第三話
渦の中に足を踏み入れた瞬間、カノンは奇妙な感覚に包まれるのが分かった。何かが自分を見ている。それも全方位からどころではない。自分の内面、考えていること、過去の記憶、体験も含めてすべてをさらけ出しているような感覚に襲われた。
強烈な光がカノンを包む。それが解けた時、カノンは森の中にいた。そばにヘンリク、ベルガモもいることにひとまず安心した。迷宮によっては、入った瞬間にパーティーが別々に飛ばされることもあるからだ。
カノンはあたりを眺めた。奇妙なくらい静かだった。獣、動物、鳥の鳴き声はおろか、かすかな風すらふいていない。
「この森・・・・」
何かがおかしい。うっそうと茂る木々の中にはところどころこんもりした茂みがあり、光が柱となって差し込んでいる。
「ンホホホ・・・そう、気を付けることです。見た目に惑わされてはいけませんからねぇ。まずは先行した3人を探しましょうか。なに、そう遠くには行っていませんよ」
「どちらに行けばよいでしょうか」
3人は木々に囲まれた空き地のようなところに立っていた。四方すべて同じような木々があり、どちらに行けばよいか見当もつかない。
「ストレ・カノン、あなたも迷宮に幾度か挑んでいるのであれば、探索の心得くらいは知っていて当然でしょう」
「・・・・はい」
「年長者は最初は手助けをせず、と言いますからねぇ」
そう言ったきり、ベルガモは濃い笑いを浮かべたまま明後日の方角を見たまま動かなくなった。
どうやら自分が道を探さなくてはならないらしい。カノンはランクSSの迷宮になど入ったこともない。どうやって探したらよいかわからない。やれることは一つだった。今までの経験をすべて出し切るしかない。
「・・・・・・・・」
眼を閉じ、集中したカノンは、いくつかの光の玉を出した。赤、青、黄、緑、紫、オレンジ、そして黒と白のまだら模様。全部で7個の光の玉を出したカノンは、それを四方八方に飛ばした。
「少し時間をください。何かあれば反応があります。あまり動き回るのは得策ではありません」
「あぁ」
「ンホホホ・・・お好きなように」
ほどなくして、反応があった。オレンジ色の球を飛ばした方角からだ。
「あちらにオーラの反応がありました。何かはわかりませんが、強いオーラです。行ってみましょうか」
カノンの言葉に2人は賛同を示し、3人は足早に森に入った。うっそうとした森はさきほどまでと打って変わって、光がほとんどさし込まなくなった。
森はこんもりとしているが、不思議なことに3人が足を進めている方向には丈の短い草だけがあって、道のような格好になっていた。
不意に3人の足が同時に止まった。
「今、悲鳴が!?」
「ンホホホ・・・あたりのようですねェ」
ベルガモが笑い、3人は急ぎ足になった。その中でもカノンは周囲に警戒を怠らず、ヘンリクも周りを見回しつつ歩いているというのに、ベルガモは悠々としている。
不意に視界が開けた。最初にいた空き地と同じくらいの広さの場所に出ていた。
ゴォォォォォォ・・・・・!!!!!
咆哮と同時に物凄い風圧、そして血なまぐさい匂いが襲ってきた。思わず袖で顔を庇ったカノンの眼前に巨大な8つ脚の獣がいた。銀色のたてがみは針のように尖り、周囲に稲光と雷雲を纏い、眼光は黄金色を放ち、牙は人間の身の丈もあるかというほどに大きい。
その前に2人の同じ格好をした人間が小さくなっていた。
「ンホホホ・・・あれはインドラクシャですね。クラスS級の魔物です。まぁ、ここいらではよく見かけるものですがね」
「クラスS!?」
カノンは身構えた。魔物のランクは人間側が付けるものだが、その中でもクラスSは手ごわい。一体で都市を滅ぼす事もできる魔物だ。カノンは以前書物で読んだことがあってインドラクシャのことは知っていた。インドラクシャはSと言っても、その破壊力だけ見ればSS急に近いものだと言ってもいいことも。
「エリ―サ、アルト!」
カノンの呼びかけに二人は明らかにこちらに気が付いたようだったが、逃げてこようとはしなかった。
「邪魔をしないで!!」
「あなた方は引っ込んでいなさいな!!」
二人はそう叫ぶが、インドラクシャの前に防戦一方だった。次々と強力な祭文術を放つが、インドラクシャはそれをものともしていない。インドラクシャは咆哮を上げ、凄まじい威力を込めた前足で一振り二人を薙ぎ払う。二人は間一髪のところでかわし、連携を保ちつつ再度攻撃を開始した。
「ンホホホ・・・駄目ですねェ」
「何が、ですか?」
カノンの問いかけに、ベルガモは腕組みをしながら不敵に笑う。
「インドラクシャ自体を知らなくとも、戦っていればその特性に気が付くはずです。例えば・・・そう、彼奴にはオーラは効かないのです」
「―――!」
「まぁ、よほどのオーラの持ち主であれば彼奴の障壁などはものともしないのでしょうが、あの二人程度では駄目ですねェ」
「では・・・でも、何故・・・・」
