第二話
「いけませんねェ、ストレ・カノン」
宿屋篝火の光亭にたどり着いた一行を出迎えるなり、開口一番にそう言ったのは、圧倒的なオーラを放つ異彩の風貌の持ち主だった。甲高い声、筋肉質な大柄な体を覆う黒い鎧。真っ白な髪。吸い込まれそうなほどに濃い紫色の瞳。不敵な笑み。顔立ちは悪くない。むしろ整いすぎているくらいなのに、不思議と違和感を覚えてしまう。
「人を見た眼で判断することは魔調律師としては失格ですよォ」
「あ、なたは・・・・すみません。カノン・エルク・シルレーン・アーガイルと申します」
「そのように硬くならずともよろしい。ストレ・カノン。私のことはそうですねぇ・・・・ベルガモと呼んでいただければ」
「・・・・・・・・!!」
ベルガモ。一つ名でありながら、クラス・マスターとしてアルテシオン幹部中枢に君臨する者。それがどうしてこんなところに。
「ンホホホ・・・・そうですねぇ・・・・疑問に思われることは当然と思います。ですが、ストレ・カノン。あなたにはあなたの仕事をやっていただきましょう。私はただ見物にやってきただけですからねェ」
(心が読める!?)
カノンはとっさに自分の胸を抱くようにした。ベルガモは不敵に笑っただけで、それ以上は何も言わなかった。
「ストル・マスター・ベルガモ」
耳まで覆うブロンドの髪を短く切りそろえ、緑色の風を連想させる緑衣の上から軽装のシースルーを纏い、愁いを帯びた雰囲気を持つ女性魔調律師がベルガモの背後から話しかけた。
「ンホホホ、ショーテル、わかっていますよ。最初から刺激を与えすぎるのもよくはありませんからねェ。楽しみはおいおいとしておきましょう」
「御意。・・・・失礼いたしました。ショーテル・ミレグリアと申します」
ブロンドの髪の女性はカノンに丁重に頭を下げた。
カノンはまた衝撃を受けたが、予想しないでもなかった。
ショーテル・ミレグリア。
二つ名。
クラス・ルビーでありながら、その実力はクラス・ミスリルはおろかクラス・マスターに引けを取らないと噂される逸材。しかしながら、ベルガモの影にショーテルあり、と言うように当人はずっとベルガモに付き従っている。
幹部の中でも逸材の二人が何故こんなところに、とカノンは改めて疑問に思った。
「挨拶が遅れました。カノン・エルク・シルレーン・アーガイルと申します」
「あなたのことは、ストレ・シリルからよく聞いています」
かすかに目元が柔らかくなった。シリル・ヴェスタはドナウディア家の騒動の際に以前カノンと手合わせをしたこともある。そのシリルから話を聞いているとなると、知り合いなのだろうか。
「いい加減飽きましたわ。こんなところは」
突然会話に割って入ったのは、アルトと瓜二つの少女だった。あらわになった右肩にはアルトと同じディエル家の紋章。左肩に垂らしたよく結い上げられたピンク色の髪。きゅっと上がった口元。
宿屋篝火の光亭は、ブロアの街ではそこそこ評判が良い宿だと知れ渡っているが、その少女は不服そうだった。
「ストル・マスター・ベルガモ、ストレ・ショーテル。ストル・ヘンリク。私たちはさっさと試験を終わらせたいのです。いつまでもしゃべっていないで目的地に案内していただけませんこと?」
「ンホホホ・・・メヌーテ・エリ―サは威勢がいいですねェ。大概の見習いは怖気づいてしまうというのに」
「私たちを誰だと思っていますの?」
アルトが隣に立った。そうしてみると、双子からはただならぬオーラが発せられている。その双子の背を、ヘンリクは無造作に小突いた。
「・・・ったくお前もかよ、いいからとっとと挨拶をしろや」
「・・・・痛いですわね。覚えておきなさい。エリーサ・ノエル・ファリス・フォン・ディエルですわ」
エリ―サは自分の右肩の文様を指しながら、片膝を折って挨拶した。優雅さの中に高く飛翔するプライドの高さを秘めて。
「カノン・エルク・シルレーン・アーガイルと申します」
一瞬エリ―サが顔をしかめた。アルトと同じ反応だ。
「さぁ、行きますよ。皆さん。あまりお待たせしてもよくはありませんからねェ」
ベルガモが不敵な笑みを浮かべた。カノンは内心当惑した。行くと言っても一体どこに行くというのか。その疑問が口を突いて出た。
「あの・・・・そう言えば、まだ目的地を聞いていませんでしたが、どこに行くのですか?」
「ヘンリク」
ベルガモの視線を受けたヘンリクは頭を掻いた。
「こいつは申し訳ない。このガキどものことで手いっぱいだったもんで。お前さんに話していなかったな。目的地はレミーネ鉱床だ」
『レミーネ鉱床!?』
エリ―サとアルトが同時に声を上げた。
「レミーネ鉱床・・・・!クラスSSの迷宮ではありませんか!当初の話ではクラン・ロス峠に向かうと――」
エリ―サが声を上げ、アルトの顔色は変わった。
「おやおや、どうされましたかァ?先ほどまでの威勢は。あなた方はここに来るまでにずっと言っていましたからねェ。クラスC程度の迷宮では物足りない、と」
