第一話
レオルディア皇国玉座の間は水晶と魔法を組み合わせた一枚の高さ数百メートルに達するガラスで周りを覆われている。東には滝が流れ落ち、そのしぶきが七色の水となってガラスに降り注ぐ。西には広大な庭園が広がり、様々な草花に燦さんと陽光が降り注ぐのが見える。
「ルティア・アンタンテ・フォーリナ・アーガイル殿!!」
高らかに侍従から名前を呼ばれたのは、栗色の髪に斜めに白いベレー帽が乗った悪戯っぽそうな理知的な眼をした若い女性だった。かすかに鼻の周りにそばかすが散っているが、当人はむしろそれを個性の表れと思っている。
着ている物は、貴族令嬢のドレスではなく、革のバックルをしめた活動的な白のドレスだった。
高らかなピアノとバックにオーケストラの演奏が鳴り響くが奏者は誰もいない。
ルティアはにっと口角を上げて周りを見まわす。床を除けば、まるで空の上に立っているかのような一面何もない空間のように見える広い広い玉座の間。レールのように一直線に玉座に向かって伸びる赤い絨毯の上を歩きだした。
間隔を置いて、2人ずつ、まばらに衛兵が立っている他は姿が見えない。にもかかわらず、ルティアは大勢の人から見られているような感覚を覚えていた。
いつものことと特段気にも留めず、彼女は胸を張って玉座の前までくると、佇立した。
「よ~く来やがったのです、ルティア」
まだほんの3歳くらいの舌足らずな言い回しの女児が玉座の間にちょんと座っていた。フリルのいっぱいついた可愛らしいドレスを見に纏っている。そばに侍していた初老の侍従長がたしなめるように口を開いた。
「陛下、そのような言葉遣いは――」
「だまらっしゃ~い!わやちがレオルディア皇国の当主である以上、あれこれいわせねえのです」
「あのですね――」
「それにわやちのことは『陛下たん』と呼べと言ってるだろこのヒゲ――」
「誰がヒゲ!?」
「陛下、ご無沙汰を致しております。このような格好でお目にかかりますことをお許しください」
ルティアは片膝を折って挨拶した。卑屈することもなく、我を張るということもなく、礼節を重んじる所作だった。
3歳児はにっと笑ったかと思うと、手にした杖を短く振った。
まばゆい光があたりに満ちた後、玉座には一人のプラチナブロンドに緑葉や宝石を上品に編み込み、左肩に垂らした美しい若い女性が座っていた。小さな王冠を頭に載せ、宝杖を持ち、ノースリーブの刺しゅうを施した紺の服にシースルーを纏っている。ルティアも侍従長も衛兵たちも特に驚きを見せることはなかった。
「いいえ、ルティア、このような場に呼び寄せたのは私の方ですから。普段野山を駆け巡る方があなたには似合い。このような場ではなく、郊外の方が良かったかしら?」
「外に出たいとお思いになっていらっしゃるのは陛下でしょう?」
女性二人は笑い声を上げる。侍従長はやれやれというように首を振ると、一つ指を鳴らして合図をした。玉座の後方が光り輝き、巨大な透明なガラス壁が消滅し、テラスが出現した。どこからともなくテラスには一卓の椅子とテーブルが出現し、純白のテーブルクロスには花かごが乗っている。
「さぁて、と。ルティア、こっちに来るのです」
いつの間にか、3歳児にもどった陛下はトテトテとおぼつかない足取りでテラス席に向かう。侍従長に抱き上げてもらい、椅子にチョンと座った姿はぬいぐるみのようだった。
侍従長が自然な動作で椅子を引き、ルティアは流れるような動作で座った。
3歳児の陛下が杖を一振りすると、テーブルにはお茶菓子のセットが出現していた。
「えへへ、最近はヒゲがうるさくてうるさくてろくにお菓子も食べれてねえのです。チャンスなのです」
むっちりした小さな手で細長いお菓子をつかみながら、ご満悦である。
「陛下、誰が『ヒゲ』ですか?」
八の字の立派な白髭を生やしている侍従長がむっとした顔で尋ねる。
「ヒゲは一人しかいねえのです。ヒゲ厳禁令出したのに一人それに逆らい続ける奴は本来ならとっくに死刑ものなのです」
「また御冗談を・・・・」
侍従長は口の中で何やら言いながら、一礼して下がっていった。
「さて、ルティア」
また若い女性の姿に戻った陛下はルティアを見つめた。
「あまり時間がありませんから、単刀直入に。此度は何用ですか?いいえ・・・当てて見せましょう。妹のことですか?」
「ご明察、恐れ入ります、陛下」
ルティアは丁重な言葉を返したが、にっと笑った。伯爵令嬢であるとはいえ、一介の外交補佐官の身。したがって、陛下からお声がかからない限り、自分は陛下に謁見できない。そう、少なくとも表向きの制度は。
「あの子が出奔した後のアーガイル家の騒動もだいぶ落ち着いてきましたね」
「陛下には重ね重ね我が家の恥をさらすようで申し訳ありませんが、姉ともども騒動の鎮静化に尽力いたしました。既に下地は整いつつあります」
「そうですか・・・・ならば、あの子の帰還を拒む理由はありませんね」
「はい」
