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伯爵令嬢(職業は魔調律師)の喫茶室  作者: アレグレット
皇帝ヘレメル・メルヘレ
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第一話

カノンは夢を見ていた――。

 そう思うのは、いつもとは違う感覚が体を支配し、いつもの魔法屋シュトライトとは違う異質な空間に佇んでいたからだ。


 見渡す限りに澄んだ、美しい青空。太陽がどこにもないのに、隅々まで明るく澄んだ青い空。虚空は白い雲が流れるように早く動いている。


 その中にたった一つ小さな庭園が宙に浮いている。カノンはその庭園の中心に立っていた。


『カノン・エルク・シルレーン・アーガイルですね』


 どこか懐かしい、どこか聞き覚えのある声が聞こえてきた。母親の声とも姉の声とも家族の声とも違う、けれど、どこかで聞いたことのある声。


『カノン、あなたはあなたの居る世界の理を理解していますか?』


 答えようとしたカノンは声が出ない事に気づく。何かが自分の声に蓋をして出せないようにしているのだ。

 しかし、カノンは知っている。自分が居る世界にはある理があることを。


『カノン、あなたが自覚しなくとも、あなたの居る世界は静かに、しかし着実にある点に向けて集束しています。それがあなたにとって悪しき結果であれ、良き結果であれ、あなたにはその場に居合わせ、全てを見届ける責務があります』

(責務・・・・・?私が・・・・・?)

『カノン、世界の集束はすなわちその世界に居る存在の有無を左右するほどの動き。あなたにはその動きを変えるだけの力はありません。けれど、あなたには責務があります。全てを見届ける責務・・・それを忘れないように』

(責務・・・・それは一体どういうことなのですか・・・・?)

『カノン、帰りなさい。あなたが居るべき場所に。そして見届けなさい。あるべき集束への結末を』


 声は遠ざかり、一陣の涼風が吹き付けた。カノンの足元の草花の葉が風に舞い上がり、高く舞い踊るようにして散っていく。


『それがあなたに課せられた責務なのですから』


 最後に高らかに歌うように声が響く。カノンの身体は宙に浮き、そのまま意識を失った。



** * * *


 毎日というわけではなかったが、ジュンはしばしばカノンの店に顔を出すようになった。


 時にはルスティ・クローディアを伴って。二人で来る場合には必ずお菓子をねだり、一人で来る場合には、必ずルスティ・クローディアへの土産だと言って、やはりお菓子をねだる。


 それでいてお菓子代を払ったことは一度もない。


 最初の頃は、ナネットばあさんのはたきを脳天に食らっていたが、近ごろはなんとかかんとか言いくるめて上手くやっているようだ。

 もっとも、ジュンはルスティ・クローディアに言いつけられて、教会で栽培しているハーブや野菜を持ってくることがあったから、それはそれで助かっている。


「どうするんだよ?」


 ここ最近ジュンが開口一番に言う言葉である。


「まだ・・・・決めていません」


 ナネットが不在なので、居間の奥に引っ込んで、お茶を準備しながらカノンが答える。


「もらったんだろ、推薦状」

「それと私の気持ちとは別です。まだ整理ができなくて」


 カノンは沸かしたお湯を薬缶からティーポットに注ぎながら、一瞬あの道化師ベルガモの言葉を思い返していた。


『ストレ・カノン、まだまだですねぇ。これはあくまでもあなたに機会を与えるだけのことなのですよォ。ここから先は進むもとどまるもあなた次第という事です』


 自分次第。クラス・サファイアから昇格し、クラス・ルビーになれば、魔法大学上級講師の資格も手にできるほか書物等ももっと幅広いものが閲覧できる。自分のスキルアップができるのだ。


