第三話
降りしきる雨がガラス窓をうつ。ほんの一時の夕立と思っていたが、夜になっても雨はやまない。
その夜、カノンはほのかなオレンジ色の魔法の明かりの下、一人机に向かって紙片を眺めていた。夕食を食べ終わって寝るだけだったが、どうしてもあの依頼の事が気になるのだ。
「ドナウディア家の主に注意すべし」
ドナウディア家の当主はシャルローゼ・レット・ドナウディアということである。カノンはあれから気になり、家にあった本や書類からドナウディア家について書かれたものを探し出して読んでみた。
ドナウディア家の現在の当主の評判についてカノンは一つだけ聞いていることがある。
非常に高飛車で高圧的。
それがシャルローゼの評判である。それと今回の探し人の件がどのようにリンクするのかはわからなかったが、カノンはかすかに胸の内で警鐘を感じていた。何やらキナ臭い感じがする。それが具体的に何なのかはわからないが。
かすかな音がしたような気がしてカノンは顔を上げた。もうナネットは寝ただろうし、タフィ・ローズは姿を現していない。フィーは目の前の鉢植えの中だ。葉は閉じられているが、中から規則正しいかすかな寝息が聞こえる。
ドンドンという音がした。そして何か女性の声のような物が聞こえた。
「・・・・・・・・」
カノンはカンテラに魔法の明かりを移し替え、そっと立ち上がると階下に降りた。気のせいでないことはすぐにわかった。だれかが玄関口にいてドアを叩いているのだ。
「どなたか、どなたかいらっしゃいませんか!?」
カノンがラウンジを回って玄関口に向かおうとした時、台所脇の部屋からナネットが出てきた。手にはフライパンを持っている。
「お嬢様・・・・」
「私が出る――」
「いいえ、ここは私にお任せを」
ナネットがさっと玄関口に近づき、ドアを開けた。とたんに降りしきる風雨が二人に襲い掛かってきた。外はどうやら大荒れの天気らしい。
外に立っていたのは、フードを被った女性のようだった。全身ずぶぬれである。何かを抱えるようにしてしっかりとそれを抱きしめている。
「誰かね?こんな時間に」
「申し訳ありません!ですが、どうか聞いてください」
「おやまぁ、こんなに濡れ細って・・・外に立っていられても雨が入ってきて迷惑だ。ひとまずお入り。・・・・お嬢様、よろしいですか?」
カノンはうなずいた。ナネットは口うるさいが心根はやさしいことをよく知っている。雨に打たれた目の前の女性を置き去りにすることなど出来はしない。
「いいえ、いいえ!!」
女性はしきりに首を振った。
「もう行かなくては・・・!!追われているんです!!」
「それならば尚更ここに入ってください」
カノンが声をかける。女性は強くかぶりを振った。
「違います!!これを・・・・この子を・・・・お願いしたくて!!!」
不意にカノンは濡れ細った柔らかな布にくるまれたものを抱き留めていた。
「どうかどうかお願いします!!この子を・・・・ファムをお願いします!!」
「ちょ、ちょいとお前さんどういうつもりだい?いったいこれは――」
だが、女性は数歩後ずさり、切なそうにカノンの胸の中のものに視線を浴びせると、次の瞬間踵を返して、闇の中に駆けだしていった。あっという間の出来事だった。
「あ!!待って――」
「お嬢様、いけません!!」
ナネットが止めた。
「どうせもう見つかりませんし、今この闇夜と天気で探しても無駄です。お嬢様が風邪をひくのがせいぜい。明日を待ってもよろしいではないですか」
「でも――」
「う!!あ~~~~~~やあ~~~~~~~~!!」
不意に布の中から泣き声がした。ぎょっとして二人が布を見ると、そこには泣きじゃくるまだ幼い子がくるまれていた。