二人は祭文術で一点集中を試みていたが、インドラクシャはびくともしない。ますます猛り狂っている。
「アイツらは祭文術にこだわりすぎなんだよ」
ヘンリクが苦々しそうに言った。
「ディエル家だかなんだか知らんが、そこに縛られていると足元をすくわれることをわかってほしいぜ」
「あっ!!」
双子のうち、一人が吹き飛ばされた。一瞬そちらを見たもう一人だったが、倒れた一人にかまわずに攻撃を続ける。だが、インドラクシャは咆哮でそれを打ち払うと、倒れた一人に襲い掛かった。高らかに雄叫びを上げながら飛び上ったインドラクシャが前足を振りかざし、口を開ける。牙がぬめりとひかり、涎が宙に糸を引いたのが見えた。
「―――!!」
カノンは駆け出そうとしたが、足がすくんで動けなかった。自分も祭文術主体の戦い方しかできない。あの化け物の前では足止めにもならない。
「ンホホホ・・・心配ありませんよ」
ベルガモがそう言ったのと、空気がかすかに震え上がり、インドラクシャが真っ二つになったのが同時だった。地響き立てて地面にたたきつけられたインドラクシャの死骸は、やがて光の粒子となって消えていった。
「ショーテルは今までヘマをしたことはありませんからねェ」
身の丈の3倍はあろうかという巨大な鎌にこびりついたインドラクシャの残滓を無造作に払うと、ショーテルは無表情に倒れた双子の一人に手を差し伸べた。
パンッ、と乾いた音がする。
アルトが差し伸べたショーテルの手を払ったのだ。
倒れたアルトは自力で起き上がった。自分で自分に治癒魔法をかけているところを見ると、大した怪我はしていなかったように見える。
ショーテルは払われた手を無表情に引っ込めた。
「・・・・・・・」
だが、その顔は真っ赤だった。屈辱と悔しさが顔ににじみ出ている。
「私たちのコンビネーションを乱してくださるとは、何をしているのですか?アルト」
冷たい声がした。エリ―サがアルトを何とも言えない目つきで見ている。その目つきにカノンは寒気を覚えた。双子なのにその片割れをどうしてこんな目つきで見られるのか。エリ―サは倒れたアルトに手を差し伸べることもいたわりの声もかけることもしていない。
「エリ―サ・・・その――」
「あのまま攻撃を続けていれば私たちで仕留められたはずですわ」
「それは・・・・」
「待ってください」
思わずカノンは進み出ていた。
「失礼ながら、順序が違うのではないでしょうか?」
「順序?」
「まずはストレ・ショーテルに礼を言うべきでしょう。あなた方を助けてくださいました」
「あれは余計な手出しですわ」
「あなたの双子がもう少しで死ぬところだったのに!?」
カノンは思わず愕然となるのを感じた。一瞬遅れていればアルトは死んでいただろう。エリ―サはそれを助けようともしなかった。自分も足がすくんで動けなかった。だからこそショーテルの手腕には驚嘆もしたし、それだけ感謝すべきことだとも感じていた。
「倒れたのはあなたの家族です。まずは身の上を心配するのではないでしょうか」
エリ―サはカノンを見つめる。と、突然噴き出すように口元に手を当てて笑った。
「双子・・・・家族・・・・まぁ、何をおっしゃるかと思えば・・・こんな迷宮の真っただ中で・・・まるでお花畑のような頭の持ち主ですわね」
「こんなところだからこそです」
カノンは自分でも口調が強まるのを感じた。
「迷宮では仲間の連帯感、絆が攻略を左右します。『大丈夫だった?』『けがはない?』そんな言葉もかけてあげられないのですか?」
「私たちには必要ありませんわ。つくづく甘い感覚の持ち主ですわね。これでクラス・サファイア?アルトの言う通り私にも信じられませんわ」
「甘いのはあなた方です。相手の実力も知らないまま戦っていても意味がありません」
「・・・・どういう意味ですの?」
エリ―サの声が低くなる。
「あのまま戦っていてもあなた方にはあの化け物は倒せませんでした」
「ンホホホ・・・そこまでです」
いつの間にかベルガモが二人の間に入っていた。
「不毛な争いは時間の無駄です。この迷宮は特別ですからねェ」
(特別?)
「さぁ、行きましょうか。では、今度はメヌーテ・エリ―サ、あなたに先導をしてもらいましょう。相当の自信がおありでしょうからねェ」
「ええ・・もちろんですわ」
「ま、ストレ・カノンの言葉も一つ当たっているところがありますねぇ」
二人よりもはるかに高い身長のベルガモがエリ―サを見下ろし、濃い笑いを浮かべる。
「あのまま戦っていても、あなたにはあの化け物は倒せませんでしたよ」
一瞬エリ―サの顔が引きつる。だが、それを優美な微笑で覆い隠すと、エリ―サはベルガモとカノンに背を向ける。立ち尽くしているアルトには眼も向けなかった。代わりに一言、
「アルト、次はディエル家の期待を裏切らないで」
と言い、歩を進めていく。アルトの表情は凍り付いていた。カノンはどんな言葉をかけてよいかわからなかった。