 けれど――。

 本当にそれでよいのか、とカノンは思う。

 ベルガモが何故自分に推薦状をくれたのかわからない。クラス・サファイアなどは珍しい存在ではないし、自分よりも力量がある若い将来有望な魔調律師は決して少なくはない。

 それに――。

 本当に、自分にはそれを受けるだけの力量があるのか、カノンはずっと悩んでいた。そして今も答えが出せていない。


「お~い、お茶まだなのか~?」

「あ、はい。今持っていきますね」


 ぼうっとしていたのに気が付いて顔を赤らめる。手早くお茶の用意をしたトレイをもって、カノンは台所から出てきた。


「なぁ、話は変わるが、最近、見かけねえ奴らがこの街に来ているんだけれど、あれ、何なんだ?お・・・これは――」


 まぁるい茶色のお菓子をカノンが運んできたのを見て、ジュンは目を丸くした。


「以前あなたに作り方を教わって、作ってみました。パンケーキ・・・・で良かったですか?」

「あぁ、そうだよ。でも、材料どうやってそろえたんだよ?俺、作り方は知ってるけれど、材料そのものの作り方は知らねえからなァ」

「概念伝達を活用しました。あなたのイメージを読み取ってパンケーキの大体の概念はわかりましたから。こちらの世界の材料である程度似ているものがありますから、それに少々手を加えました」

「へぇ・・・・。それであの時俺の頭に手を当てたわけか」

「召し上がってみてください」


 カノンは微笑んだ。ジュンは殊勝に両手を合わせ「いただきます」というと、何も付けずに手でかぶりついた。盛んに咀嚼した彼は幸せそうな顔つきになった。


「うんめぇ」

「本当ですか?」

「あぁ、何も付けないでもこれ、いけるな。すげぇフワフワだ」


 まだ口の中に残っているが、ジュンは盛大にもう一口かぶりついた。


「これ、かけてみてください」

「ンァ」


 ジュンはパンケーキを皿の上に戻すと、そばの白い小さな水差しを覗き込んだ。そして、それを食べかけのパンケーキの上に注ぐ。熱いトロっとした甘い香りの立つ液体が注がれる。パンケーキの上に柔らかに広がったそれは、じんわりとパンケーキにしみこんでいく。


「蜂蜜に少々香料を混ぜてみました」


 ジュンはシロップが手に付くのも構わずにかぶりついた。


「あぁ・・・・・なんてうめえんだこれ」

「さっきから君そればっかりだね」


 ボワンと音がして黒イルカが出現した。


「んだよ、いいじゃねえかよクソイルカ」

「誰がクソイルカなのさぁ!?」

「ティアマトが認定しただろ」

「あんなオバ――」


 そう言いかけた黒イルカはブルブルと身を震わせた。


「僕は闇の精霊だぞ!強いんだぞ!君なんてあっという間に丸のみにできるんだぞ!」

「へ~いへいへいへい、そうでしょうとも。パンケーキ食べる?」

「要らない!!」


 ジュンはパンケーキから視線を外さなかったので、黒イルカは憤慨したように宙返りして消えた。


「あまりタフィ・ローズをからかわないでください」

「悪い」


 そう言いながら、悪びれもせずにシロップのついた指を満足そうにしゃぶり、最後に丁寧に持ってきたハンカチで指を拭いた。


「美味しかったよ。これ、本当に売らなくていいのか?」

「ええ」

「売れるぜ」

「そうなったらここでのんびりと過ごせなくなりますから」

「・・・・そうか」


 ジュンは少し残念そうな顔をした。


「ところで先ほど言いかけていたことは――」

「あぁ、そうそう、最近この街に見かけねえ奴らが来ているって話」


 ブロアの街には各地から旅人や傭兵、商人、貴族らがやってくる。それはこの街の港がエルテーゼ海を渡航する艦船を保有しているからだが、それ以外にも近年、様々な種族がやってきている。