** * * *
カノンは目の前のソファーで眠る幼子を見つめている。先ほどまで泣いていたが、ナネットが手早く濡れた衣服を脱がせ、乾いたタオルで拭き、お湯で体を拭った。小さな着替えがなかったのと予想外のことに幼子はタオルでくるまれた。そして温めたミルクを飲ませると、やがて疲れたのか眠ってしまった。
「・・・・・・・・・」
予想外というのはこの子の特徴だった。
首元までの綺麗な栗色の髪から小さな狐耳が出ている。まだ小さいがしっかりとモフモフした尻尾が生えている。規則正しい寝息の合間に、時折恋しいのか指を無意識にしゃぶりながら眠っている目の前の子は女の子だった。
「獣人族の女の子、ですか、お嬢様」
「・・・・・・・・」
「でも、それだけではないものを見つけてしまいましたねぇ」
ナネットがと息を吐いた。譜代の側役であるナネットには隠し事は無しなのだと固く戒められていたカノンは今回の事を話している。今までも彼女の何気ない言葉からいくつかの仕事が解決に導いたことをカノンは覚えている。
女の子の首にはしっかりとネックレスが付けられ、その先には青い小さな宝玉がつけられていた。カノンは一目見てそれがほんの今日夕方まで自分の手元にあった宝玉の対になる存在だという事に気が付いた。波動が同じなのだ。
これを偶然という言葉で片づけるには無理がある。
そう思ったカノンの耳に、またドアがたたかれる音がした。
「また、ですか。今夜は随分とお客様が多いことですね、お嬢様」
ナネットはぶつぶついいながら、明かりを手に玄関口に向かう。だが、その足は止まった。
「お嬢様、裏口からお逃げください。どうも物騒な相手がやってきたようです。それも一人二人ではないようです」
「・・・・・!!」
カノンは立ち上がった。ドンドンという音は先ほどと同じようだったが、色合いは全く違っていた。先ほどのは必死さがあったが、こちらは高圧的な叩き方であり、しかも女性の声で開けなさいと言う声がしきりに響いている。
「まって、ばあや」
カノンは向かおうとするナネットを制した。最初から不穏だと分かっている訪問者に何もせずに迎え撃つことなどしない。
** * * *
ドアを開けたナネットの前には数人の人間が立っていた。いつの間にか雨はやんで、あたりは静かなひいやりとした空気が流れている。
「うるさいね!今何時だと思ってるんだい!!」
「すぐに出ないのが悪いのですわ。こんなあばら家、その気になれば吹き飛ばしても良かったのに。そうしなかったことを感謝なさい」
「いったい何用だい!?随分とでかい口を叩くお前さんは誰だい?」
狐耳の高飛車な雰囲気を纏わせている一人の栗色の髪の女性が進み出た。青い瞳には炎が宿っている。セパレートの上衣と短いタイトスカートはすべて赤。尻尾は時折鞭を打つように地面にたたきつけられている。
「わたくし、シャルローゼ・レット・ドナウディアと申しましてよ。そう名乗れば今お前が向かい合っていることそのものが愚かしい行為なのだと思い知るでしょう?」
「りょ、領主様かい!?」
「そう。おさがり!!・・・いえ、こちらが知りたいことを言えばすぐにでも解放してあげますわ。いいこと?このあたりで私と同じ狐耳の獣人の女児を見かけなかったこと?」
「狐耳の女児?知らないねぇ」
「嘘をつくことは為にならなくてよ。先ほどあの女がこのあたりに逃げ込んだのを部下が目撃しているのだから。大方このあたりのどこかの家に匿われているはず」
ナネットが周りを見ると、一団の兵団が隣家などを叩いて住人を起こしている。
「いい加減におしよ!夜から大迷惑さね。そんな子なんかここにいないと言っているだろう」
「まだ領主のわたくしにそのような口答えをするというの?」