「・・・・・・・・」
「ンホホホ・・・であれば、いっそ究極の体験をさせてあげたほうが良いかと思いましてねェ。あなたたちは幸運ですよォ。クラスSSの迷宮に入れるチャンス等、生涯にあるかないか。滅多にありませんからねェ」
「でも・・・さすがにレミーネ鉱床は・・・・・」
アルトが絶句する。無理もないとカノンも思う。
迷宮のクラスはランクIからスタートし、ランクSSSまである。その中でランクSSは通常のギルド所属組等ではまず入れない。各国の最高位級の遣い手等、特別に迷宮管理組合から特別に許可を得た人間とその同行者しか入れない。
レミーネ鉱床はランクSSとはいえ、その存在だけは各国の人間が知っている。
300年程前にあった大戦の中の一つに、レミーネ鉱床にあった希少金属ネオジウムをめぐって凄惨な争いがあったとされている。再度の火種になることを恐れ、レミーネ鉱床は立ち入り禁止の封印がされたが、その時の怨念が未だに迷宮に渦巻いていると噂されている。
「ンホホホ・・・。ま、あなたたちには刺激が強すぎましたかねェ」
ベルガモが道化師のように濃い笑いを浮かべる。
「そ、そんなことありませんわ!アルト、望むところではなくて?」
「え?」
「ディエル家の威信にかけて、私たちは踏破しなくてはなりませんわ」
「・・・・・・」
「忘れたのですか、アルト?私たちには――」
「あ~~!!わかったわかったわかったわよ!エリ―サ、行きましょう!」
アルトがやけくそ気味に叫ぶ。それを見たベルガモの笑いが一層濃くなる。
「ンホホホ・・・。どうやら決まったようですねェ。ですが、お二人に断っておきますが・・・・」
ベルガモの身体から黒いオーラが噴き出す。その威力はショーテル以外の周りの者を後ずさりさせるものだった。それでいてカノンは感じる。この人は万分の1も本気も出していないのだと。
「自分の命は自分で守ること、これは自己責任、ですよォ」
ごくりとつばを飲み込む音が聞こえた。双子のうちどちらかだろうか、それとも自分か。カノンが考えている間にベルガモは動き出していた。影のようにショーテルが後につく。
「では、行きましょうか、皆さん」
ベルガモが肩越しに振り返り、言った。
** * * *
カノンは、レミーネ鉱床の存在は知っているが、その具体的な場所までは知らない。どこかの山脈の下にひっそりと埋もれているのか、それとも遥か虚空にある浮遊岩帯のどこかに存在しているのか。
答えはどちらでもなかった。一行は宿の中庭に立っていたのである。
「まさか、こんなところにランクSSの迷宮への入り口があるわけじゃないでしょうね?」
「ンホホホ、まぁ見ていなさい」
ベルガモは無造作に懐から何かを取り出すと、それを地面に撒いた。
閃光が巻き上がり、収まると、そこには黒と白の光の渦が出来上がっていた。
「旅の扉ですか」
カノンはかすかに興奮を覚えていた。魔導具としてその存在を知ってはいたが、実際に見るのは初めてである。各国の中枢施設や主要都市の間の移動手段として確立されていたが、高度なものになると携帯が可能となり、一定の場所に到達できるようになっている。
「文明の利器、という奴です。まぁ、今回はこれに頼りましょうか」
ベルガモが一歩下がり、エリ―サとアルトを見た後、腰を折り、右手を半円を描くようにして渦の方に指示した。
「では、メヌーテ・エリ―サ、メヌーテ・アルト」
双子はベルガモの大げさな誘いに顔をしかめるでもなく不快感を示すでもなかった。ただ、つうっと一筋の汗がそれぞれの頬を伝うのが見えた。
「ンホホホ・・・どうしますか?今ならまだ引き返せます。撤退も一つの勇気ですよォ」
「誰が撤退するものですか」
エリ―サがアルトの腕をつかんだ。あっとアルトが叫ぶ間もなく、エリ―サはアルトの腕をつかんだまま駆け出す。二人は渦の中に駆け込み、消えた。
「ショーテル」
「はい」
影のように佇んでいたショーテルがベルガモの促しに、すっと渦の中に消えた。
「では、ヘンリク。ストレ・カノン。行きましょうか」
「あの二人は大丈夫なのでしょうか?」
カノンはベルガモに尋ねる。冒険者ではないが、カノンも幾度となく迷宮に入ったことはある。迷宮に一歩足を踏み入れれば、そこは別世界だ。高難度なものになると、今いる世界の理すら通じないものがあると聞く。ましてやランクSSとなるとどのようなものが待ち構えているかどうかがわからない。
「ンホホホ・・・・多少刺激を味わうことになるでしょうが、良い機会です」
ベルガモが道化師のように笑うと、二人の間に立ち、それぞれの肩に手を置いて二人を促した。ベルガモにやんわりと肩を押され、自然と足が前に動く。
鎧の手甲をしているが、それを通してオーラがカノンにも感じられた。
(この人――・・・・)
「さぁ、行きましょうか。ご心配なく。あなたたちの後ろから私はついていきますよォ」
カノンは先ほど感じた感触を反芻する間もなく、渦の中に足を踏み入れていた。