 天翼族ハーヴィー、獣人族、長耳族エルフ、魔族、等々。


「あれは、異世界からこちらにやってきた方々でしょう」

「俺みたいな?」

「ええ」

「それにしちゃ増えていないか?」

「知りませんか?」


 カノンは宙を一振りすると、ディスプレイのような物が出現した。そこには何やら記事のような物が書かれている。


「あいにく俺、まだこっちの文字になれてないんだよ」

「隣接する異世界が凍結、崩落したのでそこからの住人を受け入れたのです」

「隣接?異世界?」

「以前・・・少しだけあなたにこの世界の歴史を話したことはありましたね」

「初めて会った時のことか?頭に血が上っていてあまり覚えちゃいないが、確かはるか前に大規模な魔大戦があったとかなんとか――」

「あれには続きがあるのです。と、いいますか、根本的な前提が欠落していました」


 カノンがジュンを正面から静かに見つめながら話す。


「まず、あの住人たちは、世界各国で受け入れられている『未完成の世界エタリア』の住人達です」

「未完成の世界エタリア?」

「早い話が、途中で凍結、崩落した異世界ですね」

「そんなものがあるのか?」


 ジュンが目を丸くする。カノンはディスプレイの前でもう一振り手を振った。何やら立体図のような物が表示される。

 複雑な螺旋、あらゆるものが線と線で結ばれているが、一番驚いたのは、図そのものが絶えず変動を続けていることだ。


「私たちの世界の周りには、同じような異なるような数千では表せないほどの世界があるといわれています。そしてその中には発展をやめてしまったものも含まれるのです。いわば途中で執筆が止められた物語のような物ですね」

「へぇ・・・・・」

「そして世界は互いに結合リンクし、影響しあっています」


 カノンは一振りすると、今度は簡単な図が出現した。


「これは一つのモデルです。仮に私たちの世界がここで――」


 図の一点に点が明滅する。


「その隣にはいくつかの世界があるとします。その世界の一つが発展を止めてしまえば、その世界は死滅してしまう。そうなると実は私たちの世界にも悪い影響が出るのです。早い段階で止まった世界はそれほど影響を及ぼしませんが、ある程度進んだ世界が止まれば影響は大きいのです」


 世界の発展度合い以外にも悪影響を及ぼす場合ケースがあるのだが、カノンはそれをここでは口にしなかった。


「どんな?」

「それは『悪しき結末バッドエンド』と言われています。実際にそうなったことはありませんから、誰にもそれはわかりません」


 ポコポコと心地よい音を立てているのは、カノンの手元にあるガラス瓶である。ゴーレム騒動の際にノンナからもらったもので、しっかりと磨かれた瓶の使い勝手がよいので、カノンはこれを愛用していた。

肌身離さず手元に置いたその中には黄金色の液体が気持ちよさそうに音を立てている。


「しかし、不思議と回避する方法だけは残っています。方法は二つ」


 カノンは指を2本立てて見せた。


「一つは、未完成の世界エタリアのまだ『生きている』住人を救う事で、未完成の世界エタリアを周囲の世界から隔離する方法。そうなると、未完成の世界エタリアは自然消滅します。壊死した細胞を切り取るのと似ていますね」

「もう一つは?」

「未完成の世界エタリアに乗り込んで、物語を紡ぎだすことです」

「そんなことできるのかよ!?」


 ジュンは思わず立ち上がって大声を出した。カノンは冷静さを崩さずにジュンを見つめていたので、彼は恥じた様にソファーに座り込んだ。


「未完成の世界エタリアの状態はまさに世界によって異なります。人が住めないような荒れ狂った嵐が吹きすさぶ世界、あるいは時間そのものが停止してしまった世界、凍り付いた世界、戦いが永劫回帰する世界、様々です」

「見てきたように言うんだな」

「いえ、これは書物にかかれていることをなぞったにすぎません」

「ってことは実際に行った者がいるんだな?」

「はい」


 カノンはうなずいた。ジュンは両手を組んでそれに頭を乗せた。今聞いたことを頭の中で整理しているように見える。

 カノンは壁にかけられている港の絵を見た。人々が忙しく動き、折から接舷した数隻の船に乗り込む光景が見える。

 かすかにこの店にも人々の喧騒の声が聞こえてきた。

 カウンターの奥に据え付けられた魔時計の時を刻む音がする。

 しばらく、二人の間には沈黙だけが漂っていた。


「まぁ、後者の方法は極めて難易度が高いので、大概は前者の方法になりますね」


 カノンが口を開いた。


「こっちの世界にやってくる者は、皆その『未完成の世界エタリア』からなのか?」

「すべてがそういうわけではありませんが、そのような場合が多いです」

「・・・・・・・・」

「もっとも、今現在稼働している世界から何かの拍子にやってくる方ももちろんいます」

「もし・・・俺の世界もそんなことになっていたら、いや、なんでもない」

「??」

「ごちそうさん、邪魔したな」


 ジュンはカノンの顔を見ずに、店を出て行った。


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