「あぁ、あんたが領主様だか地主様だか知らないが、少なくともこんな夜更けに安眠妨害をしていいもんじゃあないだろう?」
「黙って聞いていれば・・・・おや?」
シャルローゼが視線を向けると、ナネットの隣にカノンが姿を現した。
「ここの主です。ばあやの無礼はお許しください。ですが、もう夜更け。ご覧のとおりここには私たちだけです。どうかお引き取りください」
「ふうん・・・・まぁ、よいでしょう」
シャルローゼの言葉にナネットはほっとする。しかし――
「お前たちのあばら家を家探ししてから、ですわ」
「な、何を、この阿婆擦れ――!!」
「おだまり、婆!!領内における捜索は領主の特権であり、義務ですわ。それを今行使するだけの事。さぁ、お前たち――」
シャルローゼの右手の一振りに、部下の兵団の一部が動き出す。だが――。
門扉と玄関口との境目の生い茂る草から濛々と紫の煙が噴き出し、蔦が次々と彼らの手足に絡みついた。紫色の煙を吸った兵たちは次々とせき込み、地面に膝をついた。
「危ないですよ。ここは私たちの意に沿わない者を通さないようにしているんです」
カノンが静かに言う。
「領主にさからってタダで済むと思っているの!!??」
シャルローゼがひときわ大きな声を出したときだ。
「ぎゃ、わ~~~~~~~~~~~っ!!あ~~~~~~~~~~っ!!!!」
あたりに響く子供の泣き声。思わずぎょっとしたカノンとナネットをよそにシャルローゼは鋭い一瞥で周りを見回す。すると、家探しを受けていた住人たちの一人、母親らしい女性に抱きかかえられた赤ん坊が火のついたように泣いている。
シャルローゼは一瞬怯むような顔をしたが、すぐに冷静さの仮面をかぶりなおした。
「・・・・まぁいいでしょう。このあたりにはいないようですし、出直しますわ。しかしお前たち。領主であるこの私に逆らう事が何を意味するのか、わかっているのでしょうね?」
「その時はこちらも相応の対応を致します。できれば怪我などをさせたくありません」
カノンは領主である彼女を前にして一歩もひるまなかった。シャルローゼは静かに、
「そう願いたいですわね」
そう言うと、指を2回鳴らした。彼女の合図で、兵団たちは引き揚げの準備に取り掛かり、倒れた仲間を助け起こし、あっという間に姿を消した。
カノンは数秒間ぼんやりと立っていたが、すぐにハッとしてナネットを見た。
「ばあや」
「ええ、後はお任せください、お嬢様」
カノンは踵を返すと、家の中に戻った。黒いイルカがソファーの上に浮いており、その下には泣きじゃくるあの子がいた。
「ねぇねぇカノン、僕の術どうだった?役に立った?」
「わ~~~~~~~~~!!あうわ~~~~~~~~~~~っ!!!」
火のついたように泣いているその子を抱え上げる。危なかった。泣き出すタイミングが同じだったことと家の中だったから助かったのだ。
「ご苦労様です、タフィ・ローズ。あの者たちは出て行きました」
「オッケーだね。あぁ、ねぇ、カノン、この子を泣き止ませてよ。うるさいから食べちゃおうかなって思うんだけれど」
「駄目です」
カノンはぴしゃりとタフィ・ローズを黙らせたが、ふと、あることを思いついた。
「タフィ・ローズ」
「なにさ。ふわぁ~~~もう眠い~~~・・・・」
「お仕事があります」
「ええ!?何それ」
「これからドナウディア家に潜入してあることを調べてきてほしいのです」
「今から!?けれど、この子が危ないんじゃない?それにボクすっごくお眠なんだけれど――」
「帰ってきたら糧を差し上げます」
「ホント!?」
黒イルカの様相が変わる。糧というのは精霊にとって必要不可欠のエネルギーであり、それは雇主の任意で生み出されるものである。
「やるやる!で、何を調べればいいの?」