「ちょうどよい機会かもしれませんね。近いうちに大洋艦隊をあのあたりに派遣しようと考えていたところなのです」
「大洋艦隊を?」
「そう、あなたの姉が統べる大洋艦隊です」
レオルディア大洋艦隊。数百隻の規模を誇り、世界の海を統べるべく人員、兵器共に最新鋭の物で構成された精鋭艦隊である。ルティアの姉であるアルトリーネ・シフィア・シャティヨン・アーガイルが司令長官となっている。
「あるものを移送しなくてはならないのですが、あいにく少々厄介な物なのです。それはさておき、あなたには、その件についての私の意見を示した書簡をルロンド王国に届けてもらう役割をお願いします。私からの書状を各国に届けること自体はそれほど珍しいことではない事。あなたには中身はともかく口実が必要でしょう?妹のところにはその帰路によってあげなさい」
「陛下・・・・・」
この時ばかりはルティアは真面目な、そしてこみ上げてくるものをこらえる顔になった。
「さて、ルティア。あなたの力量は充分に知っているけれど、護衛としてシャルルベルト大公家の家中から旧知の人物をあなたに付けます」
「10家、ですか?」
10家。レオルディア皇室に次ぐ名門家の事をさす。皇室と縁組をすることなく、彼ら自身の血脈を伝え続ける独立富貴の家柄である。そのシャルルベルト大公家は10家の中でも束ね役たる家柄であり、実力も一つ抜きんでていた。
「感謝いたします、陛下」
ルティアは万感の思いを込めて、頭を下げた。
「い~え、全然何でもねえのです」
いつの間にか目の前にはあどけない笑みを浮かべた3歳児があった。むっちりした手でお菓子を取ろうとするのを手伝いながら、ルティアは内心重い吐息を吐いた。
(本当においたわしい陛下・・・・どうしてこうなってしまったんやろう?)
** * * *
魔法屋シュトライト――。
「へ~、アンタがここの主?しかもクラス・サファイア?」
のっけから失礼極まりない言動に、ナネットが綿棒を振りあげそうになるのをカノンは慌てて制した。
今日は、来客があるからと、前もってお茶菓子やお茶道具を揃えて待っていたが、流石に綿棒を食らわせることはできない。
「・・・ったく、こんなのと試験しなくちゃならないなんて・・・不安要素しかないんだけれど」
「お前、誰に物言ってんだかわかってんのか?クラス・サファイアだぞ」
「それが信じられないって言ってんのよ」
同行してきた年長の男にズバズバ物を言うのは、見習い(メヌーテ)だ。
クラス・サファイアとなると、各地のアルテから見習いの魔調律師を預かることがある。預かると言っても一時的なもので、メヌーテの試験に同行するということが多い。
年はカノンとそう変わらない。1~2歳下だろう。右肩に垂らしたよく結い上げられているピンク色の髪がかわいらしいが、緑の瞳の色は気が強そうに光り、口元はキュッと生意気そうに吊り上がっている。見習い(メヌーテ)であることを一目でわかるように、通常は制服を着るのであるが、この子の場合は旅装だった。
「第一私たちとそんなに年が変わんないのにクラス・サファイア?親の伝手でも使ったんじゃないの?」
きゅっ、と拳が握られる。爪が手のひらに当たる感触をカノンは感じていた。
「すまねえな。気を悪くさせちまって」
年長の男は頭を下げた。年長と言っても30代半ばであり、それなりに年齢を実績を重ねてきた風格が出ている。
「ストレ・カノン。俺はヘンリク・ファートナムだ」
年長の男は同行者の少女の背を小突いた。
「オラ、お前も名前を名乗れや」
「・・・痛ったいわね!覚えてなさいよ。・・・・アルト・ベリル・ウェスタ・フォン・ディエル」
少女が自分の左肩を指さしながら名乗る。
ディエル家、とカノンは胸の中でつぶやいた。
彼女の左肩には紋章が露わになっているが、それはディエル家の紋章なのだろう。ディエル家はレオルディア皇国における貴族の一家であり、高度な祭文術を使用できる有能な家柄として、各界で活躍している。
普通文様は正式な作法にのっとり名前を名乗る等以外には人には見せない物なのだが、彼女は四六時中それを見せているのに、カノンは引っかかりを覚えた。
「カノン・エルク・シルレーン・アーガイルです」
「・・・・・・っ!」
先ほど感じた不快感を洗い流し、カノンは穏やかに名乗った。少女アルトは突然顔をゆがませた。何か苦い物でも噛んだような顔つきだった。
「どうかされましたか?」
「・・・なんでもないわよ」
「さて、ストレ・カノン。前もって聞いていると思うが、今回は見習い(メヌーテ)の試験に同行してもらうが・・・・・その前に宿屋に来てほしい」
「宿屋、ですか?」
「そこにも待たせている人間がいるんでな」
「メヌーテ・アルトのもう一人の双子、でしょうか?」
ハッとするアルトにカノンは微笑んだ。
「それもある。だが、他にもう二人ほど待っているんでな」
もう二人?カノンは微笑みを消して当惑そうにヘンリクを見た。




