしれませんし」
「そう願いたいですね、では、私はもう休みますよ」
「おやすみなさい、ばあや」
ナネットばあさんはカップを下げて出て行った。カノンはしばらく椅子に座っていた。風呂から上がったばかりで髪がまだ乾いていない。魔法で乾かしてもよいのだが、カノンは自然に任せるのが好きだった。
「・・・・・・・・」
ふと、何か音が聞こえたような気がしてカノンは腰を上げた。客間の方からだ。ドアをそっと開けると、ベッドに柔らかな塊が乗っている。
「う~~ん・・・・」
そっと近づいてみると、ヘレメル・メルへレが寝入っていた。だが、時折苦しそうな息を漏らす。
「アムラヒル・・・・妾を――」
寝返りを打ったヘレメル・メルへレの顔を見ているカノンは胸がいっぱいになった。布団をはいでしまったヘレメル・メルへレの身体に優しくかけなおした。
ふと、ヘレメル・メルへレの首元を見たカノンの顔がこわばった。
翌日以後――。
ヘレメル・メルへレの行いは相変わらずだった。
食事のマナーは言われても直さない。
世話をしてもらってもお礼も言わない。
物を散らかし、時には壊す。
フィーにちょっかいをだして怒らせる。
タフィ・ローズのヒレをつかんで悲鳴を上げさせる。
外に出たいとわがままを言う。
一緒に行けば行ったでもめ事を起こす。
そんなことが幾日か続いたある日――。
「皇帝陛下というものは民の事を考えない存在なのですか!?」
ついにカノンが声を上げてしまった。ヘレメル・メルへレがびっくりした顔をして動きを止めている。フィーが「フィー!フィー!」と叫び、タフィ・ローズがびっくりした顔でボワンと音を立てて登場する。
例によってヘレメル・メルへレがカノン御手製の食事を平らげた後に「まずいまずい」と言い出したのである。
「宮廷料理が恋しいのう。こんな食事をいつまで食さねばならんのか」
と言ったのである。その前には、カノンが一生懸命にヘレメル・メルへレのために縫った服を、
「センスがないのう。おぬしのセンスは一体どんな風に培ったのじゃ?」
などと暴言を吐いてきたのである。
もう限界だった。
もう無理だ。
カノンの堪忍袋はついにきれたのである。
「この無礼者が!そこな娘、一体誰に向かって物を言っておるのじゃ!?」
「常識を知らない皇帝を僭称する不良娘にです!!!」
「な、な、なんじゃとぉ?!妾は――」
「では、聞きましょう。あなたの世界で、あなたの御国で、あなたはいったいどのように振るまってきましたか?あなたはどんな施策を民に施してきましたか?あなたはどんな教育を受けてきましたか、あなたの御父様やお母様は・・・・・」
カノンはこらえきれなくなって声を詰まらせた。情けないことに涙があふれてきてしまったのである。
「あ、あなたをどんなふうに育てたのですか?今の御姿を御父様お母様がご覧になってどう思われるか――」
そこまで言ったカノンは違和感を覚えた。ヘレメル・メルへレが言い返してこない。顔を上げてみれば、ヘレメル・メルへレが固まっていたのである。それも虚ろな目をして、自分の両手を震えながら見つめている。
「わ、妾は・・・・・何者なのじゃ・・・・」
「えっ?」
「思い出せぬ・・・・妾は・・・・ヘルティアの建国者にして天使族の長、神の祝福を受けた幼子、魔界の親征者、神聖皇帝ヘレメル・メルへレ。じゃが、今まで何をしてきた。妾には何の特技がある?何ができる?妾の家族は誰じゃ?妾の宮廷は・・・・」
虚ろな声を出していたヘレメル・メルへレが凍り付いたように声を絞り出した。
「・・・・皇帝とは一体何なのじゃ。それはどうやったらなれるのじゃ」
「ヘレメル・メルへレ!!」
カノンは美少女の両肩をつかんだ。そうしなければヘレメル・メルへレが壊れ落ちそうな予感がしたのだ。
「すまぬ・・・・少し・・・・風に当たりたい。一人にしてくれ」
「ですが――」
「頼む」
ヘレメル・メルへレが虚ろな顔をし、顔色を青ざめさせて外に出て行った。
「あの子、一体どうしたの?とても怖かったんだけれど。一瞬何もかも音が途絶えたみたい」
黒イルカが身を震わせた。フィーも怯えた様に葉っぱにくるまって震えている。
「普通ではなかった。あんな反応は初めてでした」
「普通じゃなかったどころじゃないよ、大丈夫なの?」
『カノン』
光り輝く銀髪を腰まで伸ばした秀麗な女神が現れた。黒イルカがピクリと体を震わせた。
「ティアマト」
『遅くなりましたわ。シャルローゼから御父様を通じて伝言を受け取ったので急いできましたの』
シャルローゼは幾多の精霊を使役するが、その中で最も頼りにしている精霊を送ってきたところに、カノンは事態の切迫さを感じた。




